両側から掘り、つながったところから科学が広がる
哲学者の戸田山和久さんは、人類の営為、認識を大きく変えた「科学」を哲学的に捉える科学哲学が専門。論理学などの入門書の著者としても人気です。最近、研究・考察の対象が変化しているという戸田山さんに、科学哲学を研究対象としたきっかけ、執筆スタイル、また科学技術がもたらした新たなメディアである電子書籍が読書や研究に与える影響などについてお伺いしました。
自分で立てた問いは、自分で考えるしかない
――早速ですが、戸田山さんのご専門について伺えますか?
戸田山和久氏: 最近は、あまり科学哲学の既存の枠組みにこだわらないで、「科学の科学」ということを言っています。例えば生命現象には生物学、経済現象には経済学といったように、色々な現象に対して、それを扱う科学があります。科学というのは世界の中で途中からできたもので、自然界の中でそれなりのモデルを作るという意味で、ほかの知的活動とは少し違う、極めてユニークな活動だと思います。その活動を現象として捉えて、その現象を科学するということです。
――思索の対象がそういった方向にシフトしているのはなぜでしょうか?
戸田山和久氏: 人間は宇宙の一部ですので、人間が科学をやり始めたことは、言ってみれば宇宙が科学をやっていたということです。これは宇宙が自分を反省するようになったということで、宇宙の歴史の中でもユニークな大事件ですので、それをきちんと科学する科学が必要になってくると思っています。「科学の科学」は、おそらく100年後位には確立されているだろうと思いますので、今のうちに、種をまいておこうと思っています。今、社会学や科学計量学などで、少しずつそういうことをやり始めてる人たちがいますので、それらをどういう風に統合して、1つの大きな科学の科学にしたらいいのかということを考えています。哲学とは、自分が立てた問いを問い続けることであって、人が立てた問いを考えてもあまり面白くないんです。
小説で知った、ちょっと「いけない」世界
――戸田山さんの幼少期についてお伺いします。ご出身は東京ですね。
戸田山和久氏: 錦糸町の、下町に生まれました。『三丁目の夕日』のような感じのところです。父親が開業医ですが、地域社会の中でお医者さんは別扱いで、溶け込めない感じがありました。僕はぜんそく持ちだったり、あまり丈夫ではなかったので、こもりがちな子どもでした。小学校の半ばに、今度はすごく対照的な、千代田区の麹町に引っ越したんです。オフィス街のど真ん中で、日曜日になると人がいないところでした。麹町小学校に入り、大学に入るまでは麹町にいました。
――よく本を読まれましたか?
戸田山和久氏: 本は好きでした。よく読んでいたのは、子ども向けの中国の古典で、妖怪が出てきたり、怖い感じのものが好きでした。もっと前は、『いやいやえん』のような児童文学が大好きでした。これも、少し怖いところのある話で、しげる君というわがままな子が、言うことを聞かないので「いやいやえん」というところに入れられる。そこに来ている子どもは皆、わがままで、色々な意味で良い子じゃない。怖い園長先生がいて、遠足で暗い森の中に入って、鬼に会ったりするんです。なぜ好きだったのかっていうことは、うまく説明出来ませんが、教訓めいたものというよりは、子どもにとって、そういう怖さのある話が一番面白いのかもしれません。あと、僕自身がわがままでしたから、自分よりももっとわがままな子がいて、大人的な言い方をすると、自分のわがままが相対化されるところが面白かったんだと思います。
――麹町に引っ越されたということですが、神保町の古書街も近いですね。
戸田山和久氏: 歩いて行けるので、しょっちゅう行きました。初神保町は小学校に入ったばかりの時でした。僕はその頃、よく教科書をなくしていたのですが、当時都内で教科書を買えるのが三省堂だけだったので、教科書を買いに行きました。三省堂にはその後もよく行って、子ども向けの学習漫画などのコーナーを見ていました。古本に興味を持ったのは、小学校の終わりぐらいから中学生ぐらいだと思います。「お受験」のはしりで、小学校の5、6年生の時に塾に行っていたんです。その時に面白い先生に巡り合って、宮沢賢治や志賀直哉など、近代日本の小説の一部分を使ったオリジナルの教材を作っていたんです。それで、そのあたりの小説を読むのが好きになって、本は古本で安く手に入るということで、よく買いに行っていました。
――どのようなタイプの小説がお好きでしたか?
戸田山和久氏: 大正や昭和に書かれた文学作品は、大抵ダメな人について書いてあるんですが、そういう退廃的な感じの話が好きで、そういう小説は、大人の世界を垣間見る通路だったと思います。僕らの年だとテレビっ子ですから、子どもっぽいものはテレビで満足していたけれど、本を読む時は、もう少し大人用のもの、ちょっといけない感じのものが読めるといった感じでした。ただ、親に「今度これを買おうかな」と言ったら、「それはダメ」と言われたこともあります。
――どういった本を「ダメ」と言われたのでしょうか?
戸田山和久氏: 石川達三の『蒼氓』をまず読んだんです。ブラジル移民の話ですが、それが面白くて、じゃあ次は『四十八歳の抵抗』を読んでみたいと親に言ったら、「これは大人が読むものだからダメ」と言われました(笑)。
生物学から、文科系に関心が移っていった
――学問的には、どのような興味を持たれていましたか?
戸田山和久氏: 僕は、現在は筑波大付属になっている東京教育大付属駒場中学・高校で、生物部にいたのですが、そこでは良い先生に恵まれて、色々な実験をしていました。生徒が考えて「こういうのどうですか」と先生に提案したら、設備を整えてくれたり、薬品を買ってくたりして、その後は任せられたので、自由にできました。
――いわゆる「理系」への興味が強くなっていったんですね。
戸田山和久氏: そうですね。ただ、僕が行っていた中学高校は、あまり理系と文系を分けなかったし、両方好きな人が周りにもたくさんいました。それぞれ自分の得意技のようなのを持っていて、友達に刺激を受けたりして、「あいつがあんなの読んでいるんだから俺も読もう」などとちょっと背伸びして、皆でやりあう感じでした。
――東大ではどのような分野を専攻されたのでしょうか?
戸田山和久氏: ちょうど分子生物学がはやり始めていて、これは面白そうだと思ったので、理Ⅱに行って、初めは生物学をやりたかったんですが、留年したんです。理由の1つは、やりたかった生物学の色々な研究室を見学に行くと、あまり面白くなさそうだったことでした。今思うと浅はかですが、実験系の研究室は軍隊の様な印象を受け、自分がやりたいことの前に、研究室のテーマがあるから、それをちゃんとやらなければいけないという感じで、その集団主義的な感じがいやだなと思ってしまったのです。あとは、2年間くらい実験をやる中で、自分がそれ程実験が上手じゃないということも段々分かってきて、好きでもないんじゃないかなどと思うようにもなって、熱が冷めたのが半分。当時、駒場には、色々なことを広く勉強しなさいというところがあって、ゼミナールが色々と受けられたんです。その授業は取らなくてもいいのですが、ゼミを色々と受ける中で、それまであまり面白いと思わなかった文科系的な研究が、面白いと思うようになったんです。
――その中に哲学もあったということでしょうか?
戸田山和久氏: 哲学のほかにも色々と関心が散らばっていました。例えば荒井献先生の聖書学。聖書というのは神様が書いた聖典というくらいの認識しかなかったんですが、例えば福音書も、それぞれ比べてみると、書いた人、編集した人の社会的な背景によって同じような出来事が少しずつ違っていたりして、聖書を科学的に読んでいくのは面白いと思いました。だけど、聖書学はヘブライ語もギリシア語もできなければいけないので、これは僕にはできないな、と思いました。そういった色々とある関心の中の1つに哲学があったのです。
学問は「不思議の探求」
戸田山和久氏: 哲学に最初に触れたのは杖下隆英先生の授業で、1年間講義があるわけですが、杖下先生は、1年間通じてずっと、「同一性」の問題ついて考えているわけです。「何かと何かが同じというのはどういうこと」といった授業を1年も話せるのかということで驚きました。普通ならば、30秒くらいしか考えられないと思いますので、これは面白いと思いました。
――もともとの科学への興味と、哲学との出会いによって科学哲学へと導かれたのですね。
戸田山和久氏: 自分が科学哲学をやっていますと言うようになったのは、割りと最近です。大学院生くらいまでは、何をやっているかと聞かれたら、分析哲学をやっていると答えていたと思います。特に論理や数学の哲学をやっていました。最初に関心を持ったのは、数とはどういう対象なのかということです。言葉の上からすると、それぞれの数に「1」や「3」などと名前がついているから、1個1個の数は対象となるので主語になるけど、述語は性質や属性に対応しているとするならば述語にはならないわけです。数は主語になりますが、明らかにコップや人という対象とは違って、目にも見えないし触ることもできません。人のアイデンティティとは違う意味で、「この数とこの数が同じ」というのは、奇妙なものです。それが知識の対象になっている不思議を感じました。例えばフェルマーの定義は数学者が発見する前から真か偽に決まっていて、後から見つけたという感じがする。そうすると、その事実は一体どこにあったんだなどと、考え出すとモヤモヤしてくるわけです。数は頭の中で作り出したものか、前からあるのか、それを厳密にやろうと思ったら面白くなって、それを大学院生の時に研究していました。
――戸田山さんにとって、学問とはどういったものでしょうか?
戸田山和久氏: 不思議の探求です。科学でも同様ですが、はじめから不思議なことが面白いというより、「よく考えてみたら不思議でしょ」というのが好きなんです。誰が見ても不思議な不思議と、筋道立てて考えてみれば不思議だねという不思議とがあって、僕は後者の方が好きなんです。
編集者は、読者であり著者である
――本を書かれるようになったきっかけはどういったことですか?
戸田山和久氏: 編集の方に書いてみませんかと言われたことがきっかけでした。最初の仕事は翻訳でしたが、そういう僕の仕事を見てくださっている編集者さんがいて、声をかけていただきました。あまり深く考えたりしたわけではなく、いつの間にか書いていた感じです。
――いつも、執筆はどちらでされているのでしょうか?
戸田山和久氏: 色々な人が訪ねてきたりしますから研究室ではできないので、自分の家か喫茶店で進めます。中学生くらいの時から、よく喫茶店で勉強していました。僕は直接ワープロでは書けないんです。紙にメモして図を書いて、ある程度できたら持って帰ってワープロで書く感じです。
―― 一般向けの書籍は、論文等とは書き方がかなり違うのではないでしょうか?
戸田山和久氏: 一般向けの本になればなる程、編集者との共同作業になります。「ここが分からない」などと、原稿が真っ赤になって返って来きて、何度も書き直していますが、段々つまらなくなってくるので、ちょっとギャグを入れたりするようになる。最初の段階では読者にサービスをせずに頭の中のものを出すので、非常につまらなくて、しかも分かりにくいものかもしれないので、それに対してダメ出しがあって、書き直して、編集者と一緒に作っている感覚です。
――『科学哲学の冒険』が対話形式で書かれているなど、表現は工夫をされていますね。
戸田山和久氏: あの本は、科学哲学の入門書ですが、相談している中で、「今回は対話編で書いてみましょう」というように盛り上がったんですが、これが本当に大変で、途中でいやになりました。それぞれのキャラクターをちゃんと設定して、こいつだったらこういうことを言いそうだということを守りながら書いて、簡単に説明してしまえば済むところを、3人が話しながら段々と分かっていくように書こうとすると、実は自分でもよく分かってないところが明るみに出たりするわけです。本の中に読者がいるような感じです。何が問題になっているか自体がよく分からなくて、そこから話を進めていかなくてはいけない時は、対話編には面白い可能性があります。そういう意味では、プラトンは偉い。それを自分が上手に書けるかどうか別として、よくできた形式なんだなと思いました。
――理想の編集者はどういった方でしょうか?
戸田山和久氏: やっぱり良い仕事ができたなという本は、ほとんど編集者が共著者のように、一緒に作ってくれたものです。その人がいなかったら全然違うものになっただろうというものもあります。これは本当に編集者によって全然違っていて、出した原稿が本として出てしまうような時もあるんです。そうすると、自分でも納得がいかないものができてしまうことがあります。言われたことを直すと、確実に良くなっていきます。編集者はやっぱり最初の読者ですし、読者と筆者両方やってくれているような感じです。そういう人がいるかいないかが、ブログなどと本の違いだと思います。
読む行為は、電子化出来ない
――戸田山さんは電子書籍を利用されていますか?
戸田山和久氏: 僕は個人的には使ってないです。なぜかというと、仕事で電子メールやワープロなど、とにかくパソコンをよく使うので、それ以上、液晶画面を見たくないんです。本を読む時は、やっぱり楽しみたいと思っています。
――戸田山さんの本を電子化して読みたいという方についてはどう思われますか?
戸田山和久氏: 本はどんな風に読まれても良いと思うので、書き手としてはもうとにかく読んでもらえば良いんです。目の不自由な方だったら朗読のテープとか、そういう風なことをしていただいたらすごくうれしいです。電子化して読んでもらってももちろん良いと思います。僕も年を取ってきて老眼になると、本はやっぱり辛いので、字を好きなサイズにできるっていうのも良いと思います。
――電子書籍は利用されていないとのことですが、学術論文などは電子ファイルで読まれていますか?
戸田山和久氏: 今は電子ジャーナルになっていますから読んでいます。最初に使ったのは、1995、6年だと思います。ダウンロードしてフォルダに入れているのですが、読む時は紙に印刷しています。
――電子ジャーナルによって研究に変化はありましたか?
戸田山和久氏: あることについて論文を書かなければいけない時に、先行研究を踏まえてキーワードで検索すれば、ずらっと出てくる。それをせっせとダウンロードするとあっという間にただで10や20は集められます。でも読み方は、電子化出来ませんので、「これもちょっと読んでおくか」というものがどんどんたまってしまうので大変です。前は、自分で図書館に行って、コピーしていて、名古屋大学の中でもいくつも図書館あるので1周りして全部そろえていくと1日終わってしまって、ない場合はよその大学から取り寄せたりもして、全部取り寄せるまでにひと月近くかかったりもしていましたので、電子化されたことで、ペースが速くなっています。
――そういった研究スタイルには、功罪があると思われますか?
戸田山和久氏: 僕は罪の方が多いと思います。研究のスパンが短くなり過ぎている。論文数が指数関数的に増えているので、くだらないのばかりになるし、1人の研究者がフォローしきれなくなるわけです。もしかしたら自然科学はそれの方が良いのかもしれないですが、人文学の場合はゆっくり考えることが重要なので、速くなってしまうと良くないところが出てくると思います。だから、1人が書いていい論文の数の上限を「一生に5本まで」などと設けたらどうかなと思います。
諸学の可能性を広げる読書の形
――電子書籍の利点、可能性についてはどう思われますか?
戸田山和久氏: やっぱり持って歩けるというのはいいです。勉強は周りに本を置いてあるところでなくてはできない、というものではなくなって、それこそスターバックスでもできるようになる。あとは、シェアができる点がいいと思います。今、図書館などでは、グループ学習する部屋を用意するようになっています。昔は図書館は口をきいてはいけないところでしたが、今は議論もできる場所があります。そういうところで電子書籍があると、お互い本をもち寄って検索して「これにはこう書いてあるぞ」などというようなことができる。音楽についての本、例えばジャズの歴史の本ならば、何曲か聴きながら読めるということは電子書籍ならではの読み方といったように、もっとマルチメディア風にすることもできます。哲学の本だったら、読者が一緒に考えて、ゲームのように枝分かれしている部分があるといったスタイル。イエスですか、ノーですか、という風に選択肢があって、なになに主義などと立場が分かれて、たどっていけるようなものがあれば面白いのではないかと思います。電子化にしても、そこまで変わらないとあまり面白くないです。一時期ハイパーテキストの概念ができていると言われていましたが、実際にはあまりできておらず、まだ誰もそういう本を書いていません。
――最後に、今後の展望をお聞かせください。
戸田山和久氏: 「科学の科学」をもっと具体化する仕事をやっていきたいと思っています。1つは科学哲学の方向からトンネルを掘って、科学哲学のやれることをもっと広げていく。科学哲学も始まってもう100年位経つので、問題集ができてきて、その問題にはこういう基礎的な文献がありますという風にリファレンスがあるので、それを読めばとりあえず研究はできます。でも、逆に言えばその問題しか扱えなくなってしまう。新しい問題をどんどん広げていかなければいけないから、科学哲学の可能性を広げる方向から、科学の科学を作っていこうと思っています。すでに色々な仕方で科学について研究しようとする人たちがたくさん現れているのですが、皆、孤立してやっていますので、色々な分野をつなぐフォーラムのようなものを作って、両側からトンネルを掘って、それらが出会ったところで、科学の科学ができると考えています。
(聞き手:沖中幸太郎)
著書一覧『 戸田山和久 』