原田泰

Profile

1950年生まれ。1974年東京大学卒業後、同年経済企画庁入庁、ハワイ大学、イリノイ大学に留学、経済企画庁国民生活調査課長、同海外調査課長、財務省財務総合政策研究所次長、大和総研専務理事チーフエコノミストなどを経て、現職。経済学博士(学習院大学)。著書は、『昭和恐慌と金融政策』『震災復興-欺瞞の構図』『日本はなぜ貧しい人が多いのか』『日本国の原則』(石橋湛山賞受賞)『人口減少社会は怖くない』(共著)『昭和恐慌の研究』(共著、日経・経済図書文化賞受賞)『都市の魅力学』『日本の失われた十年』『日米関係の経済史』など多数。

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経済・映画・社会論と知識は「応用」するべきもの



東京大学卒業後、同年経済企画庁入庁、その後務省財務総合政策研究所次長、大和総研専務理事チーフエコノミストを経て、現在早稲田大学政治経済学術院で教授として教鞭を執られている原田泰先生に、お仕事について、本とのかかわりについて伺いました。

大学も国際化。授業も「英語」ですべて講義する


――経済学者としてご活躍をされていると思いますが、大学でのお仕事や執筆の仕事も含め、近況をご紹介いただければと思います。


原田泰氏: 今、大学で教えていますが、その前は民間のエコノミストをしていました。今までもいくつもの大学で教えたことがあるのですが、せいぜいひとつかふたつの科目を教えるだけでした。しかし、大学の常勤の先生になると、いくつもの科目を教えないといけない。しかも英語で教えるというコースです。大学も、これからは国際化しないといけないようです。

――英語で講義をなさるのですか?


原田泰氏: そうです。海外の大学生を日本に呼ぼうとしています。そのとき英語で授業をすれば、便利だから来てくれるだろうということで始まったようです。留学生も日本語を覚えるのが大変だから、英語でも授業を受けられるようにしようということです。それから短期間、交換留学で来る学生さんもいらっしゃるわけです。その人たちに日本語を覚えろというのは無理な話ですね。また、交換留学生ですと、相手からも来ないと、こちらからも行けません。つまり、日本の学生を交換で送り出すためにも、英語で教えることが求められます。また、多様な文化的背景を持った学生が来るのは、日本人の学生にも、教える私にも刺激になります。英語で教えるのは正直、大変です。もちろん、今までエコノミストとして英語で講演したり、英語で説明することは何度もしてるのですが、それはひとつのテーマを十分考えて説明するものです。ところが、この英語の講義が、半学期に15回あるのです。

――半学期に15回、1年で30回ですね。


原田泰氏: その授業全部、違うテーマでやらないといけなくて、その科目が4つある(笑)。私大の先生として4つしか教えていないというのは、少ないと思いますが、これを英語で講義するので、大変な思いをしているのが近況です。

――それは教室から入ってから教室を出るまで、すべてが英語なのですか?


原田泰氏: 入って出るまでです。学生からの質問ももちろん英語です。

――そうしたら、生きた英語というか即興の英語も必要なのですね。


原田泰氏: 質問に対しては、もちろん即興で応えますけれども、授業の準備はしなければいけない。日本語だと雑談ができますが、英語で雑談するのは難しい。どんな授業でも理論を教えて、それに関したことの事実を教える。日本語の授業でしたら「あの時こういうことがあった」とか、そういうことを簡単に話せます。例えば「石油ショックの時、こういうことがあった」とか「バブルの時こんなことがあった」とか。「バブルの時皆がどんな無駄遣いをしたか」とか。そんなテーマで雑談ができる。それから、相手が日本人でしたら何を面白がるかが何となくわかりますが、外国の人が何を面白いと思うかよくわからない。相手の前提として良い知識量がわからない。ツボがわからない。英語がうまく話せないということで苦労しています。だから、準備ですね。十分準備していけば大丈夫ですが、それは日本語の授業の準備の何倍も時間がかかって大変です。

生まれた時から「不況」な若者たちに、若者のための経済論を。


――大学だけではなく、そのほかの場所でご活躍されてると思うんですが、原田さんの一日の過ごし方を教えてください。


原田泰氏: まずはともかく授業の準備をする。それから、時間が余ったら色々な頼まれごとを、こなしていきます。本当は自分のテーマで研究しなくてはいけないことや、本の執筆などがあるのですが、つい後回しになってしまう。それは少し残念ですね。今「若者のための経済論」というテーマで本を書こうとしているのです。今の若者って80年代末のバブル崩壊後に生まれていますから、生まれてからずっと景気が悪いわけです。「何故生まれた時から不況なのか」というような話を面白おかしく、しかしきちんとその経済理論にのっとって書きたいと思っています。それから、金融政策に関して、なるべくアカデミックな論文を書きたい。でも両方ともなかなか進まない。それから、休みがあったとしても、休み明けにはもう授業なので、準備をしておかないと大変なことになってしまう(笑)。

――執筆はいつもどちらでされるのですか?


原田泰氏: 家と大学の研究室です。パソコンを使っています。家でも書いていますが、長時間机に向かっていると、疲れてしまいますので、それほどは続けられない。インタビューとかは、そんなに負担じゃないすよ。

――先生は農学部から経済企画庁(現内閣府)へ入られたということですが。


原田泰氏: 経済企画庁に入って色々なことをやってきましたが、エコノミストの仕事が多かったですね。そもそも理系だったのですが、大学に入ると物理や数学ができる人がたくさんいて、これはちょっと自分には無理だなと思い、文転して経済学をやろうと思いました。もちろん経済学部に文転する選択もあったけれど、それは非常に難しかった。農学部に農業経済という学科があるので、そこへ行ったのです。農業経済とは、まず経済の基礎を学んで、それを農業に応用するという勉強です。ですから、途中までは経済と同じです。応用するところで変わってくるのですが、それは、何でも同じだと思います。経済学があって、それをどこかへ応用すれば良い訳です。結局組織に入れば自分のやりたいことができるわけではないから、応用するって当たり前ですよね。

キネマ旬報に映画評論を寄稿した若き日々


――どのような学生時代を過ごされたのですか?


原田泰氏: 最初は理系だったのですが、文系も好きでした。映画が好きだったので、学生のころは映画評論も書いていました。早稲田演劇博物館というのがあって、そこに『キネマ旬報』とか映画関連の雑誌のバックナンバーが全部置いてあります。そこに私の昔書いた評論が載っていたのはうれしかったですね。キネマ旬報に寄稿していたのです。演劇博物館は誰でも入れます。昔の市川團十郞展とかしていて、さすが早稲田は大したものだなと思いました。

――最初に寄稿されたのはいつごろでしょうか?


原田泰氏: 大学一年生からですね。卒業する前までやっていました。邦画も洋画も色々批評していました。それで、スーザン・ソンタグという作家であり監督でもある人がいますが、その人が作った映画を、私は、はじめて日本へ紹介したと思うのです。『ブラザーカール』(1971)という作品です。

――今でも映画はご覧になったりしますか?


原田泰氏: 難しいのものはもうあまり見ないですね。ハリウッドものから、ミニシアター系も結構見ます。映画館へ足を運ぶのも段々面倒くさくなって、家で見ています。それから、大学時代には昔の映画も見ていました。小津安二郎、黒澤明、溝口健二です。溝口健二の映画を見て、評論も書いた。そのころはあんまりよく理解できなくても、年を取るとわかる作品もありますね。小津の映画がなぜ良いのかというのも、段々わかってきたし、最近は成瀬巳喜男です。彼はもちろん芸術家として素晴らしいんだけれど、芸術家としての成瀬について私が書いても大したことが書けないから、最高の社会学者としての成瀬というのを書きたいと思っています。

――どんな方なんですか?


原田泰氏: 成瀬の映画の中には、色々な日本社会の変化が出ています。例えば、家族で経営している小さな商店に対して、スーパーが出てきた時に、その人たちが何をするかということが背景になっています。もちろん、成瀬の映画は、男と女の話です。だんなが死んだ後の兄嫁とその弟の話とかです。あんまりそういうテーマってなかったと思うのです。女性の自立や、若い男性と年上の女性との関係とか、かなり先駆的にそういうテーマが出てきます。それは当然、社会の変化を反映しているのです。『浮雲』という作品が最高傑作とされていて、高峰秀子と森雅之が出演しています。森雅之に高峰秀子がほれて、まさに浮雲のように惹かれていくんだけれども、男の方はかなりいい加減なんです。日本の占領地で非常に羽振りの良い生活をしていた下級官僚なんですね。そこに高峰秀子が流れてきて、彼女は普通のOLなんだけど、そこで、夢のような暮らしをしたというのが背景になっていると思います。そこから一挙に、貧しい戦後になるっていうストーリーなんです。多分、あまり人は指摘してないと思うのですが、戦争って普通の人間がぜいたくしたり、偉くなったり、羽振りが良くなったりした。そういう経験って絶対あったはずです。満州では皆すごく良い思いをしていたわけですから。

――でも戦争というと貧しいところだけがクローズアップされている。




原田泰氏: そうです。だからそういう戦争の背景をきちんと描かれた映画ってあまりないのではないか。『浮雲』では、その時の記憶が、いつまでも二人の関係にあったのではないかと思うのです。誰も言っていないと思うのですが、ある一面の真実です。男と女のしょうもないつながりみたいなものの他に、誰も描いていない真実がある。そういうことをしっかり分析して書けば、ユニークな成瀬論になるのではないかと思うのです。早稲田大学にはそういうビデオもいっぱいあるはずですから、そのうち書きたいと思ってるのです。

――では、経済学者としてだけではなく、もっと幅広いテーマでお書きになるんですね。


原田泰氏: 社会学ですね。経済学も社会学的な分析をできますから。だから歴史と社会学は今までの本の中でも書いています。

著書一覧『 原田泰

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