至道流星

Profile

1976年生まれ、東京都在住。2009年に第七回講談社BOX新人賞にて大賞を受賞し、小説家デビュー。本業は会社経営者。主な著作に『大日本サムライガール』(星海社)『羽月莉音の帝国』(小学館)『雅の婚カツ戦争』(幻冬舎)『雷撃SSガール』(講談社)『好敵手オンリーワン』(講談社)『神と世界と絶望人間』(講談社)などがある。

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自分の小説の力で、若い人の人生に強い影響を与えたい



至道流星さんは1976年生まれの小説家で、2009年に『雷撃☆SSガール』(講談社)でデビュー、その後『羽月莉音の帝国』『大日本サムライガール』などの人気シリーズを執筆されています。本業は会社経営者であるという異色の経歴の持ち主でもある至道さんに、本について、電子書籍についてのお考えを伺いました。

気づいたら小説家になっていた



至道流星氏: 僕は本業の会社経営と小説家の二本立てで仕事をやっております。そもそも、小説家を職業だと僕は考えていないんです。本業の収入の方が柱になっているので。小説家は、気づいてみたらこの仕事をやっていたということで、自分としては非常に満足できる取り組みだと思っているんです。

――小説とは、ご自身と社会との接点というような表現をされていらっしゃいますね。


至道流星氏: そうですね。唯一の社会との接点であり、社会貢献にしようと思っております。僕は高校生のころからプログラミングの仕事をしてまして、高校を卒業してすぐに働き始めたんですね。大学にもその後入っていますが、19歳位のころから自分の会社をやっているので、そういう意味では経営者としてのキャリアは長いかもしれません。

――なぜ起業しようと思われたのですか?


至道流星氏: 高校生のころ、自分が社会的影響力を持てる人間になるにはどうしたらよいかということを考えた時に、経営者として、資本家として、現実的な力を世の中に行使していくような立場に就くのが、一番意味があるだろうと。自分は事業を起こして大きくしていくのが一番よいのではないかと考えたんですね。

マルクスの『資本論』を読んで、経営者の道に


――どのような経緯で、社会的影響力を持ちたいと思われたんでしょうか?


至道流星氏: 僕はませた子どもで、アダムスミスとか難しい本が好きだったんですね。高校時代、色々な古典をとにかくむさぼるように読んでいました。一番影響を受けたのが、マルクスの資本論でした。高校生の時に、授業中ずっと読んでいたんですね。「なるほど、社会っていうのはこういう風に成り立っているのか」ということが、自分なりに分かってきて、その中で、やはり自分が金持ちになることが影響力を持つ大きな行為であろうと考えて、事業の方面に早い段階で進んだという事情があります。社会に出て自分で会社を興して15年以上キャリアがありますが、実際に会社をやってみると大変ですよね。よい時もありましたし、悪い時もありました。そういうことが10年以上積み重なってきて、事業をやって金持ちになっても、それが即社会的な影響力に繋がるわけではないということも段々と分かってきました。後は、色々なことを見すぎてもう嫌になったのもありますね。だから、少年のころに抱いた目標がどうでもよくなっている部分もあります。いまではだいぶ人生の方向は変わってきてますね。

――どのように変わってきたんでしょうか?


至道流星氏: いまの僕の考えとしては、社会の汚い部分をいっぱい見すぎたので、あまり社会にはかかわりたくはないと思ってます。だから線を引いて、自分はもう社会とできるだけ接点を持たずに生きていきたいと思うようになったんです。ただ実際に何もしない訳にもいかないので、そういう意味で小説家業というのは、僕と社会との唯一の接点。社会貢献として、僕の唯一のものにしていこうとは思っているんですね。

――作品には、ご自身の経験が生かされていますか?


至道流星氏: 基本的には僕の作品は全て、自分の蓄積のみです。現時点で、いくらでも書いていける経験をこれまでしてきましたし、まだまだいくらでも、培ってきたものは出していけます。特に新たに取材をしたりとか、そういうことはあまり必要ないんですよ。

漫画の原作を書いてみないか?と編集者に誘われて


――小説をお書きになるきっかけというのは、どのようなことだったのでしょうか?


至道流星氏: 僕は以前、色々な仕事をやっている中で、いくつかの出版社の編集者とも付き合いがありました。あるとき編集者の一人からいきなり、「あなた、漫画の原作が書けるだろう」って言われたんですよ。漫画原作ってストーリー作りよりも、色々な経験とか知識とか、普通の人が見えないような部分こそがとても重視されるんです。それで、いきなりそういう話を振られて。最初は何を言っているか分からなかったんですけど。27か28歳位の時で、まだ僕もバリバリやってたころなんですが、そういう話を振られました。

――その時どう思われましたか?


至道流星氏: 何を思ったのか僕も、「何か面白いな」と思ったんですよ。それで、その編集者に言われるがまま、何の蓄積もないのに漫画の原作に取り組み始めたんですね。漫画ではドラゴンボールとか、ジャンプに載ってるような有名作は読んでいましたけど、それ以外のマニアックなものは全く知りませんでした。小説すら読まず、映画すら見ず、ストーリー作りにも全く縁がありませんでした。それなのに実際に漫画原作を始めたんですね。でも、ひとりで淡々と書いてた訳じゃなくて、その僕に指図してきた編集者がちゃんと担当について、1~2週間に1回くらいのペースで1時間打ち合わせをして、僕が定期的に書きためた漫画原作を、「これはよい。あれはダメ」みたいなことをチェックしてもらっていたんです。それを約1年間にわたってやっていました。

――書き方なども含めて、編集者の方がチェックされていたんですか?


至道流星氏: そんなに厳しく指導された訳でも、何か詳しいテクニックを聞いた訳でもないんです。僕が勝手に書きためたやつを「これはよいね、ダメだね」というのを見てもらっただけです。それで、1年間やってるうちに何か自分なりに分かってきたんですね。その後、形になったものもありますが、その時はそれで終わりまして、僕も忘れていたんです。それから数年経って、31歳位の時に、仕事でちょっと余裕がでてきたので、「ビジネス書でも書いてみようか」みたいな話がありまして、漫画原作の1年間で培ったノウハウを引っ張り出して書いてみたんですね。そしたらビジネス書っていうより小説っぽかったので、講談社BOXという賞に送ってみたんです。その賞は下読みを使わず編集者が直接読んでくれて1ヶ月で結果が分かる賞だったんですが、大賞をいただきまして、小説家デビューが決まりました。それで書いていたら、結構自分はできるなと思ったんです。自分なりのやり方が、あの1年間で確立されていたんですね。他のコンテンツにほとんど触れずインプット皆無の僕にとって、その約1年間のアウトプットが、クリエイターとしてのすべてになったんです。

著書一覧『 至道流星

この著者のタグ: 『漫画』 『出版業界』 『プログラミング』 『ライトノベル』 『きっかけ』 『小説家』

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