本が「商品」になってしまうのは悲しい
――廣瀬さんは電子書籍のご利用はされていますか?
廣瀬裕子氏: 1冊もというか、1回も読んだことがありません。
――電子で読むことに何か抵抗があるのでしょうか?
廣瀬裕子氏: いえ、多分出会いがないだけだと思います。基本的に紙媒体が好きなんです。紙の手触りとか、においなどが好きなので、今は紙媒体で良いかなという気持ちがあります。
――本はどちらで購入されていますか?
廣瀬裕子氏: ほとんどAmazonですね。そういう意味では、ネットは使っています。地方にいると、欲しい本はAmazonがないとやはり手に入りにくいです。でも、結局ネットは自分が欲しい本と、誰かが良いよと言ってる本しか買えない。自分の知っている情報は限られてますから、それ以外のものを求める時にやっぱり本屋さんがあってほしいと思います。でも実は、ある時から本屋さんに行くのがつらくなってしまっていたんです。
――その理由をお聞かせください。
廣瀬裕子氏: うまく言えないけど、以前は本は本だったんですけど、本が商品っぽくなったと感じた時があるんです。否定はしませんが、本誌より付録の方が大きいなど、そういうものばかりが並んでいると、簡単な言葉で言うと傷つくんです。何か大事にしていたものが損なわれてしまう気がして。書店は、本を売るというより、本と出会う場だと感じます。 自分にとって必要な本はランキングだけで決まるわけではないですから。皆が良いと思う本は良いものなのかもしれないですけれど、皆が気がつかないようなところにも良いものはあるし、実はそういう本の方が長く持っていたりするんですよね。
――今は、好きな書店はありませんか?
廣瀬裕子氏: 先日、トークイベントをするので、代官山の蔦屋書店に行ったんですが、噂通り居心地が良かったですね。本屋さんっていいなと思いました。コーヒーを飲みながら本を読んで、何冊も買いました。荷物を預かってくれる無料のクロークもあり、対応も親切。本当に本がゆっくり選べるよ、出合えるようになっているんです。東京に行く時はまた行くと思います。
――あらためて廣瀬さんにとって本とはどういうものですか?
廣瀬裕子氏: 友だちであり、先輩であり、先生でもあります。それもずっと見守ってくれる。何かを知りたい時、出合いたいとき、困った時に手を伸ばせば、答えや新しい世界、すてきな物語を教えてくれる。ページを閉じると何も言わない。けれど、そこにいてくれる。
――「そこにある」という存在感は電子書籍では得られないかもしれませんね。
廣瀬裕子氏: そうですね。たとえば、ある時、荷物整理をしていたりして、ふと思い出して本を手に取ることがありますよね。そこでページをめくると読んでいたときのことを思い出す。「ああ、こうだった」「あんなことがあったかな」などです。電子書籍だと、目的がないとその本にたどりつかないかもしれないですね。
「右肩上がり」ではない幸せを探求する
――3.11後は葉山で放射能に関する地域活動をされていましたね。
廣瀬裕子氏: 引っ越す前まではやっていました。いまは、葉山ではほかの人がやってくれているので遠くで見守っている感じです。自分の立ち位置が変わってきていると感じています。3.11が起き、あんな事故があり、大きく方向転換すると思っていのですが、意外に変わらない。 もしかしたら、個人レベルで変わることでしか、世の中は変化しないのかもしれないと思いはじめています。自分や自分の家族が満ち足りていくような世界になっていくのが、一番変化が早いのかもしれません。
――自己に向き合い、内面を追求するいうことは、廣瀬さんが最近本を書かれた「禅」にも通じるところなのではないでしょうか?
廣瀬裕子氏: 私は禅にたまたま会って。経済成長もそうですけど、今の世界は目標を設定してそれに向かって進んで行き、クリアできたら次に行くという右肩上がりを目指して来ています。でも「そうじゃない世界もあるんですよ」、いうのが禅です。そう言われた時、意識の組み換えをするのがとても大変でした。でも、大変でも惹かれたのは、もしかしたらその方が幸せなのかもしれない、本当の姿なのかもしれないと感じたからです。
――禅に関する本をお書きになったきっかけはどういったことでしたか?
廣瀬裕子氏: 担当の編集の方と話してるうちに、「実は座禅をやってるんです」という話になったんです。元々、仏教の本を出しませんかと言われてスタートして。最初は漠然とした感じでお話をいただいていたのですが、何度か会ってお話しているうちに固まってきました。
――編集者との気持ちの交流によって作り出した本なのですね。
廣瀬裕子氏: そうですね。すごくありがたかったのは、のんびりした出版社というか、のんびりした担当の人だっので、締切がなかったんです。ここ数年、仕事のリズムが速く、きつい時がありました。わたしの場合は、自分を損なっていく感じでした。でも、今回はそういうことがなて、私が納得しない時は止まったし、編集の方が納得しない時は止まったし、お互いが納得して次に進みましょうとできたのが良かったですね。だから、時間がかかってしまったんですけれど。
出会いはメッセージ、やっぱり人に興味がある
廣瀬裕子氏: 今回の本はデザイナーの方をどなたにするかで長い間止まったんです。最終的にこの人と決まるまで、結構時間がかかりました。山口信博さんという方にやっていただいたんですが、山口さんとの出会いは高松でした。高松で去年の秋に瀬戸内工芸祭があり、そのポスターを山口さんが作られていたんです。それを私が見て、「すてきなデザインだな」と思って。高松にいなければ、山口さんにたどりついてなかったかもしれません。しかも山口さんも座禅をなさっていたんです。
――何かに導かれた出会いのようですね。
廣瀬裕子氏: そうですね。私はそういうことはサインやメッセージのようなものだと思って大事にしています。
――最後に、今後のお仕事についてお聞かせください。
廣瀬裕子氏: やはり人に興味があるので、人の暮らし方や生き方、気持ちをテーマに、それを幹にして、枝葉を伸ばしていけたらと思っています。 春からの仕事では、瀬戸内海の島に豊島という島があり、そこに豊島農民福音学校というキリスト教を軸に農的な暮らしをしていた人たちがいたんです。今はなくなって子孫の方たちがいらっしゃるんですが、その子孫の方たちに取材をさせていただくことになっています。信仰と農と食べ物という、興味あるテーマなので、楽しみにしています。信じることが人の支えになったり、道標になるのはいつの時代も同じです。そのことを今だからこそ、もっと知りたいと思っています。
(聞き手:沖中幸太郎)
著書一覧『 廣瀬裕子 』