安保徹

Profile

1947(昭和22)年、青森県生まれ。東北大学医学部卒業。90年、胸腺以外でつくられる胸腺外分化T細胞を発見。96年、白血球の自律神経支配のメカニズムを解明。2000年には胃潰瘍=胃酸説を覆す胃潰瘍=顆粒球説を米国医学誌に発表し大きな衝撃を与える。国際的な場で精力的に研究結果を発表し続け、免疫学の第一人者として最前線で活躍している。『免疫革命』(講談社インターナショナル)『医療が病いをつくる』(岩波書店)『免疫学からみた幸福論』(ビジネス社刊)など著書多数。

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東北大学医学部卒、新潟大学大学院医歯学総合研究科教授であり、90年に胸腺外分化T細胞を発見、96年白血球の自律神経支配のメカニズムを解明し、胃潰瘍の原因が胃酸であるとの定説を覆すなど、免疫学者として世界的にご活躍の安保先生に、読書について、電子書籍について思う事などをお聞かせいただきました。

ガンの成り立ちや、膠原病の発生について、治療法までつきとめた


――安保先生は、世界的権威の免疫学者として取り組まれている事が沢山あると思いますが、現在の研究テーマなどをご紹介いただけますか?


安保徹氏: 1つは、免疫の研究を通して、リウマチなどの膠原病が何故起こるのかを研究していて、だいたい解決したという感じです。もう1つはガンの成り立ちについて研究していました。今までの考え方は、人は色々な発ガン物質にさらされて、遺伝子が異常を起こすからガンができるというような考えだったんですけど、そうじゃなかった。ストレスで起こった低体温・低酸素に対する適応反応としてガンが起こっているということを発見しました。膠原病の問題とガンの問題が解決できたという事です。発生のメカニズムが明確になったので治療法もはっきり分かりました。

――解決されたのは、ここ最近の事でしょうか?


安保徹氏: そうですね。このテーマを40年研究してきて、僕は来年定年なんですけれど、4年ぐらい前に両方とも解決できたんです。あとは学術論文でも出して、お医者さんと一般の人に啓発していこうかなと思っています。

――問題が解決できて、その結果を発表して、啓もうして実際の医療の現場まで浸透するのは、やはり時間はかかるものですか?


安保徹氏: テーマが大きいほど、現在治療をしている人たちはどうしても保守的になるんです。例えば、膠原病だったらステロイドを使うとか、ガンだったら抗ガン剤を使うとか。50年ぐらいの歴史でしみこんでいるから、やはりそういう意識が全部覆るには、同じぐらいの歳月がかかると思いますね。だから一応50年を目安にしているんです。私の寿命と競争でしょうね、きっと(笑)。それで沢山本を書いているんです。



現場の医者が、『ガンは何故できるのか』という事をそもそも分かっていない


――確かにガンと言えば抗ガン剤で治療するというイメージがあります。


安保徹氏: 一般の開業医の先生は、そんなに抗ガン剤を熱心に使わないけど、大病院に行くと凄く使うでしょう? 結局は早くお手上げになる。

――世間一般で言われているような、製薬会社との癒着もあるのでしょうか?


安保徹氏: 製薬会社の問題というよりも、医者自体が「何故ガンができるか」というガンの成り立ちを分かっていないから、対症療法の治療をするしか無い。現在はそんな状況です。

――免疫について、40年ずっと研究されてこられたと思うのですが、この道に進むきっかけはどういった事だったのでしょうか?


安保徹氏: 私は東北大学の医学部を卒業してから、2年間内科の研修をする中で、肺ガンの治療、リウマチの治療で治療すればするほど悪くなるという感触をつかんだんです。例えばリウマチにステロイドを処方すると、薬を出さない時はそんなに進行はしないんだけれど、薬を出すと急に進行する。肺ガンだったら抗ガン剤を使うと、それまで普通に暮らしていた人達の髪が抜けたり、食事がとれなくなったりして、突然生きる力がなくなる。だいたい普通の研修生は、ベテランの先生達がやっている事だからといって、あんまりそこに疑問を持たないんですけれど、私は薬自体が病気を悪化させているという感触をきちんとつかめた。それで、対症療法の薬から脱却するためには根本的な病気の発症メカニズムを明らかにしよう、という事で免疫の研究に入ったんです。

――なるほど、病気のメカニズムを知るために、免疫学を学ばれたんですね。


安保徹氏: それで、40年の研究生活の中の残り5年になって、やっと両方解明できたということです。

――その長きに渡って研究生活をされている中で、ご自分の研究テーマを解明されないまま退職という方も沢山いらっしゃると思いますが、その中で二つも解明されたわけですね。


安保徹氏: ラッキーですね。でも、最初から大きなテーマにぶつかったわけではなくて、やはり免疫の基礎を学ぶとか、与えられたテーマを研究するというような形で実力を付けていきました。だんだん実力を付けて、自分の最初のテーマにも立ち向かえるようになるという、そういう感じでしたね。

――教授になられてもすぐにテーマに立ち向かえるわけではないんですね。


安保徹氏: それぐらい学問って奥が深いんです。教授になってスタッフを沢山抱えて、大学院生を大量に呼び込む事ができて、仕事の量が増えてから、テーマに挑戦できたという感じです。

教授になった頃、自分の『最初のテーマ』に立ち向かった。


――そのテーマに挑戦した頃はおいくつぐらいだったんでしょうか?


安保徹氏: 教授になってからですね。50歳ぐらいかな。研究の道っていうのは、教授になる以外に、なかなか他の選択肢が無いんです。だから結構プレッシャーがありました。
私は父親が医者で、ある時期研究した話を聞いていたりしましたから、困難な時期でも、自分を支える「夢」みたいなものはありました。

――お父様の影響というのは、かなりありましたか?


安保徹氏: うちの父親は、青森県の津軽半島にある竜飛岬の村に生まれて、そこは無医村で、村に医者がいないので隣村までみんな通っていました。自動車もまだ無いので、冬だったらバスや、夏だったら子供を背負って行くんです。父親は4年ぐらい浪人して、医学の専門学校に行って、医者になって地元へ戻って来て、75歳まで現役でやっていました。そういう話を聞いていたので、私も似たような新しい挑戦をしたいという意気込みがありました。その意識があるからやはり、そう簡単に挫折するわけにはいかないんです(笑)。

著書一覧『 安保徹

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