人生は学問だけじゃない。私の「ふらんす物語」
――フランスに行かれる前は、書物等でフランスに関する知識を得ていたのでしょうか?
橘木俊詔氏: なんでフランスへ行ったかというと、正直に言って、フランスに憧れていましたね。フランスの小説は高校や大学の時に読んでいてね。「フランスというのはすごい小説家がいっぱいいるな」と。画家とか音楽家とか。そういう体験というのがやっぱりフランスに私を行かしめた最大の理由だと思いますね。
――外国に住んでいると、土地になじむというか雰囲気を醸し出すっていうのがあると思いますが、先生はフランスに行って立ち居振る舞いが変わったりということはありますか?
橘木俊詔氏: 私はどう見てもイケメンじゃないからそんな感じはないですが。でもフランス文化にはやっぱりかぶれていましたね。
――当時日本にはアメリカ礼賛というところもあったと思うんですが。
橘木俊詔氏: 学問するのはやっぱりアメリカですよ。だから大学院はアメリカに行きましたからね。学問はアメリカに行って研究した方が良いと思って行ったんだけど、人生学問だけじゃないですよ。色んなことを楽しまないと。そうなるとヨーロッパっていうのはもう対極ですから。最初は勉強でアメリカへ行ったけども、勉強よりも人生を楽しもうという訳でヨーロッパに行ったっていうのがありますね。
――向こうでもたくさんご本は読まれましたか?
橘木俊詔氏: フランス語も読めましたから、フランスでも本は読んでいました。4年いれば誰でもできると思いますよ。でも帰ってきたらもう駄目ですね。当時はフランス語でセミナーなんかもできる実力があったけれど、日本に帰ってきたらフランス語を使う機会がない。どこの世界でも今や英語が主流でしょ。象徴的に言うんだけど、例えば20人の会議でフランス人18人と私がいると、私フランス語ができるからフランス語でも会議が成立するんですよ。ところが1人アメリカ人がいてね、彼がフランス語ができなかったらもう英語になっちゃうんですよ。それ位に英語が世界中を席巻していますからね。今でもレストランに行って料理を頼むとか、日常会話はできるけど、討論はできませんね。
――日本での学生時代や、留学時代も含めて、影響を受けた本や印象に残った本を挙げると何でしょうか?
橘木俊詔氏: 私は永井荷風が好きなんですよ。永井荷風というのは第一高等学校を受験で失敗していてね。おやじが官僚で東大に行けと言われていた。彼は勉強が大嫌いで、ご存じのように遊び人で、色々江戸の文化を遊んでいた男じゃないですか。彼はもう日本では駄目だと思ってアメリカに行って『あめりか物語』という本を書いたんですよ。ところがアメリカにもやっぱりなじめなかった。彼もフランスかぶれなんですよ。『ふらんす物語』って、もうフランスに恋憧れるような文章を書いていたでしょう。
――先生と共通点があるようですね。
橘木俊詔氏: 私も「自分は永井荷風とよう似とるな」と思いますね。文才は全くないですけれど。アメリカへ行ってもなじめたのは野球くらいですよ。どう考えても私もフランスへ行きたかった。永井荷風がやったようにアメリカからフランスに行ったんです。だからやっぱり永井荷風が「人生の恩師」という感じがしますね。
――先生にはいわゆる荷風のような「江戸趣味」はないのでしょうか?
橘木俊詔氏: それは全く違いますね。荷風はすごい遊び人でしたよ。彼は慶応の文学部の教授をやっていたけど、女とばっかり遊んでる奴はいかんという訳で首になってるんですよ。私はそんなにモテるタイプじゃないです(笑)。
――先生のゼミは、板書をされないなど独特のスタイルで行っているとお聞きしました。
橘木俊詔氏: 全部対話型です。私が問題提起して学生何人かに意見を言わせて、学生同士で討論させたり。それをいつまでもやっていたら時間がいくらあっても足りませんから、議論収束という形で、ひとつのテーマを10分か15分議論するということでやっています。
――ゼミ生は常に本を読んだり、勉強しておかないと意見が言えないでしょうね。
橘木俊詔氏: だからゼミに来る前にちゃんと読んどけと言ってますね。その知識を得た上で議論するっていうのであればお互いに確かめ合えるし、他人がどんなことを考えているかということを知るのは、彼らにとってもすごく良いことなので、討論型にしているんです。
――今まで多くのゼミ生、若い人に接して来ていると思うんですけども、学生は昔と比べてどのように変わってきていると思いますか?
橘木俊詔氏: 今の学生の方がまじめですね。昔は授業出てこない学生がいっぱいいましたからね。私は京大に30年位いましたけど、京大なんて自由な大学の代表ですからね。まあゼミは来ますけど板書をやる時の授業なんてのはあんまり来ない。ところが今は京大でも同志社でも学生はかなり来ますね。
――それはなぜなのでしょうか?
橘木俊詔氏: 就職が難しいから。やっぱり勉強しとかんとあかんという意識があるんじゃないですかね。バブルのころなんてうらやましい時代じゃないですか。今とは段違いですからね。そういう意味では学生はかわいそうですよ。
――よく今の若い人は本を読まないと言われていますけど、先生が教える学生に関してはそれは感じませんか?
橘木俊詔氏: 私は京大、同志社しか知りませんけどね。割合皆まじめに読んでいますよ。
紙のにおいに幸せを感じる。電子との選択の時代
――電子書籍の話をさせていただきますが、学生が読書をするということが大前提となる大学教育において、電子書籍が何か大きな変化をもたらすと思いますか?
橘木俊詔氏: 例えばですね、300人の授業の時に教科書で電子書籍っていうのを使えますかね?一人ひとりスマートフォンでできますかね?
――スマートフォンじゃ無理ですかね。iPad位の大きさがあればできるかもしれません。
橘木俊詔氏: やっぱりスクリーンが大きくないと。となると300人の集落ですからね。やっぱり大教室の授業もある訳ですよ。大教室の授業で全員机の前にスクリーンを置いてやるにはどうなんですかね。お金の面でも。
――例えば、先生が学生に何か意見を求める時に、タッチパネルなどを使って反応できるかもしれませんね。
橘木俊詔氏: それをやっている先生もいるんですよ。300人っていうのはとてもできないから、ちっちゃなクラスでやっていて。その反応で学生の出席を取るっていうんですよ。私の授業は全く出席を取らないんだけど、出席を大事にする先生もいる訳ですよ。そういう人は先生が何か発信して、それにリアクションしないといけない。彼に聞いたら彼はそういうマシンにものすごく強くてね。私は技術に弱いけど、そこまでいっているんですね、今の時代は。電子書籍は今後やっぱり発展していくんじゃないですか。でも電子書籍になじめない人もやっぱりいる。紙開けた時のにおいとね、やっぱりめくりながらというのに生きがいを感じる人もいるからね。電子書籍好きな人は電子でいけばいいし、紙媒体が好きな人は紙でいけばいいっていう選択の社会になるんじゃないでしょうかね。
――すぐに紙の本がなくなるっていうことはないでしょうか?
橘木俊詔氏: ないと思いますね。紙はもう1000年以上歴史のある媒体じゃないですか。ここ10年20年で紙がなくなるっていうことはないと思うわな。やっぱり紙のにおいで何か幸せを感じるじゃないですか。書き込んだりもできるし。だから私はやっぱり選択だと思いますよね。
――先生は電子書籍を読まれることはありますか?また先生が今まで出されたご本を電子化して、電子書籍として読みたいというユーザーがたくさんいるのですが、それについてはどう思われますか。
橘木俊詔氏: 私は電子化された本は読んでいません。専ら紙媒体ですけど、私の本を読まれる方は、どういう形でも、読んでくれればありがたいと思っています。
著書一覧『 橘木俊詔 』