川西諭

Profile

1971年、北海道生まれ。 横浜国立大学経済学部卒業後、東京大学にて経済学博士を取得、 現在、上智大学経済学部教授。主な研究分野は、応用経済分析・金融論。 行動経済学会理事も務めている。 2009年の「ゲーム理論の思考法」(中経出版)をはじめ、「経済学で使う微分入門」(新世社)、 「図解よくわかる行動経済学」(秀和システム)、翻訳書に「行動ファイナンスの実践投資家心理が動かす金融市場を読む」(共訳、ダイヤモンド社)ほか、精力的に執筆している。

Book Information

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問題を直視し、未来志向で対話する場を



経済学者の川西諭さんは、専門の金融論や経済数学の講義・研究のほか、ゲーム理論や行動経済学に関する一般向け書籍の著者としても注目されています。川西さんの活動を支えるのは「教えること」への強い思い入れ。授業の内容を改善するFD活動に積極的に取り組み、学内外における大学教育の役割を模索する川西さんに、学者の知見を広く提供することの意義を、社会全体の問題に広げて語っていただきました。

やる気を引き出す授業をデザイン


――まずは、上智大学でのお仕事についてお聞かせください。


川西諭氏: 以前は金融以外のことを色々と教えていましたが、今はまた金融を教えさせてもらっています。専門科目としての金融論と、一般教養の科目としての経済学を教えていて、経済学の授業も、金融寄りの経済学という形です。

――川西さんの講義のスタイルはどういったものでしょうか?


川西諭氏: 僕が受けた大学教育は、標準的な大学の授業というか、先生が一方的に話すような授業が多かったんですが、いくつかディスカッションをするような授業もあって、個人的にそういう授業がすごく好きだったので、ディスカッションするような授業がしたいという気持ちがずっとありました。僕が入ったゼミは、本を読んでいく授業が主でしたが、先生が手取り足取り教えていくというよりは、学生主体で進めていくようなゼミでしたので、僕もそういうやり方を考えています。

――経済学に関するディスカッションではどのようなものがあるのでしょうか?


川西諭氏: 僕が入った横浜国立大学では、経済法学科が経済学部の中に入っていて、経済法に関するディスカッションの授業でした。経済法の授業といっても、単に条文を覚えていくのではなく、また経済の理論だけを学んでいくのでもなく、何が正しいのかなど、正義の問題を考えさせられるような授業で、すごく面白かったです。例えば大きいスーパーマーケットと小さな牛乳屋さんが競争をするようなケースを想定します。スーパーは1リットルの牛乳を90円で売っても、他の商品で元をとればいいけれど、街の牛乳屋さんはそんな安売りをしてはやっていけないので、お客さんをスーパーにとられて倒産してしまう。そういった事例で実際に裁判になった話を紹介して、判決はふせられた状態で、どう思うかということをディスカッションするといったことをしました。

――そういった身近な事例があると、学問への興味が増しますね。


川西諭氏: そうですね。でも、実際に自分で教える立場になると思うようにいかない部分がたくさんありました。大学の教員になる前に、公務員試験の専門学校でも教えたことがあったのですが、そういう場はすごく学生のモチベーションが高くて、やりやすかったです。だけど大学ではモチベーションがそれほど高くない。僕が入った頃はすでに就職氷河期が始まっており、学生も何をしていいのか分からないような感じで、授業も張り合いがないことがありました。ゼミも、研究者や資格試験という目標がある人でないと、経済に関する興味があまり高くないんです。どうやったら興味をもってもらえるのか、どうすればやる気を引き出せるのかなということを、この10何年間ぐらいずっと考えてやってきました。事実を淡々と紹介して覚えさせるのではなく、考えさせながら、問題演習などもクイズ形式で話を進めていくなど、授業をデザインするようになりました。

教育は、一番の成長戦略



川西諭氏: 2000年代に入って、FD活動という授業改善が義務化されて、授業評価のアンケートも当たり前に行われるようになってきました。それ以前は、授業に不満があっても、学生たちにはそれを先生に伝える手段がなかった。もちろん熱心な先生方は自主的にアンケートをとられていたり、意欲の高い学生たちは自分たちで大学の授業を評価したりしていたんですが、学生たちが評価をすると、どうしても単位の取りやすさなどにかたよりがちになる。教員も学生の評価を受け入れなかった部分もあって、学生たちの不満が放置されてきたようなところがあったと思います。そこで文部科学省も、全ての教員が自らの授業を定期的に見直して、いわゆるPDCAサイクルを自分で回すという建前でFD活動を義務化したのです。私自身は、大学ではもっと面白い授業ができると思っていましたから、上智大学のFD委員会の委員もやって、私立大学連盟という集まりでも、年2回開催するFD推進ワークショップの運営委員を去年からやらせていただいています。そこには授業改善に熱心な方が集まっていて、そういう方たちの話を聞いたりして、自分自身も色々と勉強しています。

――教育の役割、使命についてどのようにお考えでしょうか?


川西諭氏: 人が世の中を動かしているので、高い意識や知識、能力がある人間をどんどん育てていくことが、日本経済の一番の成長戦略だと思います。そして、それを支えるのが我々教員の役割であるという気持ちが僕にはあります。1人1人の力は微力だと思いますが、そういう人が増えていくと学生の力も付くと思いますし、自分が教えている学生たちには、将来活躍してほしい気持ちもあります。つまらない授業を聞かせるのではなく、何か将来のためになるようなことを1つでも伝えられたらいいなと考えています。僕には、自分が知って面白いと思うものを教えたくなる衝動のようなものがあって、そういう面白いものを常に探している自分もいます。大学の先生や経済学者がたくさんいる中で、自分はどういう教員、経済学者になるのか、あるいはどういう生き方をするのかのようなものをずっと模索してきましたが、最近になって少しずつ見えてきた感じがします。

読書家の父が勧めた『キャプテン』


――小さな頃から、教えることはお好きでしたか?


川西諭氏: 小学生ぐらいから近所の小さい子などに、自分が教えてもらったことを教えたりしていて、その頃から教えるのは好きだったようです。僕自身は高校1、2年の頃は、教育学部に進みたいと思っていましたから、大学教員にならなかったら小中学校、高校の先生になっていたかもしれません。でも父は、教員になることには反対していました。

――なぜ反対をされていたのでしょうか?


川西諭氏: 父は富山県のリッチェルというプラスチック用品、園芸用品の会社で営業マンをしていまして、その会社は日本でガーデニングブームが起こった時に、日本の園芸用品の業界の中でもそれなりの地位を築いたそうで、父は僕を営業マンにしたいと思っていたようです。

――小さな頃はどのような本を読んでいましたか?


川西諭氏: 実は本を読むのが苦手で、夏休みの読書感想文に関しては、「はじめに」と「おわりに」しか読まないような子でした。どちらかというとマンガの方が好きで、ちばあきおさんの『キャプテン』には影響を受けました。中学の野球部で、キャプテンが代替わりしていって、1つの中学校の野球部がどういう風に強くなっていくかを追いかけていくマンガです。一番最初のキャプテンの谷口少年の高校時代を追ったのが『プレイボール』で、スポーツの問題でありながら1人の少年の生き方のようなものが映し出されているマンガでした。

――印象に残っているストーリーはありますか?


川西諭氏: 主人公の谷口少年はあまり野球が上手ではなくて、すごく強い中学校の2軍の補欠だった。その少年が普通の公立の中学校に転校して野球部に入るんですが、誰もが知っている有名中学のユニフォームを着ているから、実際は下手くそなのにその中学校の部員たちは期待するわけです。そういう中で期待に応えるために、練習が終わってから家で猛特訓をして、少しずつ上手くなっていって、最終的にはもともといた中学校と戦って勝ってしまうのです。このマンガは、実は父から「面白いぞ」と勧められたんです。父はすごい読書家で、本棚には営業関係の本がたくさんあって、マンガは『キャプテン』くらいしかなかった。僕は営業関係の本は結局ほとんど読まなかったけれど、読書家の父をすごく尊敬していましたので、父のもっていた『キャプテン』に影響されたのかもしれません。経営に関しても、高校生、大学生になってから父が話をしてくれて、それが僕が経済に興味をもつきっかけになりました。

「フューチャーセンター」に可能性を見出す


――最近読んだ本ではどのようなものが印象に残っていますか?


川西諭氏: 最近読んだ中で一番影響を受けた本が『フューチャーセンターをつくろう』です。僕はそれまでフューチャーセンターは知らなかったのですが、ワークショップ型の対話で問題解決をする方法です。僕もそういったことは研究で重視していて、教育の方でもワークショップ型授業という活動に興味があったので、ドンピシャといった感じでした。今年の2月から、上智大学にフューチャーセンターを作るプロジェクトを始めています。もともと私と2人の職員の方の3人で始めて、メンバーを集めるために説明会をしたり、ファシリテーションに興味のある人に講習会をしたりして、少しずつメンバーを増やしていって、今は定期的に関わってくれるメンバーが20人くらいになりました。

――フューチャーセンターでは、どのような活動をされているのでしょうか?


川西諭氏: フューチャーセッションというものを今年2回開催しています。参加者が35人ぐらいの小さなセッションですが、未来志向で議論することと、多様な人をセッションに招き入れることに特徴があると思います。大学の中の問題と大学の周囲、大学外の問題も議論できるようなセンターを作ろうと思っているので、その問題に関わるであろう人を、なるべくたくさん招き入れて、ワークショップを行おうとしています。大学の問題であれば教員と職員、学生抜きには語れませんし、卒業生の人たちもすごく重要です。それから、上智大学は千代田区にありますが、線路の向こうは新宿区といったように、ちょうど区の境で、グラウンドは新宿区だったりするんです。そういう地域の方とのつながりに大学がどのような役割を担っていくかと考えた時に、ただ単に研究教育だけをやるのではなくて、地域に開かれていて、地域の課題も解決する大学というのが求められているという結論にたどり着きまして、その受け皿になるためのプロジェクトも進めています。

――中心的なメンバーはどういった方でしょうか?


川西諭氏: 最初は予想していませんでしたが、一番頼りになっているのが卒業生なのです。フューチャーセンターを作るということを上智大学のFacebookで流したところ、面白そうだということで卒業生がセッションに来てくれて、中心的に動いてくれています。僕もワークショップの運営の仕方など、ファシリテーションなどを勉強しながらやっていますが、ワークショップ型の組織で課題解決をしていこうという活動は日本中で行われていて、卒業生の中にも運営しているという人たちが数名いらっしゃって、そういう人たちが応援してくれて、本当にありがたいです。

非難し合っても、前に進めない



川西諭氏: 未来志向と多様なステークホルダーが関わることを、なぜ大事だと思ったかということとも関係しますが、やはり組織の中にいると保守的になってしまうんです。ほかの色々な組織もそうだと思いますが、自分の既得権を守るというところに固執してしまって、現状のままで自分の取り分をどう増やすか、といったパイの奪い合いになっているところがあるんです。大学も例外ではなく、学部、学科があって、学科の中にそれぞれ担当科目のようなものがあって、その中で自分はなるべく楽をしたいなど、そういう思惑が出てきてしまう。お互いの利害関係の中で、自分たちに都合のいいような物事の進め方をしたいというエゴとエゴのぶつかり合いになってしまう。それだと前向きな議論にはならず、問題は全然解決しない上に、人間関係もどんどん悪くなってしまいます。

――大学には具体的にどのような問題があるのでしょうか?


川西諭氏: 本来、大学は教育機関ですから、教員も職員も、学生がいかにこの4年間、また卒業してからも成長できるか、学生たちが力をつけて巣立って活躍していくのを最大限応援するというのが仕事なのですが、教員と職員が本当に協力して教育が提供できているのかを考えた時、やはり対話する機会がないことが問題となります。教員としては、教えやすい環境を作ってくれという要求ばかりが職員に対して出てくる。教員に言われるがままやりながらも、先生方がちゃんと授業してくれないとダメなんだけど、といった思いが職員にはある。対話がないとお互いの考えを勝手に想像するのですが、大概ネガティブな想像ばかりしてしまって、お互いに不満ばかりがつのってしまうのです。学生と職員や、学生と教員の間も同様で、学生たちは何かあると「職員の対応が悪い」「お役所仕事だ」と言い、職員は「今の学生は態度が悪い」と言う。ゼミならある程度は対話があるけれど、教員と学生の間でもお互い分かり合えない部分があり、教員は「学生は単位だけ欲しい」と思っている、学生は「先生は教える気がない」と思っている。そういうように、お互いに対話する機会がないから、悪い方に解釈して、お互いを非難し合って、前に進めないんです。だから、対話する機会として、ワークショップのようなものは絶対大事だと思っていました。



――お話をお聞きすると、日本社会全体で、同様の問題が様々に起こっているように感じます。


川西諭氏: 特に気になっているのは公共事業の問題です。外環道という道路を作ろうとしていて、すでに埼玉県の三郷から大泉まではでき上がっているんですが、そこから千葉の方、東京の方は、相当な時間がかかっているにも関わらずまだでき上がりません。千葉の方は用地買収の達成率が今では99%に至ったのでもう時間の問題だと思うんですが、そこに至るまでには、その案に賛成しない人たちがたくさんいて、なかなか話が進められなかった。民主党の時に問題になった八ッ場ダムの問題もそうですが、やっぱり反対する人たちがいる。環境の問題や地権者の利害の問題などがあって、全員がハッピーになれるとは限らない。今までの日本のやり方だと行政が決めて、タウンミーティングをしたりしていたのですが、それは「すでに決定済みなので、納得してください」という形なので、不満のある人はどうしても受け入れられないんです。

成熟社会の意思決定はどうあるべきか



川西諭氏: 国土交通省などもそういうことが分かってきているので、住民参加、パブリックインボルブメントということで、意見を反映させる公共事業、ということを言っていますが、ヨーロッパの公共事業の進め方と比べるとまだまだ行政主導で、住民の意見は十分反映されていないように感じます。東日本大震災の被災地で新しく町を作るという問題で、閖上地区のかさ上げをするかしないかという話も、首長は地域の方のことを考えればこれがベストだと考えて提案しているけれど、地域の人には「我々が本当に求めているのはこういうものではない」という想いがある。そういう意見の違いは、色々な考えの人がいるのだから当たり前なのです。もし、イギリスやフランスなどで同じ問題が起こったとしたら、決め方がおそらく違うと思うんです。

――問題は、トップダウンかボトムアップかということになるでしょうか?


川西諭氏: トップダウンで決めなくてはいけないことも、もちろんあると思うんです。ただ、自分たちのことは自分たちで決めようという、当たり前のことが実際どれぐらいのレベルでできるかということが問題なのです。戦後の復興などの場合は、それこそお国の偉い人たちに任せておけば上手くいくというような、行政に対する信頼もおそらくあったと思います。おそらくヨーロッパでも同様で、かつて経済学者のジョン・メイナード・ケインズはそういう国を引っ張るリーダーに信頼をおいていましたし、実際に素晴らしいリーダーたちが当時の社会を引っ張っていました。社会のインフラを整えて社会がある程度まで成長するところまでは、国のリーダーと言われる人たちが、基盤を作っていくことが必要だと思いますし、それで先進国はここまで発展したわけです。だけど物質的にある程度豊かになった段階では、人々がいったい何を求めているのかということが、だいぶ分からなくなってきている。

――価値観が多様化しているだけに、議論がまとまらないということもあるのではないでしょうか?


川西諭氏: ですから問題をちゃんと直視した上で議論していく必要があると思います。原発の問題もそうで、我々は安い電力が欲しいのか、それとも安全安心が欲しいのか。その両方は取れないので、今は究極の選択を迫られているわけで、安全安心を求めている人たちは、少し高い料金を受け入れられるのかということを考えなければなりません。原発を廃炉にして、クリーンエネルギーにスイッチしていくことは可能だと思いますが、そうなった時はコストがかかります。すぐにできない場合は化石燃料にも頼らなければいけないし、料金を高くすることによって電力の消費を抑えるという形で対応することもできるでしょう。また電力会社の利益を削れば、電気料金はもっと安くなるんだと思う人もいるかもしれないので、そういうことを1つ1つ見ながら議論しなければいけません。

専門研究が、編集者によって本になる


――川西さんは電子書籍をお使いになっていますか?


川西諭氏: 本は冊子で読みたいというのがあるので、電子書籍も読みましたが、まだ増えていかないです。ただ、研究に関わる本は研究費で買えるという点で僕らはすごく恵まれていて、普通の方と比べると本が買いやすいから、本をつい買ってしまいますが、スペースの問題はあります。電子書籍で読める本は電子書籍にしていくといったように、これからは使い分けしていくようになるとは思います。

――研究論文などは電子で読まれていますか?


川西諭氏: アカデミックな世界では結構スタンダードで、論文はほとんど電子化されています。パソコンやiPadなどで、画面上で読むという人ももちろんいますが、私の知る範囲だと、出力して、どんどん書き込んで理解していくという人が多いと思います。

――川西さんご自身のご著書についても伺っていきます。アカデミズムの世界からゲーム理論などに関する一般向け書籍を出されるようになったきっかけを教えてください。


川西諭氏: ゲーム理論の本については、銀行員の方たちを対象に短いレクチャーを頼まれたことがあって、そこで話したことを、もっと色々な人に知ってほしいという思いから、出版することになりました。ゲーム理論の本を出したいと思っていた編集の方が、それを書ける人を探していた時に、今も一緒に本を書いている日本大学の山崎福寿先生が僕を紹介してくださって、お話をいただきました。どういう本にしようかというところを編集の方とよく話をさせていただいたので、僕としても書きたい内容が大体盛り込めたと思います。

――本作りにおいて、編集者の役割はどういったところにあると思われますか?


川西諭氏: 企画の価値を最初に発掘して、それを本にするという仕事をしてくれるのが編集の方ですから、編集者がいないと本は生まれません。書き手の中には、本のイメージまで自分で作り上げて自分で自分の本を印刷するから、編集者はいらないという人もいるかもしれません。でも、アイディアを形にして、いい本を作っていくには、やはり編集者が必要だと僕は思います。本のクオリティーは編集者の力量によるところがあると思います。特に最近の本はレイアウトにもかなり自由度もあり、図などがたくさん入っていますし、ただ文字だけを載せているというわけではありませんから、読みやすい本を作るということに関しては、編集の方の経験やセンスが重要になってくると思います。

経済学は役に立つ学問だと伝えたい


――執筆への想いはどういったことでしょうか?


川西諭氏: 行動経済学や経済数学の本も書いていますが「経済学はすごく役に立つ学問だということを伝えたい」という思いは共通しています。それがあまり広く知られていないと感じていますし、同僚の経済学者たちの中にも「経済学なんか勉強していても役に立たない」と言う人もいます。でも僕はそれは違うと思っていて、学生たちにも役に立つことだとずっと教えています。ただ、どういう風に役に立たせるか、どうやって使うのか、どうやって応用したらいいのか、というところが分からないと使いようがないわけです。数学も同じで、計算問題はできても応用問題が解けないと、なんの役にも立たないんです。それは我々にとっては死活問題で、我々がやっていることの意義や価値を一般の人や学生たちが見出してくれなければ、我々の存在価値も低くなり、仕事がなくなってしまうといった危機感があります。

――「教える」ということに、並々ならぬこだわりがあるのですね。


川西諭氏: 教えている人間が、自分たちの教えていることに価値を見出せないようでは駄目ですので、そこを変えたいという思いがずっとあります。もちろん素晴らしい論文をどんどん書いて、ノーベル賞を取るといった方向でも「経済学はすごい」となるとは思うのですが、すでに分かっていることの中にも、素晴らしい知見がたくさんあることを僕は伝えたいのです。経済学に限らず、あらゆる学問は、先人たちの大いなる遺産であって、それを知らないで過ごしてしまうのはもったいない。それを皆さんに分かりやすくお伝えすることが大事なのだという思いで、ゲーム理論の本も行動経済学の本も、数学の本も書いています。学生たちも、素晴らしい知恵を、1つでも2つでも自分のものにして、それを生かして、昔の人たちにはできなかったようなことをしてほしいです。



――最後に、今後の展望をお聞かせください。


川西諭氏: 今書いているものの1つは金融の本で、おそらく年度内に出ると思います。僕の大きい研究の柱としてやってきた金融のことで、一般の人にもっと知っていただきたいことがたくさんありますので、それを今、書かせていただいています。
 ゲーム理論や行動経済学についても、社会の様々な問題に対して使えると僕は考えているのですが、今までの本だけでは十分にそれが伝わっていないというご意見もいただいているので、そういう事例などを紹介する形の本を考えています。経済学を使うとこういう解決策が出てくるよ、ということを皆さんにアピールして、「経済学なんて使えない」と思っていた人たちの見方が少し変わってくればいいかなと思っています。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 川西諭

この著者のタグ: 『大学教授』 『デザイン』 『経済』 『教育』 『経済学』 『金融』 『ワークショップ』 『価値』

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