寺田昌嗣

Profile

1970年12月23日、福岡市生まれ。名古屋大学法学部卒。高校時代に「右脳」「1冊1分」をうたう夢のような速読に傾倒し、7年がかりで自力で速読をマスター。公立高校・中学校で公民科の教師を7年間務めながらさらに7年かけて実用的ビジネススキルとして速読術を完成。人気ベンチャー企業や大手電力会社まで幅広く社員研修を実施。速読メソッドを詰め込んだ近著『フォーカス・リーディング』は2ヶ月で8万部を越えるベストセラー。現在は福岡で古典・名作などの課題図書を楽しむ読書会(博多非凡塾・読書倶楽部)を主催。福岡市を中心とした読書会・勉強会(朝活・セミナーetc)ネットワークの事務局を務める。

Book Information

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学びを捉えているか、取り入れる仕組みを持っているか



株式会社Jエデュケーション代表取締役。フォーカス・リーディング開発者であり、速読講師。7年かけて実用的ビジネススキルとして速読術、フォーカス・リーディングを完成。2001年に独立し、その指導と普及にあたる寺田さんに、『読書』の在り方や今後の『電子書籍』について語っていただきました。

文化が変わりアクセシビリティも変わる

――ブックスキャンについては、いつごろからご存知でしたか。


寺田昌嗣氏: いつごろからっていうのは、正確には覚えていないんですけど、一時期話題にというか騒然としましたよね?BOOKSCAN自体はfacebookで誰かが『いいね!』を押しててサービスを見てたんで、それで知っていたんです。

本をスキャンするという機能を表す会社の名前だからこそなんでしょうけど、BOOKSCANさんが実はまっとうなことをやっているという、ちゃんと自己主張をなさっているところで、それでかなり印象には残っておりましたね。

――著作者の側から見て、本を裁断してスキャンするという行為に関してはどういった印象をお持ちですか。


寺田昌嗣氏: 買った人がどうしようと、好きにしたらいいんじゃないの?っていう話ですよね。もちろんそれをスキャンして本体はそのままにして転売、転売でデータだけを売りさばくような人たちは論外だし、あとは本をコピーするにしても、人に売るにせよ、あるいは漫画喫茶にせよ、それを自分のものにせずに人に何かを提供して対価を得たりとかいうのは、要するに窃盗と同じことなので言語道断ですけど、自分の本をね、どうして裁断して文句言われなきゃいけないの?っていう気はしていますね。

――寺田さんと同様に買った本をどうしようが関係ないと仰る作家の方は結構いらっしゃいますね。


寺田昌嗣氏: それは、文学作品の作者さんは含まれていないんじゃないですか?

――その中で漫画家さんからお聞きしたんですけど、作品は読まれないと死んでしまうと。常に無料であれ有料であれ、とにかくコンテンツを公開するのが大事だとおっしゃってましたね。


寺田昌嗣氏: なるほど、その発想もありますよね。どうしたら、より読者に届くか、というね。
実は僕、書籍やメルマガを朗読するサービスっていうのを考えたことがあって、実際夏目漱石の文豪といわれる著作権が切れた人たちのは音声にしているんですよ。
その時に、私の仲間で目が悪くて本が読めない人たちのために朗読サービスをしようとした人が、著作権切れでないものを録音した瞬間に著作権法にひっかかるっていうことで、それをサービスとしてできないっていうことに悩みを持っていらっしゃって。

自分が録音して読み上げて自分で聞くのはいいのに、なんでじゃあ、自分が目が見えないから読み上げてもらうのはダメなのか?と。サービスとしてどこまでがグレーでどこまでがいいのか?って。そこでサービスにしようとしたらいろいろと問題がありそうで、結局マンツーマンで電話だったかな?あの当時。または、対面で朗読してあげるだけの本当に大変なサービスになっちゃったっていう。

自炊問題も同じように考えると例えば私が自分でやる代わりに会社のバイトの子にさせるとか。それはいいでしょ?ということですね。

――最近法が改正されまして、アクセシビリティの関係で目の見えない方のためにそういった利用するのはOKになっていますね。色んなその知恵の探求だったりとか、人間だれしも持っていると思うんですけど、ハンディキャップがある方もなるべく等しく近づけられるようにということで、電子書籍というのは大きな助けになると思いますが、寺田さんは電子書籍に対してどういったお考えをお持ちですか。


寺田昌嗣氏: 電子書籍というもののとらえ方って僕の中では、固まってないんです。それはなぜかっていうと、そもそも電子書籍のフォーマットがバラバラだったり、携帯のいわゆる携帯小説は電子書籍なのか?とかですね。そういうところを考えると、まだ電子書籍というくくりで語るには厳しいなと。

それからですね、例えばコマースの中にeコマースが入ってきたと。ただそれはパソコンが便利な受注マシンでしかない限りはFAXの代替品でしかなかったわけです。それが今クラウドの時代になって完全に新しいビジネスになってきましたよね。そこまで時間が経って文化が変わった瞬間に、やっとeコマースっていうものの、まったく新しい価値が生まれてきたっていうね。

それと同じように考えると電子書籍は、場所を取らないとか、あるいは取り寄せが簡単っていう便利さだけしかまだ、私たち享受できてないと思うんですよ。そこで価値っていうのはなかなか語りがたいなと思うんです。

10年後『電子書籍がもたらす新しい本の楽しみ方』が生まれる


――では、現在電子書籍に望むものはありますか。


寺田昌嗣氏: 僕の中でね、電子書籍と本っていうのはそもそもメディアとして別物っていう考え方があるんですね。もちろん私のフォーカスリーディングも半年前に契約書を交わしたんで、そろそろ電子化されるかな?って思うんですけど。おそらくコンテンツは同じなんですけども、取り扱われ方は全く違うというか、コンテンツが目指すものが違うっていう気がしているんですね。

メディアっていうのは、コンテンツを伝えるものには、僕は3種類あると思っているんですね。1つは空間軸メディアと言われるもの。もう1つは時間軸メディアと言われるもの。この2つのカテゴリっていうのはですね、実はいとうせいこうさんが使った言い方なんですけども、空間に存在してパラパラと自由自在に行き来できるもの。その代表が本ですね。それに対して時間軸メディアっていうのは音楽プレイヤーであるとかテレビ。時間にそってずっと見ていかないとコンテンツを享受できないものですよね。

それともう1つが新しく検索っていうことで生まれてきた、これは名前が付けがたいんですけど、例えて言うなら四次元ポケット的メディアというべきもの。『これがほしい』と思って手を入れたら出てくるけども、そこに何が入っているかは自分でもつかめない。テキスト化されて検索されうるものであれば、電子書籍は四次元ポケット型ですね。

ということはGoogleと同じ存在なわけですよ。それが自分のiPadの中に入っているかGoogleの中に入っているかの違い。それでいうと、電子書籍でわざわざiPadの中に入れなくても自分が思い出したいフレーズは大体誰かがブログに書いてるから、わざわざ電子書籍化しなくてもどこかで見つかるだろう?っていう気も実はしているんですよ。

それに対して、スキャンしただけの画像としての電子書籍は、実は空間軸メディアである本が時間軸に変わっているわけですよ。どこかに辿り着こうと思ったらずっとめくっていかなきゃいけない紙媒体書籍であれば言葉が並んでいるのを無意識で受け取れますので、パラパラやっているうちに探せますよね。電子書籍はそれが無理なんですよね。iPadなんかだと確かにだぁ~っとタップしたままにしておけばページめくれますけど。

――まだ人間の脳みそと機能に追い付いていないといいますか。


寺田昌嗣氏: そうですね。日本語の場合はカタカナ・ひらがな・送り仮名の増減も含めてですね、検索を相当柔軟に対応しない限りは取り出しにくいですよね。Googleなんかはそこはできますけど、じゃあ、iPadはそれが可能なのか?ですよね。そうなったときにその四次元ポケットに収められちゃったメディアは果たして資産になりうるのかというところですよね。

だから本棚に並んでいるものがコンパクトに場所を取らなくなりますよということは、別の意味でアクセシビリティが非常に困難になると思うんですよね。アクセシビリティというよりはトレーサビリティの方が近いのかなっていう気がするんですけど、思考を辿っていった時に記憶として目の前に並んで背表紙の記憶とかから手繰っていけるのか。キーワードからしかたぐれないのか。ですよね。

――生まれた時から、電子書籍が本だと思っている子供も出てくると思いますが、そういった子供たちは思考回路が変わっていると思われますか。


寺田昌嗣氏: そうですね。たぶん5年たったら、5年じゃ無理かな。10年たった時に電子書籍がもたらす新しい本の楽しみ方っていうのが生まれてきてるんだろうとは思うんですよ。今言ったみたいに空間軸メディアから時間軸の中に放り込まれた時にそれをどう活用できるのかっていうのは、ちょっとまだ未知数だなっていうところですよね。さっきのeコマースの話と同じように、僕らの文化が変わらない。

LPのファンは、紙のレーベルがいいとかね。あれ自体に価値があると、芸術作品として。本もね、手触り、匂いっていうのは、よく本好きの方が言われるんですけど、それはそれとして残るだろうし、そうじゃないコンテンツに価値があると思えば、別に電子だろうが音声だろうが書籍だろうが関係ないしという話ですよね。

電子書籍もソーシャルメディアも本質的な部分は変わらない


――次の質問です、電子書籍になることで読書や学びのシーンにどういった変化が起こると思いますか。




寺田昌嗣氏: 僕は起こらないと思っているんですよ、実は。すごい厳しい言い方をするとどんなに他人がいいと思ったとしてもですね、それを共有する仕組みができたとしても、結局その人が自分の学びっていうものをどう捉えているか、ですから。そんなに学びって簡単に成果が上がるものじゃなくて。喜びは確かに広がるんだけど、それで僕らの知性が高まるわけでもなく、ただ知的好奇心が満たされるに過ぎない。

それはそれで価値はありますけど、たぶん君はそれじゃ成長しないよね?って僕は思ってるんですよ。例えば本を持ち寄ってシェアし合う読書会でも、良い本読んだね。すごい言葉だね。って言っても、それを取り入れる仕組みを自分の中にもっていない限りは、その人はただその場が楽しいだけなんですよ。

そうじゃない人は、インターネット以前の時代から、本の奥付にある参考図書からどんどんどんどん関連書を引っ張ってくるし、友達の会話の中でいい本があるって言ったらボンボン買うし。私のやっている読書会に、人が良いっていったら確実に次の週には読んでるっていう人がいるんですよ。そういう人にとっては、機会が広がるのは確かだとは思うんですけど、機会が広がれば広がるほど、情報って自分のテリトリーを超えて他人事になっていきますからね。そういう人たちはじゃあどうフォーカスして読んでいくのかっていうところですよね。結局のところ、電子書籍だろうがソーシャルメディアだろうが、その場限りの刹那の喜びは増すけども、本質的な部分としては大して変わらない、と。

あとはですね、ソーシャルで、確かにfacebookは顔が見えるところからの情報ではあるんだけど、不特定多数の人たち、顔が見えない人たちが『この本いいよ』って言ったとして、その言葉の奥に何があるのかですよね。

例えば書評家を名乗るアルファブロガーの人たちと本出すときに話した時があるんですよ。何のために本を紹介しているの?って聞いたら、『あれはお小遣い稼ぎだよ』って言われて。要するに『売れる本しか紹介する気がない』っていうわけですよ。ということは、相手がそれで幸せになれるかどうかはわからなくて、自分はマーケターとして本を紹介しているに過ぎない。読みたくなるように書くと。それを受け手がどこまで汲み取れるかですよね。

相手が持ってるプロフィールからその言葉をどう取り扱ったらいいのかということを判断して、この人はこの現場にいて、こういう問題を抱えているはずだ、と。そしてあるいはこのブログを読んでいる人はこういう人だからこの人はこういう想定でこういうメッセージを書いている、と。そこまで汲み取れるかですよね。相手の言葉の裏というか奥というか。それを抜きにしていい本だという情報を『いい』という評価だけで受け取っていいのか?ですよね。

ラーメンがおいしいというのと本が良い、面白いっていうのは全然別物なんで。だからそこをどこまで自分の文脈に落とし込めるかが、最終的にソーシャルな情報が価値を持つかどうかにかかわってくるのかな?という風に思いますね。

――やはり、見極める目が必要になってきますか。


寺田昌嗣氏: 見極める目と自分にとってのフォーカス、というものですよね。

著書一覧『 寺田昌嗣

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