直感こそが正解を作りだす
――先生の価値基準、価値判断は、直感によるものが大きい感じでしょうか?
辻秀一氏: そうです、直感です。一生懸命やったからこそ直感が鍛えられるというか、直感こそが正解を作りだすと思っているので、僕は理屈や理論は大切にしますが、それだけに頼ることは決してありません。目の前のものをとにかく一生懸命やって、そこで精いっぱい学んでいれば、必ず直感が養われて必要な選択を取るはずだ、というのが僕の信念です。
――文章を書くことは、昔から得意だったのでしょうか?
辻秀一氏: 高校まで僕は、国語の点数が一番悪かったんです。小林秀雄がよく読解できなかったから、逆に言うと分かりやすく物事を伝えるのが得意なのかもしれません。ものを書くことが磨かれたのは、医者になってからだと思います。まず入院サマリーという患者さんの日誌のようなものがあるのですが、“こういう主訴があって、こういう経緯で、こういうことをして退院したんだ”ということを書くための既定のフォーマットがあって、その中に上手く書かなきゃいけないんです。どんな新人の研修医も皆その試練を通るのですが、そこで鍛えられました。そして、大学の医学部の教授をやっていた父の姿を見ているうちに「書かねばならぬ」という思いが生まれたんです。論文を書くようになった時にも、良い先輩方に鍛えられました。僕は川崎市立病院に行っていましたが、その病院の歴代の先生方の中で一番論文を書いた研修医の一人だったという経験が、今にして思うと、ものを書く僕を育ててくれたような気がします。
見えないものの価値を伝えたい
――本を書く時に大切にされていることはありますか?
辻秀一氏: 伝えたいことを分かりやすく端的に伝えるというのが僕の本の売りなんです。だからそのための例え話や事例を常に探しています。その中でも一番分かりやすいだろうなと思ったのが、スラムダンク。それから、僕の人生を変えた映画「パッチ・アダムス」。「人生には質があるんだ」ということ、見えるものだけに、我々の豊かさがある訳ではないということを、本や、エクセレンス、あるいはスポーツや講演などで、怪しくない形で伝えたいんです。スポーツの事例、科学的な根拠、それから僕のドクターという肩書きも使いつつ、目に見えないものの価値を伝える。それは結局、「人間というのは何ぞや」というようなところだと思うんです。井上雄彦先生はその部分の表現において天才なので、『スラムダンク』はもちろん、宮本武蔵という素材を使った『バガボンド』で、そして車椅子バスケットボールを使った『リアル』という漫画で表現しています。「パッチ・アダムス」は笑いとドクターという立場で表現をしています。井上雄彦先生は漫画の中で、人間の生きる、死ぬ、勝つ、負けるといった様々なシーンを使って、僕が言いたいことを表現されている方だと思ったんです。
――先生のミッション、使命はその目に見えないものの価値を伝えることなんですね。
辻秀一氏: そうなんです。それがわたしのスポーツドクターとしての活動なんです。スポーツという、人間が生み出したすごく社会的に価値のあるツールを使って、世の中全ての人のQOL向上のために働くことが使命です。そして、その手段は本当に色々ある。病気を治すことよりも、人のQOLの方が大切なんじゃないかということに僕は気付いたんです。
――本を出すきっかけというのはどのようなことだったのでしょうか?
辻秀一氏: 『スラムダンク』を使ったメンタルトレーニングを思いついたので、作者である井上雄彦先生に思い切って会いに行ったんです。今でも覚えていますが、井上雄彦先生が下北沢の居酒屋で会ってくださって、そこで僕の夢を語ったら「それは素晴らしいですね。本を書いた方が良いよ。こんなに色々なことを語れるから大丈夫だ」と言ってくださったんです。実は『スラムダンク勝利学』の前に井上先生が勧めて下さったのは、集英社インターナショナルの『痛快!みんなのスポーツ学』という痛快シリーズなんです。でも、書いている途中で、「『スラムダンク』を使ったメンタルトレーニングの原稿を持って、色々な選手たちにアドバイスをしているんですよ」と編集の方に言って見せたら、「超良いじゃん」と言ってもらえたんです。そういったことを井上先生が伝えてくださったので、原稿を編集の人に見せることになり『痛快!みんなのスポーツ学』よりも先に出たんです。ほんの数週間で本になりました。本の色や装丁の具合、編集、すべてが最高でした。
――先生にとって理想の編集者像はありますか?
辻秀一氏: 今まで編集の人とは何度も喧嘩したことがあります。僕の個人的な意見を言わせてもらうとすると、まず本気じゃないとだめだし、柔軟性がないとだめ。思った通りのことを、僕に書かせようという感じではだめだと思っています。あと、愛を感じないというか、極めて作業的な人は苦手ですね。だからぎりぎりまで「ああでもない、こうでもない」と粘る人が僕は好きです。
――電子書籍はお使いになられていますか?
辻秀一氏: 凸版印刷が東京エクセレンスのスポンサーで、体育館も貸してくださっていて、一緒にご飯を食べた時に「先生、電子書籍ないでしょ?」と言って僕にくださったんです。電子書籍はまだ読んだことがないのですが、これからは少し読もうかなと思っています。理由の1つは、目が悪くなってきたので、字を大きくして読めること。それがすごく魅力的。もう1つは移動が多いので、かさばる荷物を持ち歩くのが苦手になったのもあります。出張などで、新幹線の中で読みたい本は何冊もある。僕はじっくり読むと遅いのですが、斜めに読むのは早いんです。だから、斜めにたくさん読んで、読む本が決まったらじっくり読みたいんです。ただ、まだ使いこなしてないので、電子書籍で早く読むことができるかどうかは分かりません。早く読める方法があったら最高ですね。
――バスケットのリーグもありますが、今年はどのような事をされていくのでしょうか?
辻秀一氏: 今年のテーマは「初心に返る」なんです。去年、集大成として東京エクセレンスをやりました。とてつもなく大変だし、お金も、時間もかかる。でも、それを上手くやろうとして、東京エクセレンスの活動だけにとらわれていたところがあったように感じています。僕の原点は、スポーツを使って多くの人たちにスポーツの素晴らしさを届けて、多くの人たちのQOLを向上させること。そのために僕がやっていることは本を書くこと、講演会をすること、ワークショップをすること、産業医として活動すること。大きく言うとこの4つです。そこにもっと力を入れ、また本も書きたいので、辻メソッドをもっと発信したいと思っています。
(聞き手:沖中幸太郎)
著書一覧『 辻秀一 』