夢は英語出版とハリウッド映画化
慶応義塾大学工学部大学院卒業後、日本原子力研究所研究員を経て、カリフォルニア大学に留学、その後作家に転身し、1994年『メルトダウン』第1回小説現代推理新人賞受賞、1999年『イントゥルーダー』第16回サントリーミステリー大賞受賞(大賞・読者賞ダブル受賞)2007年『ミッドナイトイーグル』が映画化されるなど、作家としてご活躍されている高嶋哲夫さん。そんな高嶋さんに、読書について、電子書籍の未来についてご意見をお伺いしました。
岡山と東京を忙しく往復する毎日
――普段のお仕事内容も含め、近況をご紹介いただけますか?
高嶋哲夫氏: 僕はメインが物書きというか作家ですけれども、執筆活動のほかには講演活動もしています。昔、学習塾をやっていたこともあり、また教育は国の根幹をなす重要なものなので、全国学習塾協同組合の理事もやっています。育ったのが岡山県の玉野市というところで、ふるさと大使もしています。
――普段お仕事をされる場所は、どちらになるんですか?
高嶋哲夫氏: 住んでいるのは、神戸の垂水というところです。マンションの2階が住居で4階が仕事場になっているんですよ。丘の上にあるマンションで、すごく眺めがいいんです。しかも仕事場があるのが最上階で、山が見えるんです。ベランダに出ると海も見えるんですね。瀬戸内海。海と山と両方が見えるんです。神戸の夜景がきれいに見えるので、すごくいいところです。
――そちらで数々の作品は生まれているのですか?
高嶋哲夫氏: そうですね。でも部屋の中はすごく汚いです(笑)。僕は一番広い部屋を使っているんですよ。3LDKで、一部屋はいま、アシスタントの人の部屋で、一つが資料室、もう一つがリビング兼宴会室ですね(笑)。友達が結構来るんで、そこで鍋をしたり飲み会をするんです。で、一番広いダイニングキッチンが仕事場ということにしています。
資料はインターネットから検索して集める
――綿密な下調べと膨大な知識量でたくさん作品が書かれているかと思いますが、資料はたくさんありますか?
高嶋哲夫氏: 多いですね。書籍やデータ的なものも両方あります。いまインターネットが随分発達しているので、アシスタントの人に調べてもらっています。
――本はどれぐらいあるのですか?
高嶋哲夫氏: 数えたことがないですね。新聞などは全部整理できていないので、ソファーは座れないぐらい埋まっています。あとはトランクルームを一つ持っていますが、そちらもやはり満杯ですね。
――電子的に整理するご予定はありますか?
高嶋哲夫氏: そうですね。いずれは時代の流れでそうなるんでしょうけども、いまはよく使う資料などは何百冊あっても、背表紙を見ればだいたいどんなものか分かります。ただ、背表紙は分かるんですけど、本のタイトルは覚えていません(笑)。
――書く時にイメージというのはパッと出てくる感じですか?
高嶋哲夫氏: まあ、だいたい出てきますね。ただ細かい数字とか、細かいものはちゃんと調べ直さなければダメですけれども、「ああいうのがあったな」っていうのはだいたい分かります。
小学校時代が一番本と親しんだ
――高嶋さんの本との関わりについて伺いたいと思います。最初の読書体験っていつごろでしょうか?
高嶋哲夫氏: 小学生の4年生の時に、すごくいい先生がいて、その先生が学校図書館の使い方を教えてくれたんですよ。その時に一番たくさん本を読みましたね。学校に置いている本なので『シートン動物記』(集英社)とか『ファーブル昆虫記』(集英社)とか。あとアルセーヌ・ルパンとかホームズとか。そういう本です。
――その時は小説家になろうとか、そういうご希望はあったのですか?
高嶋哲夫氏: 国語は苦手でした。作文とか読書感想文は大嫌いでした。
――実際に卒業された学部も工学系ですよね。
高嶋哲夫氏: そうですね。で、中学の時は本を1冊も読んでいないんです。玉野っていう土地は、すごく海がきれいだし、裏が山でいいところなんですよ。だから、野山を駆け回って遊んでいましたね。高校は、受験勉強がありますよね。だからほとんど本を読んでいないです。1冊も読まなくて、受験用のダイジェスト版みたいなものばっかりでした。その時は科学者になろうということで受験の勉強ばっかりでやっていました。24歳かな、大学院を出て日本原子力研究所に就職して、そこに3年ぐらいいたのかな。それからアメリカのUCLAに、教授にコンタクトを取って移ったんですよ。で、そこでおかしくなって(笑)。
――…といいますと?
高嶋哲夫氏: ドロップアウトというか、勉強について行けなくて(笑)。「もうあかんな」って思い始めたころに周りに日本人の作家志望の人が随分いたんですよ。彼らの文章を読まされて、「こっちの方がいいや」と思った(笑)。物理の理論系っていったら本当に頭が良くなければとてもついて行けないんですよ。それで、もうどうしようかなって思っていたころに、そういう別の道もあるんだっていうようなことを目覚めさせてくれた人たちがいて。僕はすごく幸運でした。それで、「やってみようかな」ということで作家への道に行った。
――作家になられるということで、苦労はなかったのですか?
高嶋哲夫氏: 専門をチェンジするときには、当然、悩みますよね。特に30ぐらいで新しい道に進むっていうのは。でも、「まあいいや」っていう感じでしたね。
著書一覧『 高嶋哲夫 』