オリジナリティーを研ぎ澄ませ
長谷川不動産経済社代表取締役の長谷川高さん。現場にこだわる実践派コンサルタントとして、顧客の立場で不動産と不動産投資に関するコンサルティングをおこなわれています。その活躍の場は講演、書籍、TVメディアなど多岐に渡っています。そんな長谷川さんにも、逆境の時代がありました。「本によって、さまざまな困難を乗越え、進んで来た」という長谷川さんの、挑戦に対する想いを伺ってきました。
居場所を探し求めた続けた日々
――長谷川不動産経済社のサイトには「現場にこだわる実践派コンサルタント」と標榜されています。
長谷川高氏: 私の父はロケットエンジンの設計をするエンジニアだったのですが、自分は何もせずに批評だけする人を嫌っていて、行動する人や実践する人が一番尊いという考えの持ち主でした。私もそういった教育方針の元に育てられ、その影響もあり、評論家ではなく、現場での実践や行動という立場にこだわっています。
不動産のプロフェッショナルとして、長期的な視点で不動産と不動産投資に関連するあらゆる課題を解決しています。依頼者の不動産投資の顧問として、継続的に各種の助言や情報を提供したり、市場に出回っていない優良な投資情報を提供しています。
――独立される前に、さまざまな職業を経験されています。
長谷川高氏: 私の最初のキャリアは、アメリカの大学の日本校を束ねる事務局長でした。当時のアメリカは、少子化で良い学生を国外から欲しがっていました。日本の学生はよく勉強するし、トラブルを起こさない、金払いも良いと三拍子揃っていました。彼らを米国本校に留学させる前段階という位置づけで日本校は存在し、1年間くらい英語集中コースを学ばせて、本国に留学させるという仕事を行っていました。
事務局長の仕事は3年で辞めたのですが、その頃に先輩から「リクルートコスモス(現:株式会社コスモスイニシア)の海外要員募集を紹介されます。江副浩正さんが現役の頃で、学歴や性別、国籍や出身地域、中途採用に関係なく平等に扱ってくれ、若い人に責任を持たせてくれるし、女性の役職に就いた人もたくさんいて、それは素晴らしい企業風土でした。私も生意気な社員だったと思いますが、それを許容してくれる素敵な会社でした。