「競争から共創へ」というパラダイムシフト
――編集力、マーケティングがますます重要になってきたとき、出版社はどう対応していけばいいのでしょうか?
小山龍介氏: マーケティングのパラダイムというのは、時代に応じにて随分変わってきています。1980年代ぐらいには、顧客のニーズを捉えることがマーケティングだと言われていました。しかし、この方法は、スペック競争になっていきます。機能は追加されることはあっても、取り除かれることはなく、かえって使いづらい製品が出来上がります。
例えば速度が速いパソコンのニーズがあると言われていたけれど、実際には性能は低いけど軽い方がいいと、ウルトラブックみたいなものが人気を集めたりします。ニーズを後追いしていくマーケティングは、実はニーズを無視した競争になりやすい。それが、80年代でした。
そして90年代はブランディング。企業が持っているブランドイメージによって、機能は全く同じでも、消費者は価値を感じて対価を払うという現象が注目されます。これは、いわゆるM&Aなどにおける買収価格の計算に欠かせないという理由から、ブランドが資産として認識されるようになったという背景があります。
ただいずれにしても、2000年以前は競争パラダイムという、いわゆる競争=コンペティションのパラダイムのマーケティング。他社との競争に勝ち抜くためのもの、という認識が主流でした。
それが2000年以降、「ユーザーと共に創っていこう」という流れに変わっていきます。商品の提供側と消費側とで区別するのではなく、ともに創りあげていくアプローチです。商品への反応を見ながら、変更し、改善していく。また、サービスを一社で提供するのではなく、複数の企業が協力し合いながら価値を創りだしていく。たとえば、スマートフォンは、アプリ制作会社がいなければ、その価値を半減させてしまうでしょう。それが、共に作り上げるという意味での共創パラダイムです。
電子書籍時代を迎え、出版社もこうした共創のアプローチが求められるじゃないかなと思います。
3日で手に入れた情報は3日で陳腐化する
――多忙な毎日を過ごされているかと思いますが、月に何冊位本を読まれていますか?
小山龍介氏: 数としてはそんなに読まないですよ。10冊前後でしょうか。最近は哲学書をよく読むようにしているので、必然的に一冊の本をじっくり向き合って読むことになります。また、情報を取るためにパッと読む本であれば、最初から最後までを読むのではなく、必要な部分だけ読んでいます。
読書には、二種類あります。ひとつは情報を取り入れる読書、もうひとつは著者の思考に向き合う読書。思考に向き合う本は、じっくり取り組む必要があります。著者側が何十年とかけた思考を一冊の本にまとめていますから、本質的には、何十年もかけないと分からないような内容が書かれているわけですよね。そういった本は、一、二週間かけて読んでいますね。
――直近でお読みになられた本には、どのような本がありますか?
小山龍介氏: 最近、木田元さんの『反哲学史』を読み直しています。哲学の歴史を、哲学者の木田さん独自の軸で解説していく本です。哲学は、2千年3千年かけた蓄積があります。だからと言って、いきなりその起源に遡って、プラトンやアリストテレスから勉強し始めても、ちんぷんかんぷんになることが多い。その時代の状況を理解した上で読まないといけませんから。
だから、こうした古典を勉強して理解しようとするときに一番いいのは、現在から過去へという勉強の方法。例えば、ハイデガーを読むためにはニーチェにつながる。ニーチェを読むと、今度はカントにつながっていくように、現在から過去に遡っていくわけです。ある思想や哲学は、必ず前の時代の影響を受けていて、それを批判して展開させたりしているんですよね。だから、遡っていくことができる。
――なるほど。分かるところから少しずつ遡っていった方が、つながりを理解しやすそうですね。小山さんは学生時代、何か転機になって、今でも何かしらの影響を与えている本というのはありますか?
小山龍介氏: 橋本治さんの一連の著作というのは、思考を鍛える上でとても勉強になりました。大学時代に愛読したんですが、彼の本というのは、簡単な言葉を使っていても、そこで展開されている論理というのは、ものすごく複雑で、力強い。強度があるんです。大学時代にそれを理解するのは非常に大変だったけど、あえてそこに向き合って、ひとつひとつ、どういうことを言っているんだろうと思って読んだ、という時期がありました。
――大学時代からじっくり本と向かい合っていたんですね。
小山龍介氏: そうですね。3日で手に入れた情報は3日で陳腐化するんですよ。10年かけた知識というのは10年間陳腐化しないんです。じっくり時間をかけて考えるという事をやらないと、本当に有効に使える知識にはならないんです。
そういった意味で、速読というのは問題が多い気がします。自分が理解できたことしか理解できなくなる。そして理解できないまま、理解できなかったものはなかったことになってしまう。
橋本治の本を読んでいると、理解できないことが膨大であり、そこに向き合うという時間が求められます。分からないことに向き合っていたらすごく手間がかかるし、効率の面では悪いことですよね。でも、悪い所に取り組んで登っていかないと、決して自分の力はついていかないのです。
――一冊の本とじっくり向き合うから非効率になるのではないかという不安がありますが、そうではないんですね。
小山龍介氏: 例えば筋トレを例にすると、簡単に軽々と上げられる1kgのダンベルを上げ続けたって、何の力にもならない。負荷がかかるような10kgのダンベルを持つと、「ああ…きつい」と感じますよね。でも、そういった負荷のかかったダンベルを上げないと本当の筋力はつかないんです。
筋力がつくということは、筋肉が一回破壊されて、再生されるということなんですね。その一回破壊されるということは、大事なことなんです。速読では、そういったことをほとんど経験しない。それは、勿体ないですよね。時間をいくら効率化できても、自分の筋肉にならない無意味なことに時間をかけているなら、それは無駄なんですよね。