電子化の技術をフルに活かす
――電子書籍の可能性について、お聞かせ下さい。
酒井邦嘉氏: 電子化した場合のメリットの中では、保存性の高さが重要です。それは検索性などの利便性以上に大事なことだと私は思っています。本の各ページのレイアウトはもちろん、紙の本が元々持っていた風合いや質感を切り捨てることなく、できる限り電子化して保存していくことが大切でしょう。
写真の世界がフィルムからデジタルに移行してからも、単に画素数だけでなく、豊かな階調や質感を再現するための努力は絶えず続けられてきました。本も同じことだと思います。
――どういった場面で、電子化の技術を活かせると思われますか?
酒井邦嘉氏: 劣化することのない電子化技術を生かして、作家の自筆原稿のように貴重な一次資料を、できるだけ忠実に保存するという方向が考えられます。限られた図書館にしか置いていないような稀覯本や初版本などを電子化して、世界中の人が閲覧できるようにしたり、後世に伝えていったりするようになったら素晴らしいことでしょう。
他には、油絵のような一点物の作品を退色させずに保存したり、絵の具のディテールなどの3次元的な情報を電子化することも考えられます。紙での印刷では、実物の大きさや色を再現する際に、明らかな限界がありました。近い将来、電子化された高精細画像を壁に投影して、本物と遜色ない形で再現できるようになるかもしれません。そうしたら、自宅が美術館に変わることでしょう。
――本と電子書籍は、もっと使い分ける必要があるのでしょうか。
酒井邦嘉氏: 作品に対する価値観や読み方に合わせて、紙の本と電子書籍を使い分けるのが一番だと思います。今あるスマホやタブレットのような画面で読書を楽しむには、どうしても限界があります。紙の本の方が、はるかに情報量が多くハイテクな製品であるということを忘れてはいけませんね。
言語を通して、人間が見えてくる
――普段、何か面白いなと思って手に取る本の基準はありますか?
酒井邦嘉氏: 基本的に流行は追わない方ですが、好きな作家の場合は、できるだけ発売時に単行本を買うようにしています。同時代の著者と考えを共有できるのも、読書ならではの醍醐味です。
――本屋さんへ行かれることは多いのでしょうか?
酒井邦嘉氏: 不思議なもので、書店に行って選んだ本を読むと、探していることの答えが書いてあるものなのです。脳が無意識に働いて、その時に必要な本を勝手に選別してくれるように思えてきます。なぜ通販で本を買うのに限界があるかというと、キーワードで検索して本を探そうとするからです。本屋さんで書棚に並ぶ沢山の本の前に立てば、その中から自分が読みたいと思うような本だけが目に飛び込んで来るものです。脳の情報検索システムの方が、はるかに優れているのです。それに、リアルな本をすぐに手に取って買えるという贅沢を思えば、行きつけの本屋さんは貴重ですね。
――知識との出会いの場としての価値など、通販サイトとは違う所に、本屋さんの価値があるのでしょうか。
酒井邦嘉氏: 出会いの場という意味では、図書館も大切でしょう。ただ、網羅的な図書館に対して、本屋の品揃えから、その本屋さんのメッセージが伝わってきます。違うジャンルの本を一緒に並べてみただけでも、新しい発見があるものです。ですから、網羅的な通販サイトでは、かえって物足りないのです。そして、自分のお気に入りの本だけを集めた本棚を作るのも、今なお贅沢な読書の楽しみですね。
――今後の展望をお聞かせ下さい。
酒井邦嘉氏: 言語学者のチョムスキーは、言語学を通して人間を理解したいと言っています。人間の本性(ほんせい)を理解することがサイエンスの究極の目標だと、私も考えています。「人間らしい」とは一体何なのかと考えた時に、芸術のように、何かを新しく創造して生み出すという営みが思い浮かびます。その不思議を、今後の研究で分かるようにしたいと思います。
――著書としては、どういったものを出そうと思われていますか?
酒井邦嘉氏: まさに今お話したテーマで、『芸術を創る脳』という本を出しました。芸術を究めた素晴らしい4人の方々と対談して、その極意を教えていただきました。私だけでお話を聴くのはもったいないので、それを読者の皆さんと共有できたらと思っています。
(聞き手:沖中幸太郎)
著書一覧『 酒井邦嘉 』