自ら選択し、行動する
元財務官僚の山口真由さん。東大主席→財務省→弁護士というキャリアを支えてきたのは、独自の信念と、方法論。「みずからを棚卸しする」ことで達成してきた目標とは。本に込められた想いを交えながら、山口さんの今を伺ってきました。
限られた時間の中で
――いろいろな場面でお見かけします。
山口真由氏: 普段の弁護士としての仕事の他、今日のような取材を受けたり、メディアに出演したり。執筆は朝の時間や土曜、日曜などにしています。今年(2014年)の前半は、結構詰め込んでいてとても忙しかったですね。
――どのように時間をやりくりされているのでしょうか。
山口真由氏: 本当に時間は有限なのだと、実感しています。特に女性が仕事をするとなると、いろいろな制約が出てきます。その中で何に重点を置き、どのように優先順位を付けていくか。これに限ると思います。私の中の大まかな優先順位は、1番が家族、次がキャリアと仕事、それで精神的に満たされれば、次は恋人という振り分けになっています(笑)。これを自分の中で常に意識して、休日などの時間配分をするようにしています。
――時間に対する感覚は、どのように培われていったのでしょうか。
山口真由氏: もともとそういう考えではありませんでした。財務官僚の頃、仕事が忙しく、土日にずっと仕事をしていても、仕事が終わらない。特に20歳代は仕事の要領も分からないし、「終わらない」といつも追われていました。
――「大蔵温泉」や仮眠室の話からも、その激務が伺われます。
山口真由氏: 財務省の地下にあるお風呂は、夜中の3時までしか入れません。その3時にすら間に合わず、給湯室の水道で髪を洗っていました。ねずみを見かけて仰天したこともありましたが、そんな毎日にも、いつの間にか慣れていって……。余裕が出てくると、「私は何をしたいのだろう」と少しずつ考えるようになりました。
二宮金次郎と呼ばれた小学生時代
――山口さんのキャリアには、その都度しっかりとした目標設定があったのでは。
山口真由氏: 小学校の頃の私は本が大好き。学校の図書館から毎日一冊ずつ借りてきては、一日で読んでいました。登下校時も、ランドセルを背負ってずっと本を読んでいたので、その姿から「二宮金次郎」と呼ばれていました(笑)。読むのが速かったので、勉強の方は比較的得意だったのですが……それ以外は苦手なものばかり。跳び箱4段で骨折したこともあります。小学校の文集には、将来の夢の欄に「牛」と書いてあります。複数の胃を持つ牛は、一度飲み込んだ食べ物を「反芻」して、もう一度、味わうことができますよね。食べることが大好きだった私は、四六時中食べていられる牛に憧れを持っていたようでした(笑)。おかげで、中学校二年生の時には8㎏も太る始末。
――高校から、親元を離れ東京で暮らすことになったのは。
山口真由氏: 容姿にも、運動神経にも自信が持てなかった思春期の私は、「自分の得意なこと、勉強で生きていこう」という、悲壮感漂う決意をしていました。だからこそ、東京の高校に合格したときに、「大学になってからでも、いいんじゃない?」という両親の反対を押し切って、「自分の可能性を広げる道を選ぶ」という、無鉄砲な勇気を持てたのだと思います。
――飛び出してみて、どうでしたか。
山口真由氏: すぐに、とても後悔しました(笑)。家族と一緒に住めなくなることがどういうことなのか、全く分かっていなかったんだなと、悟りました。今まで、両親という大きな傘のもとで、庇護を受けながら生きてきたということを、痛いほど自覚することになりました。例えば、風邪ひいた時ひとつをとっても、かつては母が何も言わなくても、気づいてくれて、風邪薬を出してくれました。寒気と吐き気を覚えて夜中に起き出し、嘔吐を繰り返しながら、涙が流れてきました。「寂しい!帰りたい!」と思いました。ですが、両親の反対を押し切って、自分で選択した道なので、弱音を吐くことはできませんでした。
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