小笠原喜康

Profile

1950年、青森県生まれ。 北海道教育大学釧路分校小学校教育養成課程卒業、東京芸術大学大学院修士課程教育学研究科修了、筑波大学大学院博士課程教育学研究科満期退学。 金沢女子大学専任講師等を経て、現職。 教育認識論、教育メディア論、博物館教育論、論文論等を専門とする、博士(教育学)。 『大学生のためのレポート・論文術』(講談社)、『就活生のための作文・プレゼン術』(筑摩書房)など、学生向けの論文術をまとめた著書も多く発表している。 博物館教育にも強い研究的関心を持ち、杉並区科学館基本構想策定懇談会会長なども務めた。

Book Information

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私は電子書籍の「伝道師」


――小笠原さんは電子書籍をお使いになっていますか?


小笠原喜康氏: iPad miniを持っていて、電車の中でも本が読めるので、いつもかばんに入れています。私は昔からものをたくさん持って歩くのが嫌いで、どこへ行くのもこれ1つです。電子書籍は、最近ではマーカーが引けたり、ブックマークもできるので便利です。

――電子書籍は書き込みができないから敬遠しているという方も多いようです。


小笠原喜康氏: まだ知らない人が多いです。今は全部書き込めるし、大きさも変えられる。だから会う度に「改めなさい」と、伝道をしているんです(笑)

――紙の本をスキャンする、いわゆる「自炊」もされていますか?


小笠原喜康氏: ええ、スキャンスナップでやっています。iPadを買ってから、この2年くらいは、本を買ってくると、まずカッターで切ってしまう。実はずっとブックスキャンのような会社があればいいなと思っていました。手間がかかるので、100円でやってくれるなら頼んじゃおうかな、と思います。

――紙の本を裁断することに心理的な抵抗はありませんか?


小笠原喜康氏: 全くないです。私は、いつも「資料は汚して読め」と言っていますが、あくまでもデータですから、本自体を残すよりも、本とどう向き合って付き合っていくかが大切です。美装本みたいな、数百部、千部みたいな感じで本を出すことはこれからもあるかもしれませんし、それはそれで面白いと思うんですけど、データにして残せるなら、さっさとデータにしちゃえ、という感じです。私は、鎌倉に引っ越しする時に、本の4分の3を捨てたんです。買いたい本はネットで買える時代になっているし、図書館が充実してきていますので、もう要らない本がたくさんある。これから使いたいものだけ残して全部捨てたんですが、またそろそろ捨てたくなってウズウズしてきているところです(笑)。

膨大な情報への「攻め方」を確立せよ


――電子書籍は、教育の世界ではどのような影響を与えるのでしょうか?


小笠原喜康氏: 日本の電子教科書はひどい。ある学校ではネットにもつなげていない。情報流出事故を防ぐために先回りして、学校のパソコンもネットにつなげちゃいかんとか、先生方にもUSBもパソコンも学校に持ってきちゃいけないということをやっている。じゃあ何のためにあるの、と言いたいです。ただ、電子になったからと言って、基本的なものの考え方は変わりません。膨大にある知識にアクセスする方法として、技能ももちろん重要ですけども、基本的に自分のものの考え方、自分の好きなことがなければ、アクセスできないんです。知識にアクセスするっていうのは、技術的な問題ではなくて、人間性の問題というか、個性の問題です。自分のものの考え方があれば、自分の攻め方ができる。

――読書の機能は電子書籍になっても変わらないということですね。


小笠原喜康氏: 本を読むっていうのは知識を得ることじゃなくて、自分の考えをそこに見つけるということのはずです。よく、「月に20冊は本を読め」なんて言う人がいらっしゃるんですけど、私から見ると「だからあんたの論文ってつまんないのよね」という話です。たくさんものを知っているけど、主張は何もない。それでは面白くもなんともない。たくさん本を読むと、そこに引っ張られて自分の考えができなくなってしまいます。江戸時代の人は、たくさん本を読んでないだろうけど、考えがダメだったかと言うと、そんなことはない。今読んだって、すごいことを考えています。大切なのは、本の中に自分の考えを探すことだと思います。

人それぞれ違った読み方ができるのが良い本です。1つのことしか正確に伝わらない本は良い本とは言わない。絵も、その人なりの解釈がある不完全品だから良い絵なわけです。お風呂屋さんの絵みたいに、解釈がこれしかないっていうことは面白くもなんともない。自分なりの読み方や自分なりの見方ができるので、良い音楽も良い絵も、そして良い本も不完全です。もちろん、そういう本はなかなか書けないわけですけれども。デカルトの『方法序説』もまさに、あらゆること勉強して、もうこれ以上勉強することないと思ったけど、何にもわかってなかったというところから始まる。自分というものをちゃんと捕まえないと、学問ができないということを言っているわけです。

知の構築を手助けするのが教育者



小笠原喜康氏: 電子書籍になって、すぐデータが落とせるからと言っても、図書館という機能はどうしようもなく必要です。今の認識論は、図書館情報学みたいなものをどう取り込むかということが問題としてあります。図書館は本の収蔵庫ではなくて、人間がいて初めて機能するのであって、知のエキスパートみたいな人、つまり優秀な司書がいるかいないかで、まるっきり変わる。調べやすい、探しやすい図書館かどうかは、入ったらすぐわかります。図書館司書をちゃんと育ててないということは、大仏を作って開眼法会をしていないのと同じです。つまり「仏造って魂入れず」というのと同じです。

――博物館に関する取り組みなど、やはりすべての活動が一貫しているのですね。


小笠原喜康氏: 私は今、博物館で教材を作っています。今作っているのはバックパック教材というもので、リュックサックをしょって、その中にあるものを出しながら館内をめぐることができる教材です。博物館も、今まで知識の収蔵庫だったのですけど、これから知の交差点になっていきます。今は、ネット社会で、Googleの美術館のネットワークで、世界中どこでもめぐれてしまいます。私はアメリカにいた時に、日本にいる友達がメールを私にくれて、日本が昼間で、こっちは深夜なのに、私がすぐ返信するから「小笠原さん、あんた本当にアメリカに行ったの?」と聞かれました。そしてアメリカで真っ暗な窓の外を見た時、ネットワークの中に体が溶けていく感覚を持ちました。9.11のテロの時は、パリで『メディエイトする身体』っていう論文を書いていました。われわれは既にネットワークの中に生きています。この「世界がつながっている」という感覚を、若い人も感じてほしいと思っています。電子書籍になっても、本当の意味での「本」は絶対なくなりませんが、知識を並べただけの本は要らなくなります。コンピューターがあれば済むわけですから。知識を教えるだけの先生だったら確実に淘汰される。これからは子どもの知の構築を手助けできるということが重要になるでしょう。だから、私は、自分の体を、知の交差点にしなければいけないと思っています。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 小笠原喜康

この著者のタグ: 『大学教授』 『考え方』 『教育』 『プログラミング』 『図書館』 『コピぺ』 『論文』

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