書店の風景を変えた「消費財としての本」。
――古書店を含め書店全体が昔と今で変わったと思われる点はありますか?
林望氏: 新刊書店と古書店とはまた全然違うと思うんだけど、新刊書店のほうはほとんどが日販、東販の寡占状態ですから、結局は日販、東販の配本セットが行ったり来たりしてるだけ。しかも全部委託販売であって、書店さんっていう商売は仕入れるってことはないですから、ただ場所を貸している。本の書店の店頭における滞在日数がどんどん短くなっていて、たちまち取っ払われて次の本になっちゃうじゃないですか。つまり次々と新しいものを出して、読者に珍しさで買わせようという戦略になっているわけですね。それでなかったら、単にベストセラーを並べることになってしまう。そうすると、すごくいい本なんだけど、読者数がそんなに多くない本は、新刊書の書店には出てこない。そういうことがちょっと困りものだと思います。それが昔より随分甚だしくなってきたと思うんですよね。書店さんのほうも、学術書みたいなものはネットで買ってくださいとあきらめているんじゃないかなと思うんですよ。出版社もはじめからネット専売というぐらいのつもりで、お出しになったらいいんじゃないかなと思います。
――出版される本の性格が変わってしまったのでしょうか?
林望氏: 昔は本の価格が高かったんですよね。今は普通の単行本は大体2000円くらいでしょう。大正時代だと、今のお金にして8000円ぐらいで、明治時代だったら12000円ぐらいしたものです。だから漱石の本なんかは中村不折の装丁ですごくきれいに作ってあるじゃないですか。あんなこと、現代ではできないですよね、すごくコストがかかっちゃうから。だから総じて本が安っぽくなっていったわけです。書物というものは高いお金を出しても買って、繰り返し読みたくなるような中身のあるもので、座右において眺めて楽しいような美しいような本を出すというのが国民的コンセンサスだったんです。その代わり、ベストセラーといったって3000部とか4000部だとかのオーダーなんです。だから、読書する人の数っていうのは今と比べ物にならないぐらい少なかった。そういう意味では今の人のほうが本を読むんですよ。本が大衆化したために、商品としても大衆商品としなくてはならなくなったところに書物の不幸があるわけです。消費財として普及はしたんだけども、本当に昔の本のように選ばれし人たちの大切な宝という形で出されることはなくなったわけです。
ネットの文章は玉石混交。プロの編集者は今後も必要。
――そうなると、作家がどのようなものを書くかということにも変化が起こったんでしょうか?
林望氏: 昔は作家が本を書くのに湯河原の温泉に半年ずっと長期滞在をして、そこでうまいものを食い、夜になったら酒でも飲みながら毛筆で小説の1つでも書く。それでなんとかなっていた時代はのんきでよかったと思うんですけど、今の作家はそんなことをしていたらおまんまの食い上げです。出版社もそんなに金はかけたくないから、さっさとパソコンで書いて、あっという間に出して、あっという間に絶版にするということがあるわけです。
――電子書籍の登場で出版の垣根が低くなったといわれますが、出版の環境にどのような変化をもたらすとお考えでしょうか?
林望氏: 結局ネット上にあふれている文章というのは、玉石混交です。誰のチェックも受けないで出しているから、ほとんどはクズですよ。読むに足らないですよね。やっぱり出版社というのがあって、そこに専門のプロの編集者がいて、その人の目を通って、そうして本になるまでは大変なお金がかかる。そのお金をかけても出す甲斐があるかどうかという、ふるいをかけられて出てくる本というのはそれなりに意味があるんですね。でもそういう過程を通らないで出しているものは、そこらのおじさんの自分史みたいであまり意味がないと思います。そこはアマチュアとプロの境目があいまいになってしまって、今はブログで書いていた文章がそのまま本になっちゃうなんてことが珍しくありません。ではなんでもいいかというと、やっぱりそうじゃないと思いますね。歴史的に残っていくような本は、やっぱり少数のごく限られた才能のある人が、力を尽くして書いたものであろうと思いますね。
――紙の本と電子書籍はどのように住み分けられていくと思いますか?
林望氏: 実用書みたいなものは電子でやらないと次々に情報が古くなっちゃうから、どんどん電子でやって、データをどんどん新しくして1週間に一遍ずつ改定してしまえばいい。それから昔の古典文学だとか明治時代の作品は、紙の本として出そうとすると需要が少ないからなかなか出せない。そういう著作権が切れたものは電子本にして、画像でもいいから安いお金で若い人でも見られるようにすれば、学問のため、お国のためですよね。そういう住み分けになっていくと思います。
印税10%を死守しないと、誰も本を書かなくなる。
――プロの作家は、電子書籍の普及によりどのような影響を受けるのでしょうか?
林望氏: われわれ作家は著作で生活を立てています。これが電子に出した途端みんなが不正コピーしちゃうようでは生業が立ちゆかなくなってしまいます。だからそういうところをやっぱりよく考えないといけませんね。アメリカなんかはもともと紙の本に対する思い入れがあんまりないんです。ほとんどベストセラーもペーパーバックだし。バサバサの紙で同じような活字で、装丁もへったくれもないですよね。日本は装丁にすごく凝っているでしょ。日本人はオブジェクトとしての書物にすごくこだわりがあるわけです。だから電子本はそこで二の足を踏む人が多い。欧米なんかはそのまんまテキストを電子の世界にさっと流せば電子本が出る。そうすると印税が6割とかいう世界なわけじゃないですか。でも日本は実際に電子本というのはそういう世界になっていなくて、アップルが3割取って、それから電子化する会社が3割取る。全部の60%が著者とは関係ないところにいっちゃうんです。これは日本で電子本を出すと必ずそうです。そうすると残りの4割を著者と出版社が分けるわけです。そうすると現状の1割の印税が確保できれば御の字です。日経新聞あたりがひどくてね、残りの4割のうちの1割を著者、つまり4%しか著者に入らないわけです。だから僕は日経新聞からの申し出は断固として断りました。そんな条件では誰も本を書かなくなる。
――先生がその条件を受けてしまうとほかの方もそれに準じなくてはらなくなりますよね。
林望氏: ほかの人もみんな受けているんですよということになれば、若い人たちは立場が弱いからそういう条件を飲まされるじゃない。われわれのような立場の作家は、断固としてそんな条件では作家は引き受けられないと協定を結んでやらなければダメだと思います。少なくとも10%は死守しないと。だって著者がいなかったら一体何を出すんですか。みんな生活が立ちゆかなくなってしまったら、誰も何も出せなくなっちゃう。そこのところをよく考えないとね。日本の電子本業界っていうのは本当に不毛です。
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