もっと世界へ出てほしい
東京大学医学部卒業後、東京大学医学部講師、東京大学医学部附属病院小児科医長を経て、現在、お茶の水女子大学大学院教授として教鞭を執られています。発達障害の臨床的研究、発達障害児の保育、子どもの生育環境とその発達への影響についての研究のほか、国際医療協力など精力的に活動されています。『脳科学の壁』、『よくわかる 発達障害の子どもたち』、『赤ちゃんの「育つ力」をわかる 信じる 伸ばす本』などの、広く一般の人々に向けて執筆されている数多くの著書は、高く評価されています。現在も医師としてのお仕事のほか、世界各国を忙しく飛び回る榊原洋一先生に、生い立ちや大好きな読書のこと、執筆に対するお考えや、教育者としての思いなどをお聞きしました。
世界中で発達障害の子どもたちを支援
――発達障害の臨床的研究、発達障害児の保育、子どもの生育環境とその発達への影響、国際医療協力が主な研究対象ということですが、現在取り組んでいらっしゃることについて、お聞かせ下さい。
榊原洋一氏: 僕は元々、小児科の医者ですが、7年ほど前からこのお茶の水女子大学大学院 人間文化創成科学研究科の教授として講義・研究をしています。ここの科目に発達心理や保育がありまして、昔から小児科関係の医者が職員となる経緯がありました。僕自身、発達障害が専門ですから、自閉症や多動の子どもたちについて講義・研究をしています。今は特別支援教育に特化していますが、日本、中国、ベトナム、タイなど、アジアの子どものQOLを調べる国際調査をしたり、文部科学省からの予算で、学校での子どもたちへの対応について、教員の方々から情報を集め、報告書を作ったりしています。今の関心としては、発達障害の臨床と、そういった子どもたちの発達、心理的な問題、教育的な問題についての研究が主です。
――国際医療についてはいかがですか?
榊原洋一氏: 国際医療は、東大にいる頃からJICA(国際協力機構)の関係で、ベトナムやネパールに行くのですが、一番長いのはガーナですね。ガーナ調査の国内委員として5年間のプロジェクトの間に10数回、現地に調査に行きました。今はベトナムやタイの小児科の医者とコラボレーションして、現地の子どもたちの発達についての調査などをしています。
国際学会でもアジア、オセアニアの小児神経学会がありまして、5年ほど前から会長を務めています。地域の子どもたちの神経の病気、発達障害の子どもたちの医療・教育・生活に関わる調査などに関して、国際学会の場面で小児科の医者同士の協力を続けています。
――大変なお仕事をいくつも兼務されていますね。
榊原洋一氏: 正直に言うと、忙しいです。ただ僕は医者ですので、東京大学の病院にいた時は臨床に関する仕事が結構大変で、重症患者の処方や救急の対応があったりしました。それがない分、こちらでは時間的余裕はあるんですが、その余裕を全て研究活動や執筆などに使ってしまって、かえって忙しくなっているかもしれません。外国で学会があるので、昨年は6回~7回、今年は9回ほど現地に行かなければなりません。
――外国ではどのような研究・活動をされるのですか?
榊原洋一氏: 今は、タイとドイツの日本人学校に行っています。この間はフランスにも行きましたが、外国の日本人学校にいる発達障害の子どもたちの相談会に毎年行っています。それと、国際学会長として年に1回の理事会があります。また、お茶の水女子大学の、学生に外国、特に発展途上国での研修を早い時期に経験してもらうための、国際化を目的としたプロジェクトとして、スタディーツアーを実施していまして、その引率で毎年ベトナムに行っています。
僕の場合は臨床医ですが、医学と教育と心理のちょうど中間点に立っているようなところがあって、特に発達障害の子どもは教育や心理とも関係が深いですから、そういう仕事が中心です。
――医学・教育・心理の3つに、軸を持って動かれているのですね。
榊原洋一氏: 僕の場合は小児科、小児神経に専門領域を持っており、それに関わる子どもの発達について、かなり勉強してきました。発達障害関係や育児学に近いことから、小児神経学、国際など、色々と関係する分野や問題を組み合わせています。
世界中の国を見てみたい
――どのようにして今の道に至ったのでしょうか?
榊原洋一氏: 医者になりたいと思ったのは中学生くらいの時です。高校に入って、その意志が固まっていきました。その頃、大企業の食肉偽装事件がありまして、「大企業は必ずしも良いことばかりしているわけではないんだな」と思ったんです。すごく単純ですが、人の命を救い、病気を治す医学は、どの時代であっても良いことだと思ったのが医者を目指した最初のきっかけです。それで、高校時代に医師になることを決めました。
――その後、難関である東京大学の医学部に進学された訳ですが、大学ではどのように過ごされていたのでしょうか?
榊原洋一氏: 大学ではワンダーフォーゲル部に入ったんですが、これが大きな転機になりました。年間平均60日ほど山に入る生活を続けていて、医者になってからも山登りを続けていたんですが、それがきっかけでパキスタン北部にあるカラコルムに行くようになったんです。パキスタン奥地のギルギットという村から登るのですが、必ず医者がついて行かなければならず、その付添の医師の旅費は全て都庁が出してくれるというのを知って、で喜んでついて行って医者兼通訳をしました。そこで、こういうギルギットのような村には、全く医者がおらず、その為付き添いの医者が必要だったということを知りました。日本の医療にも色々課題がありますが、世界中には全く医者がいないところで生活している人がいるんだと、カルチャーショックを受けました。それで、国際医療教育に関心を持ったんです。
――小児医療については、どのようなことがきっかけだったのでしょうか?
榊原洋一氏: 「治らない病気」が最も大変だと考えるようになったんです。子どもの中でも障害のある神経の病気に関心を持つようになり、脳性まひなどの小児神経学に進みました。カラコルムでの経験から、JICAの仕事で東南アジアやアフリカの話があると、率先して手を挙げて、ベトナム、ネパール、ガーナ、インドネシアに行き、現地の医療を見てきました。
お茶の水女子大学では、若い学生をそうした国々へ連れていきます。若く、感受性が強い時期に見てほしい。日本人は言葉の問題もあって、現状では、世界にあまり出て行っていない。これからの若い人には、もっと世界へ出て行ってほしいと思っています。
――小さい頃はどのようなお子さんだったのですか?
榊原洋一氏: 僕は 1951年生まれで、一応戦後の世代。いわゆる団塊の世代より後なんですが、まだ日本は貧しかった。吉祥寺で生まれて国分寺で育ちましたが、当時、ユニセフなどのサポートで、裏の広場で古着を貰えることもある時代で、日本がまだ援助を受けている時の記憶があるんです。父は商社マンで、僕が4、5才の時に2年間単身赴任でアメリカに行っていたんですが、父から送られてくる写真を見ながら、日本以外の国があることを知りました。世界中の国を見てみたいという気持ちがすごく強くなり、外国に対する憧れから、中学時代には色々な外国文学を読むようになりました。中学の時に最初に文庫本で読んだのは、赤毛のアンシリーズ。『アンの青春』、『アンの結婚』などをむさぼるように読んで、それがきっかけで海外文学が面白いなと思うようになりました。その後は高校時代にかけてヘルマン・ヘッセ、ロマン・ロランの『ジャン・クリストフ』、『人間の絆』、ドストエフスキーの『罪と罰』などの、色々な外国の文学作品を読みました。
――初めてあこがれの外国に行ったのは、いつ頃でしたか?
榊原洋一氏: 医学部を卒業して国家試験を受けた後の、24歳の休みでした。安いツアーでカリフォルニアとバンクーバー、カナダに行ったんです。バンクーバーの街中にはリスがいて、その写真ばかり撮っていました(笑)。24年間ずっと気持ちを温めてからの、初めての外国でしたから、その時の気持ちは今でも鮮明に覚えています。そのせいか、今でも外国関係の本ばかり読んでいて、外国の紀行文や伝記が好きです。『フランクリン自伝』やダーウィンの自伝や伝記などもよく読みました。外国の人がどのようにものごとを考えているのかということに、この歳になっても関心があるんです。
――その中でも、特別「これが好き」という本はありますか?
榊原洋一氏: ドイツの詩人・小説家であるハンス・カロッサの『美しき惑いの年』です。ヘルマン・ヘッセと同時代の人ですが、知っている人は少ないと思います。彼も医者で、僕と誕生日が同じだったからということにちょっとした縁を感じていて、今でもたまに開きます。この『美しき惑いの年』は本人の青春時代の恋愛などを書いている本です。東南アジアやアメリカにはよく行きましたが、ヨーロッパに行ったのは遅くて、僕が初めてドイツに行ったのは40になってからでした。だから、今は取り戻すかのように暇があればヨーロッパに行ったりしています。あとは、博物学者たちの伝記も好きで、よく読みます。例えば、日本で言うなら、破天荒なイメージを持たれている南方熊楠の伝記は、すごく面白い。彼に関する伝記はおそらく全部読んだんじゃないかな。
Kindleは老人の友
――かなりご多忙だと思うのですが、今でも書店には行かれるんでしょうか?
榊原洋一氏: 時間が無いので今はほとんど行っていませんが、日曜日に1,2時間くらい大型書店などに行って、見てまわります。読書家と言えるほどでは無いと思うのですが、とにかく、読書は昔から自分にとっての娯楽だったので、かつては図書館や書店に、時間を見つけてはよく足を運びました。例えば、紀伊國屋やジュンク堂といったいわゆる大型書店に行くと、大抵落ち込んでしまう。昔から「本という本を全部読んでやろう」という知識欲のような傲慢さがあって、今はそんなことはとても無理だとわかってはいるはずなんですが、大型書店にずらりと並ぶ沢山の本を見ると、「まだ知らない、読んでいない本がこんなにあるのか」と愕然とするんです。「とても自分の一生の間に、全部読むことはできない」と、落ち込んでしまうわけです(笑)。馬鹿じゃないかと自分でも思うけど、書店に行くとそういう意気込みで、色んなことを知りたいという気持ちになりますよね。
――どのような本を読まれますか?
榊原洋一氏: アメリカに行っている時に、向こうのベストセラー作家の本を読んでみたんです。1つ気付いたのは、アメリカのベストセラー作家の書く文章は易しいということ。日本のベストセラーの感覚とは少し違って、アメリカでは、中学生くらいでも読めるような易しい文章で書いているものが多くの場合だそうです。「結構読めるんだ」ということが分かって以降は、海外の小説も読みやすいものを読むようになりました。最近ではKindleで、海外作家の本を安く手に入れられますよね。英語だと安いし、面白い。英文も易しいから、僕みたいな外国人でも読める。今はダン・ブラウンの『Inferno』を読んでいるのですが、国際的なベストセラーは、「ページターナー」と言って、読まずにいられなくなるような仕組みになっているので僕は電車の中で読むことにしているから、もう電車に乗るのが楽しみで仕方がありません。この間も、僕が学生時代に読もうと思っていて挫折したトルストイの『戦争と平和』が英訳では100円ほどだったので購入しました。結構長いので、3ヶ月ぐらいかかって読み切りました。すごく面白いです。Kindleがあるので、老人ホームに行っても楽しみがあるなと思っています(笑)。
――Kindleなどの電子書籍に抵抗はなかったですか?
榊原洋一氏: 抵抗なんかないですよ。持ち歩かなくていいし、細かい文字が見えなくても、字を大きくできるし、分からないことがあると押せばその単語が出てくるでしょう。
アメリカでの調査では、Kindleが普及してからアメリカの中年男性が本を読む率が4割上がったとか。よく紙の文化がなくなると言うけれど、結局読んでいるのは本であることに変わりは無いわけで、これは福音です。もう無しにはいられない。よくこんなものを作ったなあと思います。この中に何冊も入るわけだから、その時の気分に合った本を読めるのがいいですね。だから本当に老人の友ですよ。また、僕がKindleにしたのは、英語の本の品ぞろえが約150万冊と圧倒的だからなんです。日本はまだ数万。僕のように医者をしていると、例えば小児医学の教科書の2,000ページの本を読むこともあって、それがこの中に入ってる。こんな便利なものはないですね。
――電子書籍、広い意味で論文も含めて、電子刊行物の可能性についてはどのようにお考えでしょうか?
榊原洋一氏: 僕はいくつか外国の雑誌の編集委員をやっていますが、例えばオンラインサブミッションで出す時はみんなインターネットで出すし、最近はオンラインジャーナルがどんどん増えているので、こういった分野の本や読みものに関して言えば、いずれ紙はなくなるのではないかと思っています。
研究関係でも、それをフル活用しています。昔は膨大な資料を集めるには図書館に行かなければなりませんでしたが、今は外国の雑誌のアブストラクトも全部読めますし、大学では契約しているので、フルでたくさんのジャーナルを読めるんです。夢みたいな世界ですよ。私はアメリカに80年代の最初に3年いましたが、論文を書くとなると、半日図書館にこもって、関連の論文をあちこちから探し集めて持ってきて、コピーを取っていることもありました。今はその作業を全くしなくていいのだから、今の人は昔に比べて10倍ぐらい仕事ができなくちゃ、嘘だと思います。
――情報が手に入りやすくなった現代において、必要なこととはなんでしょうか?
榊原洋一氏: インターネットと本の違いはたくさんあります。僕は、本をいくつか出していますが、必ず校閲が入ります。たくさんの目を通して書かれているからこそ、それなりに価値があるのだと思います。個人のホームページだと、全く他人の目が入らずに、勝手なことが出ていることもありますし、それを信じてしまう危険性もあると思いますので、インターネットは情報を選ばないといけません。それに対して本は、しっかり複数の目が入っている。特に校閲係はきっちりと見てくれていますよね。ですから、そういう意味で本になったものは、それなりの意味がある。インターネットの場合には、リテラシーを付けないと内容的な保証がないものまでヒットしてしまう可能性があるので、その危険性を考えて利用しなくてはいけません。
――そこが、出版社、編集者の大きな役割なのかもしれませんね。
榊原洋一氏: 立派な編集者は、社会的な意味合いを持って、それを出していると思う。僕がKindleをすごいと思うのは、古典的な本をすごく安くしている点です。それはある意味、文化財としてそれを多くの人に提供しているということ。本は消費財である以上に文化財ですよね。ですからそれを無料でみんなに配信しているというのは、すごいサービスだと思うんです。文化的な情報のサービスをしていると感じています。
多くの人に読んでもらえることが喜び
――執筆に対する思いをお聞かせ下さい。
榊原洋一氏: 僕の場合、発達障害関係が多いんですが、本という媒体はたくさんの人に読んでもらえる。実際に出版している立場としては、講演会や授業で話す以上の形で読まれているなと感じています。Amazonなどでは読者から色々なコメントが寄せられることがありますが、僕は本を出すと、結構気にして見るんです。数は少ないけれど、こんなに読んでくれているのかと、すごく心に沁みます。「僕の言いたいことを分かってくれている人がいる」というのが分かってすごくうれしいです。実際に対面して話ができる人の数には物理的な制限がありますが、きちんと読んで下さっている人が、日本中のどこかにいるということを知ることができるのは、僕の密かな喜びとなっています。それが本を書くことの良さだと感じています。
―― 榊原先生の使命とは?
榊原洋一氏: 日本の医者は一生懸命やっているのですが、かなり専門的なので、その情報が医者以外の人にどのくらい伝わっているのかという問題があると思います。僕の場合も発達障害を特に専門としていますが、医師、心理の専門家、学校の先生、ご家族、みんな関係しているわけです。私の場合は医学という、一応、理系に足を置いているので、そういう立場から「たくさんの人に見てもらって、理解してもらいたい」という思いがあります。最先端のことというよりは、発達障害について多くの人に知ってもらうこと。心理の分野とも少し見方が違うので、僕が発達障害の心理の教科書を見ると、医学的にはもの足りないと感じる点もあります。ですから、両方の間の橋渡しのような存在になれれば、という気持ちでいますし、自分自身の存在価値はそこにあるのかなと今は思っています。日本の医療は世界的に見ても、結構頑張ってやっていると思うんです。だからこそ、医者自身が十分に発信していないところを、僕が代わりに発信することも仕事なのかなと思っています。
――最後に、今後の展望をお聞かせ下さい。
榊原洋一氏: この大学にはすごく優秀な学生さんがたくさんいるので、日本の優秀な女性が世界中で活躍するお手伝いをしたいなというのが1つです。
僕自身としては、いくつか夢があるんです。小児医療と子どもの発達心理の両方を包含したような本は、実はまだないんです。そういう本を、ある程度のボリュームで書いて、より多くの人に読んでもらえたらいいなと思っています。
(聞き手:沖中幸太郎)
著書一覧『 榊原洋一 』