カラヴァッジョの絵に魅せられて
――美術史という学問に興味を持ったのはいつ頃でしょうか。
宮下規久朗氏: 美術史に目覚めたのは非常に早く、小学校の5、6年の時で、一種のオタクでした。
家には美術の本は一冊もなく、親も全く興味がありませんでしたが、ある時、田舎の分校だった小学校の図書館に美術の本が沢山入り、廊下にその本のカバーが張り出されたことがあったんです。そこでレオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロ、ラファエロやルノアールといった画家たちの絵を見たのがきっかけです。それ以前から絵を描くのが好きでしたし、美術番組もよく見ていました。日曜日の朝に、吉田喜重という映画監督が作っている「美の美」という番組があって、毎回1人の画家を取り上げて、吉田喜重がその画家の足跡を訪ねて歩くというものでした。
――その番組がきっかけで、好きになった画家もいらっしゃるんでしょうか?
宮下規久朗氏: 忘れもしない、小学校5年の時に、その番組でカラヴァッジョという画家が取り上げられたんです。カラヴァッジョが、殺人を犯して逃げ回っていた画家だということを知り、非常に衝撃を受けました。彼は殺人の逃避行の最中に絵を描いているのですが、それがまた非常に迫力のある絵だったので、近所の図書館に行って調べたのですが、カラヴァッジョの本は1冊もありませんでした。ただ、大判の美術全集である『大系世界の美術』の一巻に彼の絵が載っているのを見つけました。それを見た時、とても強い衝撃を受けたのです。それまで色々な画家に興味があったのですが、カラヴァッジョの持っている迫力やインパクトにとらわれ、そのまま美術史の道を進み、大学では美術史を学び、卒業論文も修士論文もカラヴァッジョをテーマにしました。
「画家になりたい」という夢
――東京大学を選ばれた理由はなんだったのでしょうか。
宮下規久朗氏: 東大を志望したのも、美術史を学びたいと思ったことが大きな理由です。小学校の高学年の時に、高階秀爾先生の『名画を見る眼』を読んで非常に感動しました。1枚の絵にこれだけの情報が入っていて、こんなに読み解く面白さがあるのだと思い、美術史という学問の存在を知ったんです。美術館で働いたり、美術史の仕事をしたりするにはどうしたらいいかと考えていた時、高階先生が東大教授だということを知り、この先生に学ぶために東大に行くしかないと思いました。それで中学生ぐらいからそれまで苦手だった勉強を頑張り始めました。
――その頃から美術史家を目指されていたのですか?
宮下規久朗氏: 私は、もともと画家になりたかったんです。だから小学校の高学年のカラヴァッジョが好きになった頃も、画家になりたいという夢と美術史に対する思いがごっちゃになっていたんです。美術だけを研究する仕事があるとは知りませんでしたから、ずっと絵描きになりたいと思っていました。自分で言うのもなんですが、実際、絵も上手かったんです。美大や芸大に行って画家になるという道も当然考えていましたし、中学の美術の先生には、「このままだったらストレートで東京芸大に受かる」と言われたこともありました。ただ自分でも絵を描いているうちに、古今東西の素晴らしい作品を遺した画家のような才能は持っていないということが分かりました。良いものを知れば知るほど、いくら技術を磨いても、人の心に訴えかけ、感動を与えるような、あるいは時代を超えて残るような絵は描けないと思ってしまったんです。
無限に尽きない「見る」という仕事
――それで、美術を「見る」仕事に進まれたのですね。
宮下規久朗氏: それが良かったんです。見る仕事というのは尽きないんです。つまり、いくらでもありますから。対象は無限にあるし、面白いことも無限に出てくる。こればかりは、どれだけやっても飽きません。絵描きだったら自分の才能の限界や色々な壁にぶつかるでしょうが、見て研究する分には、対象は無尽蔵ですから、いくらでもできます。
――「見る」という仕事の魅力とは、どういったところにありますか?
宮下規久朗氏: 私は、テレビや画集から美術の世界に入っていった人間です。実際に旅行をして作品を生で見るようになって思ったことは、実際に行って作品を見てみないと分からないということです。その作品を取り巻いている空間、環境、雰囲気などは、画面や印刷物からは絶対に伝わらない。作品を取り巻く空間に身を置くという体験には幸福感があるんです。つまり、時代を超えて、昔生み出されたものが今もこうやって力を発揮しているということを実感することが大事なんです。美術作品というのは、ある意味で生きている。その時代を超えてずっと生き続けて、これから先も生き続ける。現地へ行ってその空間でその作品を見るということは、その作品が持つ歴史そのものに立ち会うという実感と感動があるんです。歴史の好きな人は、物語を読んだり、資料を見たりしますよね。美術作品というのは実在する生の歴史なんです。作品が残っているというのは、過去のものであると同時に、現在のものでもあるということです。それこそが美術の持つ力だと思います。
――歴史に立ち会うという感動を、学生たちは授業を通じて体験しているのですね。
宮下規久朗氏: 実際に身を置いてみないとわからないし、わざわざ行きにくいところへ苦労して行くという経験も大事なんです。安易に向こうからやってくるものではなくて、電車を乗り継いだり何時間もかけて歩いたりして行くことは、自分の人生史の中でも、「あの時苦労して見たな」などというように、記憶に残るんです。誰と一緒に見たなとか、あの時どういう話を聞いたなという体験が、ずっとその人の糧になると思うんです。次に行く時は、また別のシチュエーションで同じ場所に行ってみるとまた違う感動がある。その後、いろんな人生経験を経てまた同じ作品を見たときなど、どういう心境で見たかによっても、全部違ってくる。つまり、無限に楽しめるんです。
著書一覧『 宮下規久朗 』