高野秀行

Profile

1966年、東京都八王子市生まれ。早稲田大学探検部在籍時に書いた『幻獣ムベンベを追え』(集英社文庫)をきっかけに文筆活動を開始。「誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをやり、それを面白おかしく書く」がモットー。アジア、アフリカなどの辺境地をテーマとしたノンフィクションのほか、東京を舞台にしたエッセイや小説も多数発表している。1992-93年にはタイ国立チェンマイ大学日本語科で、2008-09年には上智大学外国語学部で、それぞれ講師を務める。近著に『またやぶけの夕焼け』(集英社)。『ワセダ三畳青春記』(集英社文庫)で第一回酒飲み書店員大賞を受賞。

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自分を育ててくれた編集者との出会いと別れ


――『ワセダ三畳青春記』 (集英社文庫)を読んだ時に、普段の生活を面白く書いていらして、衝撃がありました。


高野秀行氏: まあ、でもあれはね、編集者のおかげなんですよ。僕はあの話を宴会ネタで良くしゃべっていたんです。確実にばか受けするので。普通にそうやってしゃべっていたら、当時の集英社文庫担当の人が、「これは面白いから絶対書きなさいよ」と言うわけです。でも僕は、「酒の席で話す分には面白いけど、わざわざ活字にするほどまでじゃない」と、拒否していたんですけど、どうしてもというから、そこまで言うんだったらちょっと書いてみるという話になったんです。それで書いていくと、ただダラダラしちゃうわけですよね。だから起伏をつけていくというのも、編集者の人にアドバイスしてもらって、「ここは面白いから膨らませる」、「ここはいらないから削る」というのをずーっと2人でやって、起承転結をつけたら、ああいう風にまとまった。『ワセダ三畳青春記』においては、編集者の役割は大きかったですね。残念ながら編集担当の人は、亡くなってしまったんですが、その後『異国トーキョー漂流記』と『アジア新聞屋台村』、3作とも全部その人がぜひ書きなさいと言って、僕は3回とも「いやこれはー」と言ってたのをあんまり言われるから、根負けして書いたんです。原稿を書いて編集の人に見せると、その人が鉛筆で真っ黒にして、返ってくるわけですよ。「会話が欲しい」、「もっと描写して」「ここはいらない」、「この人のキャラクターが面白いからもうちょっと詳しく書き込もう」とか、そういうのをガーっと書いてきて。最初は、本当にうんざりしちゃって……。僕は、自分1人でずっとやってきていて、文章を教えてくれた人というのがまったくいなかった。だから「なんでこんなに言われないといけないんだろう」と思って、すごくむかついたわけですよ(笑)。自分を否定されているような気がして、ちっきしょうと思ってたんですけど、でも、その人のアドバイスを頼りに直していくと確かに文章が良くなっていく。「ああ、そういう風にやってくのか」というのがだんだん分かってきた。その人がいなかったらまず、『ワセダ三畳青春記』は書いてないだろうし、今のように幅広く仕事をしてなかったでしょうね。

これからの版元は、良い書き手をもっと育てるべき


――今のお話もふまえて、出版社とか編集者の本来の役割は、どんなことだと思いますか?


高野秀行氏: まさに、そうやって、作家にいいものや新しいものを書かせるとか、あとは作品の構成とか文章を直して行くということは、編集者のすごく大きな仕事だと思うんです。ただ実際にはそれができる編集者は、本当に少ない。理由は色々あると思うんですけど、まず抱えている仕事が多すぎて、点数が多いからもう全然手が回らないというのが大きいですね。1人の作家や書き手に向き合ってそこまでやるって、ものすごい労力がかかるわけです。作家と取っ組み合いするようなものだから。よっぽどそういうことができる環境にいて、自分の好きな書き手にめぐり会わないとできないだろうし、あといくつも同時に作品を抱えてたら、難しいですよね。ちょっとね、そういうことをやってくれる編集者が少なくって。

――少なくなっていますか?


高野秀行氏: いや、少なくなっているというよりも、というか僕は前から会わないのであくまで自分の周りだと、昔から少ないし今も少ないですよね。

――文字校正だけとか編集だけとかじゃなくて書くところも一緒にやってほしいというところですか?


高野秀行氏: ええ、今、編集者が事務の人になってしまっているので。とくにノンフィクションについては、そうですね。媒体や人によっては取材のアポとりなんかはやってくれるけど、企画や構成、文章については何も言わないのがふつうです。小説の世界もそうなんですけど、編集者って体系的にまったく編集業務を習わない。だから、デザイナーや印刷会社とどうやりとりするかということは教えてもらえるけれども、作家やライターとどういう風に付き合ってやるかというのは、個人がひとりひとりが自力で獲得していくしかない。全然、出版社でそういうこと教えたりしないらしいんですね。そうすると、それはもう文化として受け継がれないので、もったいない話だなと思うんです。小説なんかだとまだ、やる気のある編集者が、作家と取っ組み合って作るというのがあるんですけど、ノンフィクションの方はそもそもやり方が分からないのかなと思う時がありますね。それもあって最近自分でプロデュースをやっているんですよ。これだけ長く作家をやってると、他の人の本を読んでいてもわかりますよ。これは編集をきっちりやって構成もできているなというものもあれば、書き手は取材力もあるし文章力もあるんだけど、編集者のフォローが足りないから、焦点がばらけててもったいないと思うことも良くあるんです。それで、僕は自分で面白そうなものを書ける人を見つけるとそういう人たちを磨いて、書かせてみる。ある程度方向付けしてあげると、どんどん良くなっていったりもする。だから、こういうことをもう少しできる編集者が増えてほしいですね。



本とは、ひとつの完結した世界を持っているのが理想


――高野さんにとって、本というのはどのような存在でしょうか?


高野秀行氏: まあ、ひとつの世界でしょうね。本自体が。だからそこが完結した世界になっているというのが僕にとっての理想的な本ですよね。小説でもノンフィクションでも、あるいはガイドブックみたいな実用書でもいいんですけど、そこに、情報や考え方や独自の世界観がちゃんと入って完結している。なおかつ、統一したテーマみたいなのがある本は、いい本だと思いますね。

――今後の挑戦してみたいテーマなどは何かございますか?


高野秀行氏: 色々あるんですけど、欧米以外の地域を紹介する本というのがやっぱり少なくて、あったとしても、本当に固い本が多い。それをもっとリアルなかたちで見せるような本を書いていきたいなと思います。今までは『ミャンマーの柳生一族』(集英社文庫)とか、『未来国家ブータン』(集英社)とかあるんですけど、あのやわらかい感じで、国別地域別で色々書いていきたいなと思います。

(聞き手:沖中幸太郎)

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