「精神」はタンスに入れられない
藤井聡氏: 重要なことは、自分の中にいる精神を大事にすることです。僕が宇宙を好きだったのは、ものすごく神秘的だからです。よく、「大宇宙の大きさからすると我々はちっぽけな存在」などと言いますが、僕の神秘感は、そんな陳腐な言葉では表現できません(そういう言葉は、ヴィトゲンシュタインの「語り得ないことには、我々は沈黙しなければならない」というルールに抵触しているので、語るべきではないのでしょう)。ヴィトゲンシュタインは『論理哲学論考』という本で、それを上手に語っています。「知識の限界までいっても外側にまだ大きなものがある」ということを、哲学として論じているのですが、それをやってのけたのは、僕はヴィトゲンシュタインしか僕は知りません。
子どもの頃は表現能力もないけれども、宇宙を勉強すればするほど、その神秘に対して自分の心が強烈に反応していたのでしょう。僕はその反応を抑えつけずに大事にしてきましたが、通常は学校教育やメディアなどで「火」を消されてしまうので、僕はずっと「絶対この炎の方が正しい」と思っていました。小4ぐらいで、教師が僕よりレベルは下だと思っていて、中学生ぐらいになったら、誰も僕のところにきていないと思っていました。こんな事を言うとなんかスゴイ事を言っているようではありますが、実は、素直な子どもというものはみんな、そうなのではないかと思います。
――勉強をすることで、「精神」を失ってしまうということもあるのでしょうか?
藤井聡氏: ソクラテスも別に「哲学」をやりたかったわけではなくて、ただ単に考えていたのを、「なんとか学」という風に、誰かがタンスに入れたんです。勝手に細切れにしてミンチにして入れたものに対しては、もう心が反応しない。「なんとか学」や分野などは、たかだか100年、200年の話ですが、孔子、老子、仏陀やキリスト、ソクラテスに関してはおおよそ2500年前の人なのです。自分は、人類の中でもとりわけ立派な方々の精神を学び、近づこうとしているわけで、2500年の中で一番立派なものから勉強していけばいいと思ったんです。ところが大学に入ったら、研究室では、教授に気に入られる研究をしている。京大だけでも教授が1000人近く人いて、東大と合わせたら2000人ぐらいなのですが、全員がアインシュタイン級かというと、絶対違うわけです。どう考えたって教授の中には、日本の歴史全体をかけた、太平記の物語に勝るような人生経験をしている人などいないので、教授の話を聞くより、まずは楠公を読んだ方がいいと思います。
新しいもの、便利なものには懐疑的であれ
藤井聡氏: BOOKSCANさんは、過去に出版した本を電子化してPDF化しているんですね。それはテキストデータ化して、検索機能なども付けられるんですか?
――はい。OCRでテキスト化することも可能です。
藤井聡氏: それは便利ですね。大学で退官される人が、大量の本をどうするかとみんな悩んでいるので、需要が間違いなくあります。電子化したものは、また流通させるということでしょうか?
――スキャンした本は、再流通しないように溶解処分しています。
藤井聡氏: ほかの誰かを圧迫することもないのですから、素晴らしいですね。
――藤井さんご自身は、電子化を考えられたことはありますか?
藤井聡氏: 僕個人はしないです。新しいものがイヤというか、変えざるを得なくなったら変えますが、変えなくていいものを変えるのは、人として間違っているという感じがあるんです。僕もインターネットは使っていますし、是々非々なんですが、大まかに言って、あんまり新しいものに飛びつくのはいかがなものかと、僕はずっと思っています。ただ、仕方がないところもありますから、決して否定的には思っていません。
――新しいものにはどちらかというと懐疑的な方なのでしょうか?
藤井聡氏: 新しいものが好きな人が多いのですが、懐疑的じゃないと不安定になります。新しいものにみんな飛びついたら、全ての産業で失業者が増えますので、古いものもあった方がいいんです。実際に本の置き場に困っている人たちはたくさんいますし、その点に関しては渡りに舟という気はしますが、便利なものにはやはり懐疑的になっておくべきです。電子化して安心してしまうと、もう読まないような気もします。でも、弁護するために言うわけではありませんが、新しいものでも、ほかの誰かを圧迫しないものならばいいと僕は思っています。
――教育や研究の場では、電子書籍はどのような影響を及ぼすと思われますか?
藤井聡氏: :検索ができるといったポジティブなことはもちろんあると思います。でもネガティブな点を挙げると、論文を大事にしなくなるのではないかということです。僕らは、論文を自分で仕分けて読んで、血肉にするというか、自分の精神の1個1個に論文を入れていったので、それが紙だったらやりやすいわけです。折れ曲がり方や、コピーのゆがみ方、シミの付き方も含めて本に愛着があります。検索、収納場所といったメリットはもちろん色々ありますが、論文を大切にしなくなる可能性があるのは良くないです。
――最後に、今後の展望をお聞かせください。
藤井聡氏: 流れに任せていこうかと思います(笑)。8月に『新幹線とナショナリズム』という新書を出します。もう1冊の本は、『大衆社会の処方箋』という本で、副題が「実学としての社会哲学」というもので、僕の後輩と共著の本となります。学校の授業で教科書として使おうと思っています。
それと、今、全体主義の本を書きたいなと思っています。ハンナ・アーレントという人が全体主義のことを書いているんですが、難しくてあまり日本では知られていません。実は、日本にある社会問題は全部、全体主義で説明できるんです。グローバル経済主義の話にしても、全体主義。全体主義が嫌いなくせに、みんな全体主義でやっているので、「あなたこそが全体主義者なんです!」という話を分かりやすく書いた本にしたいと思っています。
(聞き手:沖中幸太郎)
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