武田邦彦氏: 僕? たまたま脳死しなかったからじゃないでしょうか(笑)。僕が難しいことをやっているんじゃないんです。他の人が難しいことをやってるわけです。人間でありながら死んでいるんです。
ペットボトルのリサイクルなんて何かに使えると思う方がおかしくて、なんでリサイクルしたものを使えると思っているかというと、誰かが言ったからっていうだけです。言ったからそれについて何も考えずにただリサイクルできると言っている、それだけですからね。
誰かが先に言えばいいんですよ、NHKが放送すれば、それで終わり。後は誰も考えない。それは日本人だけですよ。
例えば「節電」という言葉があります。でも、節電というのは日本だけですからね。
この前シカゴ大学の教授の夫人のアメリカ人の奥さんが来たのですが、「節電という言葉を知っていますか?」と聞いたらもちろん知らない。「こういうことなんですよ」と説明したら、「ああそうですか、何のために節電しなきゃいけないんですか?」と言うんですよ。
お金があれば、電気作っていればいいんですからね。
「何のために節電しないといけないんですか?」って日本人に言うと、日本人は答えられないんですよ。「みんながそう言っているから」と答えてしまう。みんながそう言っているからってことは、その人は人間ではないってことですよね。だって、何も頭がない。
節電を何のためにみんながしているのか、僕はわからないですけどね。「あなた方は電気を作る役割なんだから電気作れ。なに節電なんか言ってるんだ。俺は明るい生活を送りたいんだ」と言えば終わりですよ。
だって独占企業だから、供給責任ありますからね。責務として供給しろと言ってるだけのことですよ。こっちに、お客さんに節電を求めるなんて、そんな失礼なことないじゃないですか。独占じゃなかったらいいですが。そしたら他の会社が供給してくれますからね。
――本はだんだん無くなってくるという話だったと思うんですけれど、もし形状が変わるとしたらどんな風になると思いますか。
武田邦彦氏: 僕もう、今は本というのは無いと思うんですよ。ただ今までの成り行きとして残っているだけ。ただ人間社会だから、無くなったものも少しは残ってはいますよね。だからある方々は別媒体から情報を得ますし、一方で本から情報を得たい、読みたいと思っている方々もいますよね。
――出版社のこれからについてはどう思われますか。
武田邦彦氏: 出版社が生き残るために本があるわけじゃないし、情報があるわけじゃないですね。新聞が生き残るためにはどうするか、なんていう話があるんですよ、インターネット時代に。新聞社はもともと情報提供業だから、最も優れた形で情報を提供すれば残るわけですよ。
新聞社というのは新聞のためにあるんですかね? 時々、新聞購読者をだまして新聞を存続させようとしている人もいるわけですよ。新聞を存続させるために新聞をやるんだと。
新聞というのは元々、昔放送がなかったときに、瓦版じゃないけど、紙に印刷するしかないから印刷して皆さんに情報を知らせた。そういうことでしょ?
今は多分新聞というのは『社会悪』なんでしょうね。だから社会悪は早くやめたほうがいいんじゃないですかね。
出版社が生き残る道なんていう言い方はね、全く意味がない。本や新聞を読む人のことを全く考えていない。NHKを潰さないようにするようなものですよ。今NHKなんか無くたって何にも困らないんだけど、何十年か前に作っちゃったから、従業員が何万人もいるから、みんなの不便を押し切ってNHKを残そうとしているというのと一緒ですからね。あまり健全な考えではないと。
だいたいの場合は、政治家のため、官僚の天下りのため、企業のためであって。やっぱり社会というのは国民のためにあるべきじゃないですかね。
出版社は本がもし売れなくなるとしたら、本が売れないということは本がつまらないということですから、まとまった考えのものをどういう形で供給するかということは、出版社が考えることでしょうね、当然。
著作権の問題はその典型で、著作権がどんどん厳しくなるわけですよ。なぜ厳しくなるかというと、著作権の重要性を主張する人が発信しているからですよ、出版社とかテレビ局とか。裁判官は声の大きい方だけを取るから、著作権は無限に厳しくなっていくわけですね。それと同じですね。
――それでは本との関わりについてお伺いさせていただきます。どんな本を読んでいましたかという質問に対して、小説から哲学から読まれていたということですけれど、何冊ぐらい読まれたかなど数えたりしますか。
武田邦彦氏: いや、数えてないですけどね。
著書一覧『 武田邦彦 』