紙の本の「たわむ」感じが好き。でも英語学習には、アプリの反復する機能も「使える」と感じる
ベレ出版より『瞬間英作文メソッド』シリーズがヒットとなり、社会人や学生の英語指導者として活躍される森沢洋介さん。森沢さんに、英語のこと、読書のこと、これからの電子書籍に望まれることなどをお伺いしました。
教室を運営し、実際に教えながら教材やメソッドを開発していく
――早速ですが、森沢さんの近況をご紹介いただければと思います。
森沢洋介氏: 僕は英語教室『六ツ野英語教室』の運営を主な生業としています。教室を開いたのが1998年で、最初は房総にあったんですが、2007年8月の末ごろに、浦安に場所を移転して、今にいたります。生徒は主に社会人の方が多いのですが、特に初めから社会人だけに絞っていたわけではないんです。僕の教えたいタイプの方が「英語が必要で、意欲を持って、意志を持って英語の勉強を継続する人」なので、結果として、ほとんどの生徒さんが社会人ということになってしまった(笑)。それで、生徒さんたちに、僕の英語学習体験や指導体験、使った教材などから得た知識やエッセンスをメソッドとして指導したり、あとはもっと広く英語を勉強されている方向けに、英語学習本や教材の執筆や作成をしています。
――今お話のあったご本ですけれども、執筆される際はどういったスタイルで執筆されますか?
森沢洋介氏: 昔はパソコンが一つしかなかったので、教室のパソコンで書くことが多かったのですが、去年2台目を購入しまして、それからは教室の近くにあるもう一つの部屋で、原稿書きをすることが多くなりました。ただ、最近は頚椎ヘルニアになってしまって、パソコンに向かうとつらいので、手書きをするとか、秘書に手伝ってもらうことが多いですね。
英語の原書が読みたくて、英語学習の道へ
――今のお仕事や、執筆のきっかけなどを伺わせていただけますか?
森沢洋介氏: 「心ならずも医者にされ」って、誰でしょう、確かモリエールの芝居ですけど、僕は英語を20歳前後の時に勉強し始めたんです。当時は、英語教師になろうという気は毛頭なく、単に英語の原書を読みたかったからなんです。本が好きなので、寝っころがって文庫本を読む様に、今まで翻訳のフィルターを通してしか読めなかったものを、直接楽しみたかった。そうすると、受験勉強でやった様な英文解釈ではなくて、会話も含めた言語としての理解が必要なんですね。それで、英語の学習を始めてみたものの、日本では受験勉強向けの学科としての勉強方法というのは確立されていますが、そこから先というのは誰も用意してくれていなかったので、自分で模索しながらやりました。今みたいに、英語学習法を紹介してくれる人もいなかったし、それからインターネットもなかった。だから本屋さんへ行って人に聞いたりして情報を集めたんですが、そうすると段々、自分なりの方法論が出来上がってきたわけです。その後、いったん、27歳になった年に、全く英語と離れちゃって、それから31歳になる直前に、旅行でアイルランドへ行ったんです。最初は3ヶ月くらいの旅行のつもりだったんですが、日系の旅行代理店の仕事が見つかってアイルランドに3年住むことになったんです。そこで言語として初めて日常的に英語を使い始めた。僕は1回も集中的に、日常で英語を使ったことがないし、ESSに入ったり、英語学校も通ったことがなかったので、「どうなんだろう、自分のやってきた英語なんて、もしかして、英語が言語として使われる国に行ったら一言も通じないんじゃないかな」と不安になったわけですが、実際には行ってみたらいきなり生活できちゃった。それで「自分が日本でやっていた英語の勉強法は、なかなか有効な方法だったんじゃないかな」とひそかに思ったわけです。
ネイティブは英語を話せるが、教えるノウハウを持っていない
――アイルランドでの経験が英語を教えるということにつながったのでしょうか?
森沢洋介氏: 最初僕は、英語を教えるということをライフワークだと思っていなかったんですね。なぜかというと、僕は多少英語を使うといってもネイティブスピーカーと比べたら全く足元に及ばないわけです。自分の日本語と自分の英語を比べたら、当然ながら、自分の日本語の10分の1も使えない。だから、そうした限界がある中で、英語を教えるってこと自体は、最初は自分の使命だと思っていなかった。日本にいた時から、友達の経営する予備校で教えたりとか、頼まれて教えるとか、それはもちろん一生懸命やっていたんだけど、お金を稼ぐための生活の手段と思ってやっていたので、いずれ足を洗うと考えていたんですね。やっぱり自分はネイティブスピーカーじゃないから、教えるのはそういう人がやればいいと思っていました。ところが、自分が外国に暮らしてみて、現地で知ったのは、ネイティブは英語を話せるけれど、教える術というのをほとんど持っていないということでした。
――確かに「話せる」ということと「教える」ということは違うことですね。
森沢洋介氏: 海外には英語しか話せない人がたくさんいて、ネイティブだらけなのに教えることが全くできない。そこで、自分の中で何かがストンと落ちたんですね。「ああ、なるほど、そういうものなんだ」と。僕は本物のネイティブな英語は当然ながら教えられないけど、等身大の日本人としての英語を教えるには、自分みたいなタイプが1番向いているのかなと思いましたね。それなりに英語を使えるし、上達までの道筋は知っている。それから日本に帰ってきて、ちょっと旅行の仕事なんかもしたんですが、やっぱり英語を教えたり、英語を身につける方法論を教えるという仕事は、自分のライフワークになり得るかもしれないということを思い始めて、まずはほかの教室で教えることを経て、98年に独立して自分の教室を開くことになりました。
仏文科へ入ったけれど、英米文学にノックアウトされた
――学生時代の読書体験なども伺いたいのですが、元は仏文科でいらっしゃったんですか?
森沢洋介氏: そうなんですよ。当時はまだね、実存主義とかね、そうしたブームの名残が若干残っていたので、サルトルとか実存主義の作家の著作を読みましたね。大好きな作家にいっぱいフランス人が出てきて、英文より仏文科のほうが何となくいいかなと思っていたんです。希少価値みたいなのがあるかなと思って入ったんですけれど、行った途端に英米の作家にはまってしまい、それから英語の勉強をしたくなったんですね。結局大学は4年行って30数単位で、中退って具合になっちゃいました。
――海外でご興味が向く方向というのは、ヨーロッパですか?
森沢洋介氏: 20代から30代の半ばくらいまではそうでしたね。アイルランドから帰ってきた時は、日本で数年過ごして、準備をしてからもう一度フランスに行きたいなと思っていました。場合によっては永住してもいいくらいに考えていたのに、今は、そんな気は全く無くなりました。外国にまた住んでもいいと思いますけれど、もしそうだとしたら、タイとか、東南アジアに住んでみたいですね。
――高校時代にサルトルを読まれる方というのは珍しいと思うのですが。
森沢洋介氏: いや、当時はいっぱいいたんですよ。ちょっと小生意気なね、文学少年みたいなタイプは、大体そんなもの読んでいたと思いますよ。
父も母も本が好き。本を読むのが自然なことだった幼少時代
――昔から本は好きだったのですか?
森沢洋介氏: そうですね。父も母も非常に本が好きでした。本を読むということが自然な環境だったんですね。
――最初に読んだ本などは、覚えてらっしゃいますか?
森沢洋介氏: とにかくおとぎ話、童話のたぐいですね。僕にとって、最高の文学は、今に至るまでおとぎ話とか、物語です。童話を活字や絵本で読むということは、かけがえのない幸せな体験で、本当に僕は幸せな子供時代を送りましたね。愛情に満ちた両親に育てられて近所の公園に遊びに行ったり、絵本を読んでもらったり。幸福な環境でした。
――読まれる本は、ご自身でお小遣いをためて買ったりされたのですか?
森沢洋介氏: 本を自分で買うようになったのは少年になってからですね、僕の親は物質的には決して甘い親ではなく、物を簡単に買い与えはしなかった。それでも読みたい本に関しては全部買ってくれたし、子供向けの文学全集みたいなものはすぐそろえてくれました。
著書一覧『 森沢洋介 』