書き手はピッチャー、編集者はキャッチャー
――加藤さんは電子書籍は利用されていますか?
加藤典洋氏: 僕のよいところは軽薄な新しがり屋で、ガジェット好きなところでしょう(笑)。電子書籍も読んでいますし、何にでも手を出すほうです。学生にはiPadを使っている人が多いのでそれをあてにしてゼミノートという少部数の週刊誌を編集し、電子媒体で配布してもいます。富士通のScansnapは2つ持っていて、電子化もやっています。ただ、Kindleなんかがそうですが、持って歩くには良いけど、ページが変わってしまうので論文には使えない。引用の頁指示ができません。まだ本格的に使うところまでいかず、試用期間が長く続いている状況です。
――電子書籍が普及していくことについて、何かお考えはありますか?
加藤典洋氏: 電子書籍で読むという読み方が広まっていくのは良いと思いますが、どう考えても紙媒体は消えないでしょう。今の状態は、紙媒体と電子媒体が重なっていますが、2つあることから新しい価値が出てこないまま、しょうがなく2階建てになっている。そういう消極的な二極体制、ダブルスタンダードのまま、お金と時間だけがかかっている状況です。これがまずい。紙と電子が両方あっていい。その両方があることのメリットをもっと積極的に追求し、この二極体制をもっとスマートに作り上げる方向をめざしてはどうでしょうかね。
――紙と電子が両方あることのメリットには、どういったことがあるでしょうか?
加藤典洋氏: パピルスの時代からグーテンベルグの時代へと、書き言葉は紙媒体にずっと載っていました。それが今度、モニターに映る電子文字に変わりました。でも、媒体が変わると文章を読むスキルと感受性も変わってくるものです。例えば、日本では明治以前に、黙読という読み方は存在しなかった。素読といって文字というのはまず意味を考えずに読み上げるものだった。それで、明治生れのおじいさんが新聞を読む時に口を動かすのを、孫が不思議なものを見るように見るという光景が大正期になって生まれました。孫のほうは、黙読世代なので、音読するおじいさんが珍しいわけですね。だけど、素読がなくなると、それによって失われるものも出てきて、それが新しい読み方を作りだす。音読、朗読会というのがそうでしょう。いま、詩の朗読の可能性が別なふうに追求されはじめているのは、活字が今度電子活字に席巻されるという新しい世代交代が再び起こってきていることと、実は関係があるのだろうと僕は見ています。活字と写真、音声、映像の組み合わせの感受性などでも、若い世代では明らかに違いはじめています。そういうなかで、本が、紙媒体として、その特色をますます発揮する方向と、電子化されて新しく生まれてくる可能性を発揮する領域と、二極分解してきます。その二極分解を、楽しまないといけない。それは、漁場を作りだす潮目のようなもののはずです。異質なもの同士の交通の空間ですからね。そういうなかで、完全に紙から電子に変わっていくべきだとか、いや紙のままでいるべきだとかという主張を聞いてごらんなさい。とてもマッチョに聞こえるでしょう? ともに古いからです。話を聞いていて、ブックスキャンという会社のやろうとしていることも、ほんとうは両方をめざすということだろうと思うんです。紙で読むものと、モニターで読むものと二つ媒体を用意できる。本が本当に機能するためには別の形も取れる、「王の二つの身体」ではないけれど、本も、「二つの身体をもつ」ようになりましたよ、ということだと思うんです。
――電子書籍によって本作りの形態、編集者と書き手の関係も変わっていくでしょうか?
加藤典洋氏: 編集者はやっぱり大事です。関係が変わるとしたら、両者の関係が深くなるように変わるといいと思いますね。変わるか、変わらないかではない、深くなるように変わるにはどうすべきか、と考えるほうがよいんです。僕なんてものを書きはじめた頃は、編集者はみんな年上で上から目線でいってくるのでよくぶつかって喧嘩したものです。そうさせてもらえたことがとてもありがたかった。自分が年上になってくると若い編集者が何も言わなくなってくるので、非常にさびしい。でも、電子媒体のことでは、僕などより若い人のほうが、よくわかっているはずですね。そこに対等な新しい協同作業の可能性がある。だから、対等感覚をもち、しかも、紙媒体での当方の経験にそれなりにしっかりとリスペクトを払ってくれる、そういう新しいセンスの編集者が出てくるとありがたいです。
僕が、この年になって一番選ぶのは編集者ですね。出版社でも、出版の条件でもないです。先に述べた音楽の本など、編集者との関係だけでできたようなものです。でもその編集者との関係を保障するのは日本のシステムのなかでは出版社です。「人」とのつきあいが第一で、それを支える「場所」があることが次に大事です。
僕は、編集者はキャッチャーだと思うんです。キャッチャーがよくなかったら、よいピッチングはできない。よければ実力以上のピッチングができます。でもこれからの編集者は、僕のように60過ぎの書き手のばあい、みんな自分よりは若い。若いことのメリットが電子の領域にはある。そこに、紙と電子の共生と、協同の可能性があるんじゃないかと思うんですけど、どうでしょうかね。
(聞き手:沖中幸太郎)
著書一覧『 加藤典洋 』