高橋三千綱

Profile

1948年、大阪生まれ。作家・高野三郎の長男として生まれる。 テレビ、映画の子役、ラジオドラマの声優として活躍した小学生時代、各地を旅した高校時代など、濃密な少年時代を送る。 卒業後はサンフランシスコ州立大学英語学科創作コースへ入学するも、父が重病にかかり3年目に帰国。アメリカの滞在記『シスコで語ろう』を自費出版、その後スポーツ新聞記者などを経て、作家生活に入る。 「退屈しのぎ」で第17回群像新人文学賞、「九月の空」で芥川賞を受賞。自作の「真夜中のボクサー」で映画製作にもかかわる他、他多くの小説や漫画原作なども手がけている。最新作は『猫はときどき旅に出る』(集英社)。 9月中旬に3部作の第1作『黄金の鯉-大江戸剣聖一心斎』(双葉文庫)も出版される。現在、初の書き下ろし作品『ありがとう肝硬変・よろしく糖尿病』を執筆中。

Book Information

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別荘、子役、裕福な少年時代


――高橋さんは大阪の有名な米問屋のお生まれだそうですね。


高橋三千綱氏: 米問屋でしたが、僕が生まれた時には戦争で焼けてました。生まれたところは豊中の普通の住宅街です。別荘がいくつかあったのですが、子どものために母親が奈良から大阪へ戻って、2、3歳までいました。家は広くて、トイレに行くのに、廊下を何度も曲がっていかなくてはならなくて、子供心に遠くて怖かったです。別荘の1つに六甲のホテルを買い取ったのがありましたが、僕が生まれたところも旅館のような感じでした。おじいさんが、おばあさんの体が悪いので、その度に山が良い、海が良いなどと住むところが変わっていたみたいです。鶏は飼ってましたし、相撲取りのタニマチで、うちに土俵作って巡業もやってました。

――お父様も作家として活躍されていましたね。


高橋三千綱氏: 親父はボンボンの生活が嫌で、関西学院という坊ちゃん大学から、途中で東京に出てきて早稲田に入って、自活すると言って、石川達三さんなどと文学をやり出したんです。おじいさんにしてみれば、子どもというのはたまにそういう熱が出るものであって、いずれは冷めて家を継ぐだろうと思ってたみたいで、実際その通りになりました。戦争があって、父親も家を手伝って、店が焼けたのをきっかけに、私たちを連れて上京しました。東京に来た時には、文学の姿勢を子どもに見せるために、貧乏なフリをしてわざと間借りしていたんです。

――東京では、子役や声優もされていたそうですね。


高橋三千綱氏: 毎週NHKに、阿佐ヶ谷から新橋まで通っていました。他の子たちが野球をやっていても僕は仕事に行ってるわけです。NHKに入ると、大人の世界、特殊な世界で、子役の女の子も、プロデューサーに擦り寄って「今度私に良い役をくださいね」などと言っている。男の中にも、こびの売り方は違うけれど、「肩をもませてください」などというのもいたりしました。僕はどちらかというと、いつも群れることなく1人でしたが、敵がいるわけでもないし、味方がいるわけでもありませんでした。
杉並では200人くらい選考会に出たのですが、NHKに出られるのは成績優秀な子に限られていて、各区に1人だけなんです。つまりNHKに通うことで成績が下がるような子は要らないということです。あと、夜遅くなった時でNHKからハイヤーを出せない場合、家が裕福な人は車で迎えに来られるから、自家用車のある人という条件もありました。でも、もうその頃は、うちは破産していた。NHKの番組では僕はよく主役をやらされ、台詞が多くて嫌になってしまって、これは向いてないって思いました。続けてくれと言われましたが、中学2年で辞めることにしました。

嫉妬深い人たちを目の当たりにした


――東京に来られてから、お父様が大きな借財を背負うことになったとお聞きしましたが、どのような経緯だったのでしょうか?


高橋三千綱氏: 小学校2年くらいの時に、父親が出版社のある友人の連帯保証人になって、会社が潰れて社長が逃げて、今で言うと40億円くらいの借金を被ったんです。その借金は、取り立てが厳しいですから、全部返したみたいです。それでそれまで住んでいた杉並の高台の家から、リアカーで引っ越しをしました。家に石を投げ込んだり、泥を投げ込んだりする連中がいましたから、その理由は私にも段々分かってきました。

――それは取り立ての人からの嫌がらせだったのでしょうか?


高橋三千綱氏: お金を返してからもありました。一般庶民とはそういうもので、何の関係もないのに、嫉妬するものなんです。姉は美人で頭も良かったし、そういう子どもに対する嫉妬もあったかもしれません。「落ちぶれてざまぁみろ」という感じだったと思います。それを見て、人は1日で裏表がここまで変わるのかと思いました。男は、嫉妬というよりもストレートにいじめ抜く。運動靴なども皆に盗まれたりして、運動会で履く靴は配給でもらったんです。それを母親たちがうわさをしていて、呼び止められて、「それ学校から配給でもらったやつよね」と聞かれたので「そうです」と答えたら「あそこはもう落ちぶれたのよ」などと話すわけです。女というのはそういうものかと思いました。

著書一覧『 高橋三千綱

この著者のタグ: 『旅』 『海外』 『考え方』 『留学』 『経験』 『小説家』 『創作』

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