“色”は人を幸せにする
グラフィックデザイナーの南雲治嘉さん。“色”は人を幸せにする――叔父の想いを受け継ぎ、“先端色彩”という領域として、教授を務めるデジタルハリウッド大学の学生や、さらに中国メディア大学や上海音楽学院の学生に伝えられています。「人を幸せにするデザイン」とは。南雲先生を語る上で欠かせない、奥様「マチコ」さんの思い出とともに語って頂きました。
“先端色彩”を伝える
――デザインを軸に、様々な活動をされています。
南雲治嘉氏: ぼくが代表を務めるハルメージでは、専門領域であるグラフィック系のものを始め、ウェブや動画、サイン計画やブランディングなど、幅広いデザイン活動をしています。またぼくの領域である“先端色彩”についても、様々な場所でその想いを伝えています。
デジタルハリウッド大学では、色彩関連と、アイデアの発想論の二つを中心に担当しています。ここでは、常に先端のものを求められますので、それを授業で生かしたり、多くの方にセミナーなどで発信しています。学生は、色々なことを相談にきます。「彼ができた」とか、「その彼に会ってほしい」とか、お父さんかよ、と思う内容もあります(笑)。デザインはコミュニケーションが基本。それには気持ちや信頼関係が重要なので、学生との密接な関係は大切にしています。ただ、作品クオリティーなど要求するものは高いので、厳しさもありますよ。
学生にはデザインにおける三つの大原則をまず話します。一つは、「相手を笑顔に、喜ばせなさい」ということ。作品に触れた人が笑顔になったら目標達成。これはデザイナーの使命です。もう一つは「感動させること」。感動がなければ賛同はしてもらえません。「感動を作るためには、配色の美しさを使ったり、写真でいえば奥行きのある良い写真などを使用する。感動なきものは作品としての価値がないよ」と。ぼくは言っています。三つ目は、「人を幸せにしなさい」。あなたの作品で、少しでもいいから、見てくれた人の生活に幸せ関与できる提案を必ずしなさいと言っています。この三つを満足にできなければ、デザインとは呼ばないと繰り返し説明しています。
――日本にとどまらず、中国でもご活躍されています。
南雲治嘉氏: 今の中国では「日本のデザインや考え方などを丸ごと学びたい」という意欲があります。中国メディア大学や上海音楽学院の教授の就任要請もそのひとつです。いわゆる「爆買い」と呼ばれる大量購入の背景にも、日本のデザインに対する信頼があるからなのです。これからはデザインで経済を発展させるため、日本のやり方を学べということで、色彩関連、デザインを教えています。学生は、純粋で素直で、とてもしっかり勉強をしてくれるので、感心しています。
「色」というのは、人間に大きな影響をもたらします。それは単に美しさを感じさせるだけでなく、視覚的なことや色を見ることは、脳への刺激であり、ホルモンの分泌に関わっており、体や心の反応につながっているのです。
色は電磁波ですが、例えば赤が網膜にあたると、網膜にある視細胞がRGBのデジタル信号に変換し、視床下部に伝えます。赤は780ナノメーターという電磁波であるため、それが刺激となりアドレナリンの分泌を促します。一方で視交叉を経て脳の後方にある視覚野(モニター)に赤を影像として映し、人間は赤を知覚(見る)します。人間の五感の刺激は視床下部に集中します。そして、例えば熱いと感じれば、体内にある熱を発散させようとホルモンが働き、発汗作用など色々なものが生まれます。色も全く同様な働きがあるということです。
その合理的説明が付けられる、デジタル色彩についても教えています。脳において、一つのイメージを作るのに色々な色が存在していて、それを抽出してカラーパレットというパレットに置き換えます。例えば、「メルヘンチックな」というイメージがあったら、カラーパレットにメルヘンチックを構成している色があるので、その色を使って作るというのが、カラーイメージチャートというものです。これは40年前ぐらいから叔父のものを引き継いで発展させたものなのですが、当時はとてもバカにされていました。40年前に発行した「カラーイメージチャート」は異端視されましたが、今は色とイメージの関係が常識になりました。デジタル色彩の画期的なメリットは、配色の時間、作業時間が短縮できて、合理的、効果のある配色ができるということです。これはこれまでの色彩検定で言う色彩とは雲泥の差があります。
“色”は人を幸せにする
南雲治嘉氏: 色に対する想いは、グラフィックデザイナーである叔父の影響を強く受けました。叔父は、ぼくが小さい頃から新聞に載ったり、国際的な賞を獲ったりしていて、子ども心に「かっこいいな、すごいな」と憧れていました。小学校1年生の時には既に、「デザイナーになりたい」と作文に書いていました。
日本の色彩教育の基礎を作った人でしたので、ぼくにも、色に関する課題を出してきました。5㎝四方の布や紙を毎週100枚ほどくれて、「ポスターカラーで、そのままそっくり色を塗れ」と。「まず色を知らないと配色ができないから、色出しができるようにしなさい」というわけです。色の組み合わせや、色の表現の仕方など、知らず知らずのうちに叩き込まれていきました。おそらく7000枚近くの種類を作らされました。また「色には塗った人の気持ちが表れている」との“色からのメッセージ”も教わりましたね。それが文字通り“色々と”役に立ちました(笑)。
ぼくには、3歳年下の妹がいるのですが、小学2年の頃妹のために絵本を描いたことがありました。それを見たお袋は、「この子は絵の世界に」という気持ちになったそうで、毎月1回は必ず美術館に連れて行き、そこで絵の解説をしてくれていました。お袋の指導もあって、コンクールでは、連続して総理大臣賞などを獲っていきました。
ところが親父は、自分が日本画家だったにも関わらず、僕がそういう世界に行くことに反対していました。いや、日本画家だからこそ、同様に飯が喰えないデザインに不安を持っていたのかもしれません。安定した理工系に進めということで、高校は理系のクラスに籍を置きました。そして、すすめられるままある国立大学を受けたのですが、落ちました。でもそれがかえって良かったかなと思います(笑)。
予備校へしばらく通ったのですが、絵を描くことを諦めきれず、お袋に相談しました。デザイナーである叔父に説得を頼んでくれたようで、叔父は親父に、「子どもにはやりたいことをやらせろ。それで失敗しても、その子が選んだ道だからいいじゃないか。もし理系に進んで失敗したら、お前の責任だぞ。今まで見てきたけど、あいつはデザインの世界に向いている。だからやらせてやれ」と。それで、ついに親父が折れてくれたのです。