電子書籍をただ批判するのは、マグロを知らないで買うようなもの
――加藤さんの読者が電子書籍で本を読むということに対して、屈託のないご意見をいただけますか?
加藤文氏: 僕は電子書籍という言葉が出る以前の青空文庫の時代から、これはちゃんとおさえておかなきゃいけないと思っていたんです。EPUB形式という電子書籍の形式がありますけれど、あれが出てきた時に自分で電子書籍が作れないかと思ったんです。当時、EPUB形式は縦書きができませんでした。「縦書きができないから小説が書けない」あるいは「日本語が書けない」ということを言っていたら僕は駄目だと思ったんです。相手が横書きしかできないと言っているんだったら、横書きで小説とかエッセイでもいいからとにかく自分で1冊、電子書籍を作っていかないとわからないんじゃないかと。
――どうして自分で1冊作ってみたいと思われたのですか?
加藤文氏: わからないからです。とにかく文章とか言葉を扱う媒体として新しいものが出てきたわけです。それは媒体の、形式だけにとどまる新しさだけじゃなくて流通に関する面も、あるいは制作に関する部分も新しくなる可能性を秘めている、そういった新しさがあるのが電子書籍だと思うんです。それを編集者とか誰かに言われてから、はいそうですか、自分の原稿を流し込んでくださいというだけじゃ駄目だから、とにかく1冊、自分で作ろうと思ったんです。少なくとも編集とか書くことに関わっている者としては、やっぱりわかっておかないといけません。電子書籍の本質をわからないままでは、料理人が築地に仕入れに行って、マグロとは何か知らないのにマグロを買っているのと同じです。だから自分で1冊作ってみました。1冊というか色々、昔のものを流し込んでみたりとか、とにかく自分で作業をやってみました。あくまでも自習であり、実験なので販売はしていません。
電子出版の現状について思うこと
――電子書籍の現状はどうでしょうか。
加藤文氏: 正直な話、僕は電子書籍にすごく熱を入れていた時期があるんですが、最近、なんか電子書籍の活字って読みにくいんですよ。電子書籍酔いをするので、紙の方が楽なところがあるんです。あと、僕は焼けたり古びたりしている古本が好きなんです。電子書籍にはそれがありません。だからといって電子書籍を僕は全否定するつもりはないんです。紙の本は紙の本として生きる道がある。電子書籍は電子書籍として、やはりまだまだこれから生きる道を大きくさせていくことができるでしょう。背景のテクスチャーの問題もそうですし、もしかしたらフォントも電子書籍用に開発されなくてはならないかもしれないし、なんとなくまだ電子酔いをする感じがするので、そういう問題をそれぞれ抱えながら、それぞれの生き方が明確になってくるんじゃないかと思うし、それぞれ両方に生き方がある。例えば現状では写真集なんかは圧倒的に実物として存在した方がいいと思う。電子書籍としてスピードを生かして、コストを落として販売するという方法もある。そういったそれぞれのメリット、お互いが、お互いのメリットを生かし合えるような進み方を見つければいい。だから今は、「どっちも頑張れ」という思いです。
――共存し合える関係が良いということですね
加藤文氏: 油絵や日本画が、CGにならないのかということに関しては誰も疑問を投げかけない。なのに、なぜか書籍に関しては、どっちかという話しかしない。紙のメディアが死に絶える時は、それこそ世の中に木材がなくなってパルプが作れなくなる時などで、何もなければまだ生き続ける。ただ、生き続けるためには、それこそ制作や流通上のさまざまな課題を解決しなければならない。同じことが電子書籍にも言えると思います。電子書籍になれば、じゃあ安泰なのかというと、そういうことでもない。そこも、まだまだやっていかなきゃならない問題が山ほどあるので、それぞれの専門家が関わっていかないと駄目です。新しいものに対するアレルギーで拒絶する、古いものだから、高いから、あるいは安いから拒絶するという話じゃなくて、「とにかくみんな、一度自分でやってみてよ」と僕は思います。そうすると構造が見えてくるから、それから自分の立つべき位置や選択するものを選べばいいと思います。
――今後の展望をお聞かせ下さい。
加藤文氏: 次の作品に関しては、まだ版元も決まっていませんし、作品の完成形が見えませんが、制作中の映像作品の発表を実現したいです。自分でとにかくやらなきゃ、とにかく何かを作らないと、と思っています。考えているだけでは駄目なのであって、それを完成させるということが大事なのです。自分が抱えている電子書籍への課題がクリアできれば、紙の媒体にこだわる必要はないと思っています。
(聞き手:沖中幸太郎)
著書一覧『 加藤文 』