そろばんで会計士試験を受けた大学生時代
――どのような大学生活を送られましたか?
桜井久勝氏: 公認会計士になろうという志を持って入ったので、最初からずっと勉強していました。会計学を勉強する人は、商工会議所の簿記検定を受けるんです。今は電卓が自由に使えるのですが、私が勉強し始めた頃は、圧倒的にそろばんの人が多かったのです。小さい頃に、親に言われて嫌々そろばんを習いに行ったことはあったのですが、あまり得意ではありませんでした。大学へ入ってからそろばん学校へ行きなおすと、生徒は小さな子供ばかりなんです(笑)。2、30人のクラスで、たまに大人がパラパラ混じってるような感じ。当時の電卓は大きくて、乾電池を何本も詰めて、それでやっと試験時間中使い続けられるようなものでした。値段も高く、貧乏学生に買えるような金額じゃなかったので、私はそろばんで受験したんです。大学の時には、卒業に必要な単位を取りつつ、空いた時間は図書館で簿記試験のための勉強をしていました。でも「そろばんの音がうるさい」という苦情が来るんですよ(笑)。学生からよく聞きますが、今でも電卓を使っていると、「電卓をたたく音がうるさい」と苦情を言われるそうです(笑)。
――公認会計士へ向かって無我夢中で駆け抜けた大学生活だったのですね。
桜井久勝氏: おかげで、公認会計士試験、昔で言うと2次試験に、大学の3回生の時に合格できました。インターン制度で、会計士協会が運営している補習所があるんですが、そこへ通いつつ大学へも通い、3次試験を受けるためには実務経験も必要なので、ある個人事務所で業務補助という形で、監査業務も経験させてもらいました。4回生の時に、もともと勉強好きですから研究者になるのもいいなと思い始め「このまま公認会計士になるのか、どうしようか」と迷いました。その時に「もうちょっと両方やってみよう」と思い、大学院へ行きつつ会計士業務もするといったように、大学院の時は二足のわらじを履いていました。当時は公認会計士の業務をすると、日当が1万円と高額だったので随分助かりました。個人事務所ですから毎日働きに行く必要がなく、声を掛けられた日に働いて、あとは大学院へ行っていました。今はとてもそんなことはできないと思いますが、私は幸いにして両立することができました。私どもの大学は実学主義の大学で、大学院の時の恩師が、「実務経験がきっと研究の役に立つ」という考えをされていたので、両立を認めてもらったことには本当に感謝しています。
公認会計士と研究者
――77年に第3次試験に受かり、その後も大学院で研究を続けて、そこから助手になられましたね。
桜井久勝氏: 当時、国立大学の教員は国家公務員だったので、公認会計士と両方はできないというルールでした。だから最終的にどちらを選ぶかという選択を迫られました。
――研究の道へ進まれようと決心されたのは、どのような思いからだったのですか?
桜井久勝氏: 一般の皆さまが会計学に関して持っているイメージとして、簿記の延長で考えられている人が多いと思うんです。でも、もっと重要なのは、企業が作った決算書が、社会の中でどのように役立っているかという側面だと私は考えています。それを、真正面から取り上げた研究で1968年に出版されているアメリカの論文がありました。それが随分面白かったのです。つまり、企業が「今年の利益はこれだけですよ」と決算を発表した時に、株式市場がそれに反応するのかどうか。実際にそういう企業の決算書が、市場や経済社会になんらかの恩恵やインパクトをもたらしているのかどうか、といったことを調べた論文でした。それまで私は、会計にはルールがあって、それを当てはめて決算書を作ること。その方法を研究するのが会計学だと思っていましたが、その作られた決算書が実際に役に立っているかどうかを調べた研究があって、その論文に感動したのが研究者の道を選ぶきっかけになりました。