編集者は、読者であり著者である
――本を書かれるようになったきっかけはどういったことですか?
戸田山和久氏: 編集の方に書いてみませんかと言われたことがきっかけでした。最初の仕事は翻訳でしたが、そういう僕の仕事を見てくださっている編集者さんがいて、声をかけていただきました。あまり深く考えたりしたわけではなく、いつの間にか書いていた感じです。
――いつも、執筆はどちらでされているのでしょうか?
戸田山和久氏: 色々な人が訪ねてきたりしますから研究室ではできないので、自分の家か喫茶店で進めます。中学生くらいの時から、よく喫茶店で勉強していました。僕は直接ワープロでは書けないんです。紙にメモして図を書いて、ある程度できたら持って帰ってワープロで書く感じです。
―― 一般向けの書籍は、論文等とは書き方がかなり違うのではないでしょうか?
戸田山和久氏: 一般向けの本になればなる程、編集者との共同作業になります。「ここが分からない」などと、原稿が真っ赤になって返って来きて、何度も書き直していますが、段々つまらなくなってくるので、ちょっとギャグを入れたりするようになる。最初の段階では読者にサービスをせずに頭の中のものを出すので、非常につまらなくて、しかも分かりにくいものかもしれないので、それに対してダメ出しがあって、書き直して、編集者と一緒に作っている感覚です。
――『科学哲学の冒険』が対話形式で書かれているなど、表現は工夫をされていますね。
戸田山和久氏: あの本は、科学哲学の入門書ですが、相談している中で、「今回は対話編で書いてみましょう」というように盛り上がったんですが、これが本当に大変で、途中でいやになりました。それぞれのキャラクターをちゃんと設定して、こいつだったらこういうことを言いそうだということを守りながら書いて、簡単に説明してしまえば済むところを、3人が話しながら段々と分かっていくように書こうとすると、実は自分でもよく分かってないところが明るみに出たりするわけです。本の中に読者がいるような感じです。何が問題になっているか自体がよく分からなくて、そこから話を進めていかなくてはいけない時は、対話編には面白い可能性があります。そういう意味では、プラトンは偉い。それを自分が上手に書けるかどうか別として、よくできた形式なんだなと思いました。
――理想の編集者はどういった方でしょうか?
戸田山和久氏: やっぱり良い仕事ができたなという本は、ほとんど編集者が共著者のように、一緒に作ってくれたものです。その人がいなかったら全然違うものになっただろうというものもあります。これは本当に編集者によって全然違っていて、出した原稿が本として出てしまうような時もあるんです。そうすると、自分でも納得がいかないものができてしまうことがあります。言われたことを直すと、確実に良くなっていきます。編集者はやっぱり最初の読者ですし、読者と筆者両方やってくれているような感じです。そういう人がいるかいないかが、ブログなどと本の違いだと思います。
著書一覧『 戸田山和久 』