自分のリズムに合った本を見つける
――子どもの頃は、よく本を読みましたか?
玄田有史氏: 全然、読みませんでしたが、不思議と書くのは苦ではありませんでした。「太郎君は花子さんに何分後に追いつくでしょうか?」というような算数も出来なかったです。文章を読むのが嫌いで、算数でも文章問題が苦手でしたが、中学・高校になって、太郎と花子がXとYになった瞬間にすごく得意になりました(笑)。
――印象に残っている本はありますか?
玄田有史氏: 浪人生の時に読んで好きだなと思ったのが、志賀直哉の『暗夜行路』。タイトルに惹かれ、本を手にとったのですが、初めてきちんと読んだ本でした。それまで読書は、知識を得たり学んだりするためという感覚がありましたが、暗夜行路は、文章に身を委ねる心地良さのようなものがあり、文章のリズムが良いと感じました。
自分は本を読んでいなかったのに、人には「古典は読んでおいた方がいい」と僕は勧めています。相性のいい古典は、読むたびに何か新しい発見がある。文章のもつリズムが発見を生み出すのだと思いますし、そういうリズムをもっている人は、大人になってから強いのです。生活において、リズムが狂うことはよくありますが、そのリズムを元に戻すのには、本が大きな威力を発揮すると思います。自分のリズムに合った本に目を通すだけで、リズムが戻る時もあります。古典が読み継がれてきた理由は、その心地良いリズムにあるのではないでしょうか。流行りの「よく分かる本」もいいけれど、自分のリズムを取り戻してくれたり、自分のリズムの源になるような本に出会えた人は、きっと幸せなんだろうと思います。
――相性のいい本に出会う方法はありますか?
玄田有史氏: まずは、長年読み継がれているものを読んでみること。あとは、自分の勘を信じること。タイトルでも、書き出しの1行でもいいのですが、見た時に「これは自分に合う」と思うものに賭ける。もし読んで違うと思えば「次行ってみよう!」でいいのです(笑)。
僕は本を知識や教養のために読んだ記憶があまりありません。ただ、自分が本で救われたような感じがあるのも事実で、しんどい時に本でリズムを取り戻すことが今でもあります。
――先生の言葉にも独特のリズムを感じますが、その表現力はどうやって培ったのですか?
玄田有史氏: 僕は外国に行っていたことがありますが、全くコミュニケーションがとれませんでした。何が言いたいのか日本語でも分からないのだから、英語で言って伝わるわけがないと思いましたし、それは英語が出来ないという問題ではなく、僕の日本語の問題だと思いました。それから、言いたいことを伝えるために一番シンプルな表現とはなんだろうと考えるようになりました。
初めて大学教員になった時、僕は全然授業が出来ませんでした。大きな教室で授業しても、学生は来ない、来たとしてもうるさかったり、あるいは寝たりしていていました。これでは全然ダメだと思って、ある時70歳近い歴史の先生に「何を考えて授業や講演をされていますか?」と聞いてみると「授業で話そうと考えていることは、いつも3つくらいで、あとは学生を見て、今日は2つ、いや、今日はノリがいいから4ついってみようか、という感じ」と言われました。その時、自分がそれまで全く学生を見てなかったことに気付きました。学生にきちんと教えたいという気持ちはあるので、準備はバッチリしていきましたが、本当は「先生、間違っています」と言われないようにしたかったような気がします。授業中もずっとノートを見て、学生の反応を見ていなかった。それに気付いてからは、ノートをもっていくのをやめ、できるだけ学生の顔を見ながら授業をするようになった。すると、学生と意思疎通が出来るようになり、授業もそれなりに出来るようになった。そういった失敗の積み重ねが、自分の表現力を鍛えていったのだと思います。
電子書籍に必要なのは「ガッツ」
――本を書く時に大切にされていることはありますか?
玄田有史氏: 僕の処女作は2001年の『仕事のなかの曖昧な不安 揺れる若年の現在』でした。それを読んだサラリーマンの友人に「この本には、自分たちがいつも思っていることが書いてある。これまで漠然と思ってきたことが、それほど間違っていなかったんだと思えて、なんだかホッとする」と言われました。最初は、何か気の利いたことを書こう、大学教授らしい文章を書かなければいけないと思っていたのですが、別に立派なことを書く必要はないと思うようになりました。
――講演される時はどうでしょうか?
玄田有史氏: 最近は中学や高校での講演を頼まれることがありますが、ある時、中学校での講演が終わった後に、学校の先生に僕の講演について感想を聞いたんです。すると、その先生は「今日大学の先生が話したことは、日頃、先生が言っていることと全く同じだろう、と今から終礼で生徒に言ってやります」とおっしゃいました。つまり、世の中の大事なことは普遍的であり、同じことを親も、先生も言うわけです。それで、全然立場の違う人から「やっぱりそうだ」と言われると、納得できる。大事なことを、いろいろな立場の人たちが言うことが大切なのかなと思います。
――電子書籍について、思われることはありますか?
玄田有史氏: 僕は本の装丁にこだわる方なので、電子書籍の装丁についてはすごく気になります。コンテンツをとり巻く周辺、装丁や折り方を、どうやって電子書籍が表現していくんだろうということに興味があります。その点は電子書籍のディスアドバンテージなので、それをどう乗り越えていくのか興味深いです。電子書籍だから出来ることが、きっとあると思うので、そこに期待したいです。
あとは、使う側の問題もあると思います。SNSが出た時に、これで世界中の人と繋がりがもてると言われましたが、SNSさえ使えば自動的に世界が広がるほどインターネットは万能ではなく、それを使いこなせるものをもっている人たちがいて、初めて実現する。電子書籍も、電子書籍を読みこなす人たちが出てくれば、電子書籍は変わるのではないでしょうか。
――電子書籍に足りないものはなんでしょうか?
玄田有史氏: ミュージシャンの山下達郎は、デジタル録音を使いこなすのに何十年もかかったと言います。「音がクリアすぎて、ガッツがない」と彼は言います。電子書籍も同じように、書き手、流通する側、あるいは読み手のいずれの問題なのかは分からないですが、ガッツが足りないような気がします。
いろいろなものとコラボレーションしてメディアミックスなどを考えていくのは、村上龍さんなどはすでにトライしているようですが、そうやって本の大人しさを破ろうとしているのではないでしょうか。もち運び安さや便利さだけでは、電子書籍に未来はそれほどないような気はします。便利さは、必ず次の便利さに追い抜かれていくので、便利さプラスαの何かがなければいけません。