妻に勧められて『野宿完全マニュアル』を執筆。
――執筆を始められたのは、どのようなきっかけがあったのでしょうか?
村上宣寛氏: 私は良いパートナーに恵まれていると思います。家内との出会いは同志社の学生の時ですが、家内は1つ上の学年で、研究を手伝ったのがきっかけで一緒になりました。私の父は呉服関係や焼き物の商売をしていたのですが、家内も私と同じく商売の家の生まれという共通点があったんです。お互い小さい時から人にもまれているから、人を見る目が養われていった。その妻に、『野宿完全マニュアル』を書けと最初に言われた時、正直「面倒くさいな、どうしよう」とも思いました。でも、人に言われないとやらないタイプというか、人に言われてもなかなかやらないタイプで、不承不承に出版社に働きかけると、アウトドアの好きな編集者がいて、即、OKだったので、出版を前提に一気に書きました。
――奥様の一言がなければ、執筆はされていなかったと思いますか?
村上宣寛氏: 本は書かなかったと思います。日経BPの編集者が『野宿完全マニュアル』を見て感激して、私が日刊工業から出した『最新コンピュータ診断性格テスト』という本を『野宿完全マニュアル』のタッチで書き直してくれと言われました。それが『心理テストはウソでした』です。書き方も、編集者が章の始めに必ずエピソードを入れろ、などと色々と細かい注文をつけました。編集者の指示が幸いして、あの本はだいぶ売れました。そういえば『最新コンピュータ診断性格テスト』も別の編集者が持ちかけてくれた依頼本でした。
『心理テストはウソでした』が予想以上に成功しましたので、日経BPの編集者から次々に執筆依頼があるわけです。基本は彼が読みたいと思ったテーマの本を私に提案して書かせるんです。したがって、彼が読みたいと思った本を私が書いただけです。その後の本はそこそこしか売れていませんが、それが普通らしいです。個人的には専門的内容の普及書が書けたので、良かったと思います。いろいろ本を出すと、今度はちくま新書から依頼があったりと、一端、本を書くと、いろいろなつながりが出来てくるんです。偶然がどんどん重なります。今度のハイキングの本も、ちょっとした偶然の重なりからですね。偶然が一杯重なると、ちょっと運命みたいな雰囲気になります。きっと書くべき運命だったんですよ。
編集者は自分にとって「触媒」みたいなもの
――村上さんにとっての出版社、また編集者の役割に関してはどのようにお考えですか?
村上宣寛氏: 編集者がいないと私は本が書けなかったと思います。編集者が原稿を読んでくれて、感想を聞かせてくれると私は書けるのです。触媒みたいなもので、いないと全く反応が起こらない。『IQってホントは何なんだ?』、『心理学で何がわかるか』、『性格のパワー』など、みんな依頼原稿です。編集者に言われて、さてどうしたものかと途方にくれます。それで、文献データベースに当たってしばらくすると、章立てなどが段々できあがります。最初から章立てを計画して書いたように見えますが、全然違います。全く適当に書き始めています。少し進むと、構造化されていきます。最終的に緻密に計画を立てて書いたように見えるだけです。私はあまり積極性とか自主性がないんです。編集者に言われると、ゆっくりと頭が働き出します。執筆し始めると夢中になり、後は止まりません。だいたい1冊、1年で書いています。
――村上さんを駆り立てる原動力はなんだと思われますか?
村上宣寛氏: あまり考えたことはないですが、要するに、「分かっていることは書ける」「分かってないことは書けない」ということではないでしょうか。理解していないと、書き方、表現方法も悪くなってしまいます。分かっていることは書きやすいし、分かりやすく書ける。だから私の場合、自分の知らないことを調べていって、分かったことを書いているだけという話です。書く時に大切なことは「分かってないことに対して、分かったように書かない」ことではないかと思います。
著書一覧『 村上宣寛 』