保坂展人

Profile

1955年、宮城県仙台市生まれ。世田谷区長。高校進学時の内申書をめぐり、16年間の「内申書裁判」をたたかう。教育ジャーナリストを経て、1996年より2009年まで衆議院議員を3期11年(‘03~05年除く)務める。2011年4月より現職。『闘う区長』(集英社新書)、『いじめの光景』(集英社文庫)、『続・いじめの光景』(集英社文庫)、『ちょっと待って!早期教育』(学陽書房)、『学校を救え!』(ジャパンタイムズ)、『学校だけが人生じゃない』(結書房)他著書多数。

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ネットとリアルの相互作用で、社会は少しずつ組み替わる



今回お話を伺ったのは東京都世田谷区長の保坂展人さん。全国的に注目される、住民による小単位の集会やワークショップによる熟議をベースにした政策決定の手法、そしてその際に大きな力を発揮するSNS等による情報発信についてお聞きし、電子メディアがもたらす、知と人と人との関係の変化に関するヒントを探りました。また、国会議員時代、幅広い問題について詳細に調査して多くの質問をした保坂さんの勉強法についても伺いました。

区長の業務は「一騎打ち」の連続


――区長に就任されてから2年になりますが、選挙戦は東日本大震災の直後でしたね。


保坂展人氏: ちょうど選挙中、福島第1原発がメルトダウンという大変な状況だということがだんだん分かってきて、連日のように余震も起きていました。脱原発や自然エネルギーへの転換といった主張で区長選に勝つということは、当時非常に珍しかったわけですけれども、ここで大きく変わらなければにっちもさっちもいかないんじゃないかという意識が非常に強かった時期だったと思いますね。

――どのような2年間でしたか?


保坂展人氏: 比較的順調にスタートすることができたと思います。首長は、スピーディーにトップダウンしていくというやり方が評価されがちですが、私の場合は熟成型というか、ボトムアップで、できるだけの多くの声を集合して1つの判断につなげていくという方式をとっています。20人から40人くらいの「車座集会」と名付けた小さな住民集会を27か所でやったり、去年も30か所くらいで政策テーマについての意見交換をやったり、区民と話をする接点は非常に増えたんじゃないかなと思います。区長へのメールもたくさん頂いて、毎朝それを見ることから1日が始まります。情報発信という点でも、2年間で30数回記者会見をやって、情報のキャッチボールを円滑にすることを心掛けてきたつもりです。人口89万人という大きな都市なので、全員とコミュニケーションすることはできませんが、できるだけ区民の気持ちをつかみながらハンドリングしていくというのが特徴だと思っています。

――首長としてのお仕事は国会議員時代とは大きく異なりますか?


保坂展人氏: 国政は、議員全体で722人いて、衆議員だけでも480人いますよね。ですから、与党側野党側に分かれて、それぞれの軍団が陣取り合戦をやっているイメージです。そうすると誰かが先兵として闘ってる時は、自分は後方で休むことができる。あるいは陣地は誰かに守っててもらって、遠くに出かけることもできる。日本全国、海外も含めて色んなところを見に行っていました。

首長は1人しかいないので、代わりがいないところが全く違いますね。区長としての判断を1日でいくつもしていかなければならなくて、陣取り合戦じゃなくて相手が次々と入れ替わる一騎打ちを延々とやっているようなものです。国政は、役所の組織の中で上がってきたものに判子を押す側面が強いと思いますし、これまでの区長も、もしかするとそういう面が強いかもしれないんですが、私の場合は、10件、15件に1件くらいは、「これは出直して考え直してみよう」ということで、仕切り直しをかけています。その分、もっと忙しくなるわけです。区の職員の中には、そういうスタイルに戸惑いもあったんですけれども、段々と定着をしてきたかなという気はしますね。

偉人伝を読んで「人がやらないこと」に興味


――保坂さんの幼少時の読書体験についてお聞かせください。


保坂展人氏: 私は宮城県の仙台市で生まれて、世田谷区の桜上水の幼稚園を出ています。小学校1年生の頃から武蔵小杉から麹町まで電車通学をしていました。その電車の中で、学校の図書室にある本をかなり読んだ記憶がありますね。

――どのような本がお好きでしたか?


保坂展人氏: 特に小学校3年生、4年生くらいから偉人伝をよく読む様になって、あとは『シートン動物記』とか『ファーブル昆虫記』といった自然物を読んでいました。5年生くらいになると歴史物ですね。図書室の本を、並んでいる順に端から手当たり次第読んでいくんです。読むのが速かったので、2冊くらいずつ借りて1日1冊か2冊読んでいました。さらに5年生の頃に引っ越して、相模大野から麹町まで通うことになって、電車通学の時間が長くなったので読む量も増えました。6年生くらいになると、図書室の本を、全部とまでは言わないけど、分厚い百科事典みたいなのを除いて、読み物関係は大体読んだと思います。それは中学生になっても続きました。私の父が小説家になりたかった人で、小説の類が家にたくさんありました。例えば太宰治を全部読んでみるとか、1人の作家が気に入ると全部読んでいました。

――幼少時の読書がその後の人生に影響を与えたと感じられることはありますか?


保坂展人氏: 本を読んで自己形成することは大事なことなのではないかなと思います。特に私の場合は、小学生の頃に読んだ偉人伝の影響が強くあります。世の中に出て色んなことをする人は、大体変わったエピソードを持っていますよね。だから、どうも自ら人がやらないことを目指したところがあります。無謀と言えば無謀なのですけれども(笑)。
今は教育についてもちろん責任がある立場で、教育委員会とも色々話しながら、子ども達のことを考えていく立場ですけれども、私自身は学校の授業を受けた時間が極端に短いんです。大体、中学校2年生終盤までで終わってしまっています。あとは先生と議論したり、本を読んで勉強したんです。同世代から見てもかなり特異な自己形成をしていると思います。今の子ども達は、なかなか本を読む環境がなくて、どうしてもゲームなどに向かう時間が長い。だから、大人の側が子ども達に読書へのきっかけを作ることが必要なのかなと思います。区長になって、学校に行くと必ず図書室に行きますけど、良く本がそろっている図書室もあれば、なんかちょっと古いな、と感じるところもあって、差がどうしてもありますね。

本を読まなくては議論ができない


――大人になってからも読書から得るものは大きかったのですか?


保坂展人氏: 20代でジャーナリストになって、学校に絡んだ取材をしていたのですが、例えばコンピューター教育について取材に行くとか、学校建築について取材に行くとか、様々なテーマがあるんです。そういうときは、目途としてそのテーマの本を最低5冊くらい読んでから取材していました。5冊くらい読むと、色んなことが聞ける様になるんです。インタビューも、複数の本を読んでから会う様にしていて、その中で色々なことを学んでいきましたね。

――国会議員になってからは、さらに扱うテーマが広範になったのではないでしょうか。


保坂展人氏: 世の中というのはすごく複雑で、教育や子どもの問題については、ジャーナリストとして本を出したりテレビに出たりしていたので、それなりのことは言える立場になっていたと思います。しかし、国会では、例えば外交とか金融とか幅が広い。野村證券事件とか第一勧銀事件とか、総会屋が絡む経済犯罪の証人喚問の役割がいきなり回ってくるということもあるんです。私は特に法務委員会に長く属したんですけれども、民法、商法、刑法と、森羅万象を法で括る様な専門的な話が多いわけです。だから法改正の問題でも、何の法改正なのかを理解するまでが大変なんです。質問するためには、やっぱり本は読まざるを得なかった感じです。何も分からないで原稿を読み上げている人もいますが、自分で本を読んで勉強しないと、活気のある議論ができないですからね。

知的作業には「コンシェルジュ」が必要



――議会で多くの質問をしたことから「国会の質問王」でもあった保坂さんですが、短時間で複雑な問題について勉強するコツはありますか?


保坂展人氏: 今日頼まれて明日質問しなきゃいけないという場合もありますから、自分で10冊、20冊の本は読めなくて、せいぜい2、3冊になります。そういう時は、まず議員の中に金融でも外交でもそれぞれの専門家がいますから、ものの見方、考え方についてのイロハを教えてくれる話し相手になってもらうのです。それによってフォーカスを絞ってから、国会図書館で関連する本を出してもらう。私は日本で最高のシンクタンクは国立国会図書館だと思っています。「知のコンシェルジュ」みたいな方が沢山いらっしゃるんですね。コンピューターではなくて、分業で1つの課題に向けて調査する時は、それを操る立場の人間が必要なんです。児童虐待防止法や国家公務員倫理法を作るときも、国会の職員とか国立国会図書館の調査員の方にお願いをして、集めた情報を組み立てていくのは非常に面白かったですね。

――最初の問題設定と、調査のコーディネートの両方が適切に行われなくてはならないのですね。


保坂展人氏: 麻生政権の時に、いわゆる「かんぽの宿問題」がありましたよね。その問題を調べている時に面白かったのは、相当な知識を持って、教育を受けている専門家はたくさんいるんです。なのに、そういう人達がコロッとだまされる一言があったんです。それは、かんぽの宿は競争入札で価格が決まったので、マーケットメカニズムで決定した価格を安すぎると言ったってしょうがないという論調だったんですよ。ところが資料を色々見ていくと、まず入札の日が無かったんですね。入札日が決まっていない入札が、競争入札と言えるのかどうかっていうところから始まって、実際に調べていったら、最初に競争入札をかけたと言われている物件リストには、世田谷のレクセンターが入っていた。結構広いところで、私もプールなんかよく行っていて知っていたんですが、最後に売却したリストの中にはなかったんです。競争入札っていうのは、売りに出したものに対して、「せーの」で入札するものですよね。でも100で出して、入札の結果99で手を打っている。これは競争入札と言えるのかっていうのを疑問に思ったんです。それで当時の日本郵政の責任者、全国銀行協会の会長を2回やった西川善文氏に、「これは入札じゃないですね」って言ったら、「はい、まぁ入札に限りなく近いものです」と。この一言をとるために、2週間くらい掛けて会計や契約法規とかの専門家に意見を聞いてやったわけです。

一瞬にして情報が広がるネットに驚き


――保坂さんは、ブログやSNS、Twitterなどネット媒体を活用した情報発信にも力を入れていますね。


保坂展人氏: 今、朝日デジタルという朝日新聞のサイトで、初めてウェブ連載らしきものをやっています。面白いのが、ある電力問題について書いたとき、昼の2時くらいにアップされて、5時くらいにはFacebookのおすすめが1000を超えていました。「なんか勢いがあるね」と思っていたのですが、夜に見たら3000、次の朝見たら5000になっていて、またその夜には10000になっちゃった。そのサイトでは大体おすすめは1桁台が大半で、2桁でになると多い方らしいのです。だから、世の中的に欲しい情報は、必ずしも新聞に出ている情報ではないということを思いました。

――電子媒体の可能性はどういったところにあるでしょうか?


保坂展人氏: 即効性と、広がりの速さでしょうね。やはり1分間で30人がリツイートしているのを見ると、関心がある人がフォローしているのだな、と感じます。例えば、子どもの声がうるさいという理由で、「園庭で遊べない」という話を聞きました。これは本当におかしいなと思って、Twitterで書いたことがあるんですが、リツイートがすぐ、千数百になって、全国から同じような事例がどんどん来たのです。子どもに対して不寛容な社会になっているということが、だんだんわかってきたんですね。

――今まで顕在化していなかった声が、Twitterによって現れてきたんですね。


保坂展人氏: 私は、長いこと講演会とかシンポジウムで色々なことを話してきましたが、1、2時間で何かを伝えるというのはなかなか難しいことです。「良い話でした」と言って帰られるのですが、やっぱり私としては聴衆に一部分しか伝えられていないと思いますね。本質の話に至るまで、どうしても時間が必要なのです。だから通常の時間では、足りないと感じてしまいます。ところがTwitterで議論をした時に面白かったのは、議論のゴングが鳴ると、もう次々と意見が出てきて、それがきちっとレールの上に乗って、いきなり本質論に入れるのです。つまり、その問題について普段考えている人が集まっているので、非常に濃い話ができました。以前は、最初に2時間とか3時間、色々データを見せたりしながらやらなければいけなかったことも、元々そういうことを話したいと思っていて、宿題を何回もやってきてくれた人が集まってディスカッションできる、そういう効用がTwitterにはありました。



ただ、落とし穴もあって、例えば、インターネットが普及した95、6年以前の情報が極端に少ないということがあります。それ以前の記事は検索しても出てこない。でも、存在していないわけではないんです。若い人は全てがネットにあると思っている部分があるのかもしれません。そこはちょっと割り引いて考えてもらった方がいいと思います。ネットは、全てのことを網羅していません。いわゆるSNSだって全てのことを網羅しているわけではない。私はSNSやTwitterでは、区民に対する情報や、時代や社会に関する発言をする場として割り切っていまして、今何をしているとか、ラーメン食べたとか、そういうことも書かない様にしています(笑)。ネットとリアルの組み合わせが非常に大事だと思っていて、ネット上のやり取りを生の声でぶつけ合って、お互い耳を傾け合う空間を作るということもやっています。

区民との協働。世田谷区発、全国へ


――最後に、今後の展望をお聞かせください。


保坂展人氏: ここのところ、区政の「基本構想」を作る作業をしています。先日審議会の答申があったのですが、その策定の過程では、朝10時から17時までという結構長い時間、ワールドカフェ方式で世田谷区の未来像を語るテーブルが設けられました。無作為にご招待をした1200人の中から応募された約90人、20テーブル皆さん熱心なんです。そこで話題になっていたのは、障がいがある人がどうすれば過ごしやすくなるかとか、高齢者が1人暮らしで大丈夫なのか等、非常に身近な関心事です。自然エネルギーのことも話題に上りました。90人近く、それぞれの20グループが、20年後の世田谷区、これからのビジョンをイメージにしてくれました。とても質の高い議論の場になったと思います。今の日本社会の閉塞状況、特に若者が元気が出せない状態になっていたり、子どもを育てることに、非常にプレッシャーがある社会だったりすることを、嘆いていたり恨んでみても仕方がないので、お互いが少しずつ立ち位置を変えて、組み替えをすることによって流れを良くしていかなければと思っています。

例えば行政に対する住民の苦情に対して、行政が身構えるという関係を、協働の関係、「一緒に考え、つくる」という関係に置き換える。そうすると、お互いの力が活きるわけですね。構えるという姿勢では両方1歩も動かないわけです。社会を変えるというのは、現実、具体的に変えるということなのです。今、区民の中から少しずつ出てきた、空き家活用への流れ、公園の設計に参加したいという声、子育ての支援策に関する声を、少しずつでも実現していきたいと思っています。社会全体を一気に変えることはすごく難しいけれども、ちょっとしたきっかけであっても、世田谷区がそういうことができる地域にまずなることによって、日本全体にも連鎖作用を及ぼしていけるのではないかと思っています。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 保坂展人

この著者のタグ: 『ジャーナリスト』 『可能性』 『ソーシャルメディア』 『政治』 『行政』 『教育』 『コンシェルジュ』 『世田谷区』

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