自分自身の表現力を磨くことで、人を幸せにする
平野秀典さんが作家活動や講演で追求しているのが「感動」の創出です。日本で唯一の「感動プロデューサー」として、感動することがビジネスにも好影響をもたらすという理論を説いています。平野さんに、作品を通して伝えたいこと、そして、元舞台俳優という異色の経歴も踏まえて、さまざまなステージに立つ表現者としての想いをお聞きしました。
感動は音叉の共鳴作用
――早速ですが、「感動プロデューサー」のお仕事について教えていただけますか?
平野秀典氏: シンプルに、「感動を生み出す人を生み出す」ということです。よく、お涙ちょうだいの話をして回る人みたいに誤解を受けるのですが、自分が感動を生み出すだけではなくて、感動を生み出せる人をたくさん作ることを目指しています。私にかかわって学んだり気づいたりした方が、周りの人に感動を生み出すことを続けていければ、ちょっとした世の中への貢献ができると考えています。
――「感動プロデューサー」で登録商標を取られていますね。
平野秀典氏: 特許庁で、Rマークを取ってありますので、使うには許可がいります。昨今、こういう肩書を真似してよからぬ稼ぎをやろうとする人がいるので、申請しました。
――感動を生み出すことの重要性に気づかれたのはいつだったのでしょう?
平野秀典氏: 演劇をやっていた時に、観客が感動して、エンターテインメントなのに「人生が変わりました」と言われました。感動することは人にとってすごく価値があることだと感じました。脳にもいいし、もちろん心にもいい。例えばマイケル・ジャクソンのショータイムを見ると、人生が変わるような衝撃を受ける。私も映画の主人公の生き方にどこかであこがれて、何かの選択の時に参考にしていることがあります。
――その感動が周りにどのように伝わっていくのでしょうか?
平野秀典氏: ちょうど音叉の共鳴作用みたいなものがあります。私が演劇と会社員生活の二足のわらじをはいていた時に、社内で「商品を表現する」という切り口のセミナーをして歩いて、会社の業績をV字回復させたことがあるんです。説明ではなくお客さんが感動する表現力を伝授するという変わったセミナー(笑)。全国に支店があるメーカーでしたけれど、その動きが自然発生的に広がって、全国の各支店長から私の支社に「平野を呼べ」という話になった。お客さんの前に社内で口コミが広がった。私が輝きながら自由に表現をする姿を見て、社員たちが「ああ、こんなふうに表現していいんだ」ということに気づいて、そこから先は気づいた人たちが、自分なりの商品の表現のしかたを生み出し、実績を出していく。社内に「スター」が何人も誕生しました。私の仕事は、社内に共鳴作用のきっかけを作る表現者であり、商品の魅力を伝える演出家の役割でした。
子どものころからすべてつながる「一筆書きの人生」
――小さいころはどのようなお子さんでしたか?
平野秀典氏: 子どものころ、おじいさんがすごく手先が器用な人で、写真を撮ったり絵を描いたり芸術的な作業をしていて、プロじゃないのに突き抜けたレベルだった。それを見た人がすごく喜んでいて、私も、自分がやったことで人に喜んでもらいたいと思いました。おじいさんはマジックもやっていたので教えてもらって、小学生の時に友達に見せて、めちゃくちゃ喜んでもらえました。それで大学ではマジック研究会に入りました(笑)。
――大学では演劇はされていなかったのでしょうか?
平野秀典氏: 大学の時はマジックだけでした。動機も単純で、女の子にモテるから(笑)。おじいさんから教わって心得もあったし、ぐんぐん上達して、カードやコインを使うテーブルマジックをやって、ステージマジックまでやっていました。ステージを借りて、照明を使って、マジックショーをする。それが、後で思うと芝居の基礎になっていた。マジックって角度によってタネがばれたりする。だから、自分の体の向きとか動きを常に客観的に見ることを、自動的に鍛えられたわけです。
――演劇を始められたきっかけはどういったことでしたか?
平野秀典氏: 普通に社会人になって、たまたま友達から「面白い芝居があるから見に行かないか」と誘われて行ったのが、つかこうへいさんの芝居だった。それを見て「背中に電流が走る」という表現がありますが、本当に比喩表現じゃなくて電流が走った。号泣しました。役者の表現力に感動しまくって、「人間ってこんなに豊かな表現ができるんだ」と感じた。友達5、6人で行って、帰り道に皆でお茶を飲んだんです。普通は「いい芝居だったね」とか「いい映画だったよね」っていう話になるものですが、そうではなくて「芝居をやりたいね」と言い出した友達がいて。気がついたら劇団を旗揚げしていました。今考えると何か不思議な運命の力を感じますね。
つかさんに鍛えられた役者さんたちを身近で見て、表現することはどういうことなのかを学べて、すごく楽しかった。だから、おじいさんを見て、人に喜ばれたいと思って、マジックをやって、芝居をやるまで私の人生がすべてつながっているんです。私の生き方は、1つ1つの点はバラバラですけれど、線でつなげると完ぺきに今につながっている「一筆書きの人生」なのです。
私の職業は「人生」です
平野秀典氏: もっと言うと、中学から高校まで空手をやりながら陸上競技をやっていた。陸上競技はハードルをやっていたんですが、空手の動き、例えば蹴る動きって走りの動きを大きくした動きなんですよ。上半身のひねりと、下半身を最大限に使ってバネをためて解放する動きで、走る動作と原理的に同じになる。それを知ると陸上のタイムが伸びるし、空手の上達も早くなる。共通した本質に気づく喜びを知って、同じことを1つだけやることが我慢がならなくなった。常に何か違うことをやっていると面白いことが起こるから、芝居だけじゃだめなんです。だから、会社でマーケティング担当というビジネスマンと両立しました。両方やっているということが大変心地よかった。「本質を見る」と言っても、堅いノリじゃない。その方が人より早く気づけるから楽しい。できれば3つぐらい何か同時にやると、さらに人が気づかない本質に気づきます。でも4つ以上になると収拾が付かなくなる(笑)。「3つを融合せねばならん」とか言っていると、たぶんつまんなくなってくると思いますが、楽しい趣味が3つあったら、別に3つやっても苦にならないでしょうという考えです。
――並行して複数のことをすることで、1つ1つの仕事にも良い影響があるということですね。
平野秀典氏: ただ、演劇をやっていた当時は「本業は何ですか?」とよく聞かれました(笑)。役者をやって、セミナー講師をやって、本を書いていましたから。それで、面倒くさくなって、「本業は『人生』です」って言うことにした。それ以降質問が止まるので、「あ、これはいいな」と思ったんですね(笑)。でも、そのうちに、本当に本業って人生だよなって思うようになりました。仕事を本業にして、人生を副業にしている人が多いかもしれないなと思い始めた。私は「人生は舞台」っていう本質からいろんなインスピレーションがわくんです。人生自体が1つの舞台で、その中に仕事のシーンがあって、家庭人としてのシーンがいて、友達と遊んでいるシーンがある。だから本業である人生を輝かせるために、各シーンをうまく演出していきたいなというのが考え方のベースになって、すごく楽になりました。
著書一覧『 平野秀典 』