平野啓一郎

Profile

1975年6月22日、愛知県蒲郡市生。京都大学法学部卒業。大学在学中に発表した『日蝕』で第120回芥川賞を受賞。小説作品は『葬送』、『滴り落ちる時計たちの波紋』、『顔のない裸体たち』、『あなたが、いなかった、あなた』、『決壊』、『ドーン』など。他に新書『本の読み方 スロー・リーディングの実践』、『マイルス・デイヴィスとは誰か』(共著)などがある。近著に『私とは何か――「個人」から「分人」へ』、『空白を満たしなさい』(ともに講談社)がある。
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まずは何から??平野啓一郎の世界
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作家になるのに必要なのは〈才能〉じゃない。要は、やるか、やらないか。



1975年愛知県蒲郡市生まれ。98年、京都大学法学部在学中に文芸誌『新潮』に投稿した小説『日蝕』が巻頭一挙掲載され作家デビュー。ヨーロッパ中世の異端審問の世界を漢文的文体を駆使して鮮やかに描き出し、「三島由紀夫の再来」として注目を集める。翌年1月、同作により23歳で第120回芥川賞を受賞。以後、恋愛譚『一月物語』(1999年)、小説『葬送』(2002年)、短編『顔のない裸体たち』(2006年)、小説『決壊』(2008年)など、多数の話題作を発表。作品は、フランス、韓国、台湾、中国、アメリカ、エジプト等、翻訳を通じ広く海外にも紹介されている。平野さんに、自らが提唱する新しい概念、印象的な本との出会い、作家に必要なことなど、お聞きしました。

今も昔も、「書きたいから書いている」


――2012年9月14日に講談社から新書『私とは何か―「個人」から「分人」へ』を出版されました。どのような内容か、少しご紹介ください。


平野啓一郎氏: 『分人』とは、私が提唱している概念です。今までも小説の中で書いてきましたが、今回はそのエッセンスを分かりやすくまとめたものを、新書として出版しました。「人間のアイデンティティーが一つではないこと」を説明した話で、誰もが、対人関係ごとにさまざまな顔を持っていることを、もっと肯定的に考えるべきではないかと書いています。僕たちは、「個人individual」という概念を当たり前のように信じています。でも、この概念は、そもそもは「分けられない」という意味で、、近代になってからようやく、一人の人間という意味が確立されました。その主な理由はキリスト教、つまり、一神教です。一なる神と向き合う人間もまた、一貫性のある一なる主体でなければならないという発想です。しかし、「個人」という概念を中心に考えるから、自分がさまざまな顔を持っていることに矛盾を感じてしまう。だから僕は「個人」より小さな「分人」という言葉を考案した。それをベースに物事を考えていくと、今まで割り切れなかったことが、随分と整理されるのではないかと思うのです。

――「分人」という概念を、小説ではなく新書でまとめようと思われた理由は何でしたか?


平野啓一郎氏: 小説ではより深い話を書いていますが、一足飛びに小説までアクセスしづらいという読者のために、あえて新書にしたところがありますね。『ドーン』(2009年7月10日発行・講談社)という小説を出した後に、読者からそういう要望が多くあったんです。「自分は小説が好きで面白かったけど、会社や周りの人に紹介しようと思うと、彼らには多分『ドーン』は読めないから、新書みたいなものを書いてほしい」というような内容でした。Twitterをはじめてから、ダイレクトな読者の声が増えましたね。寄せられる感想の中には、なるほどと思うこともあり、それは、間接的な形だとは思いますが、執筆にも反映されていると思います。

――作家デビューは1998年。文芸誌『新潮』に投稿した『日蝕』が話題になりました。大学在学中でしたね。


平野啓一郎氏: 『日蝕』は21~22歳にかけて書いた小説でした。実は、最初に小説を書いたのは17歳、高校2年生の時で、『日蝕』を書くまでに3作書いていたんです。ただ、われながらあまり出来が良くなかったので、どこにも発表しないまま終わりましたね。

――1作目を書くきっかけは、何かあったのでしょうか?


平野啓一郎氏: よく聞かれますが、分からないんです。少なくとも、作家になりたいとは思っていなかったですね。ただ、書きたかった。小説を読むことは好きで、ちょこっとしたものは書いたりしていましたが、多分その延長だったんだと思います。何か、どうしても書きたくなったんです。今でも、1作1作を書き始める時は同じですよ。思いついたことがあって、書きたくなるから書く。だから、「何で書いているのか」って聞かれると、やっぱり17歳の時書いたのと同じように、何か書きたかったから書いたとしか言いようがないですね。もちろん今は生活とか、色々ありますから、書かないと生きていけないっていうこともありますけど。根本的には、変わっていないかな。

――これまでたくさん本を読まれていると思いますが、印象深い本はありますか?


平野啓一郎氏: 三島由紀夫の『金閣寺』(新潮文庫)です。それまで読んできた本と、全く違うものだっていう感じがして、すごく衝撃を受けた。本当にのめりこむようにして読んで、その日のことはすごく鮮明に覚えています。「文学に出会った」のが、三島だった。それから色々と本を読むようになりました。大学時代、文章を自分で書きたい、小説を書きたいって思うようになった時に影響を受けたのは森鴎外でした。最初は文体に関してでしたが、最近だんだん、鴎外のテーマみたいなものが分かり始めたような気がしています。そういう意味で、三島と鴎外は、本を読み始めた時と、自分で書きたいと思った時に影響を受けた作家です。作品で言えば、やはり『金閣寺』が一番印象深いですね。

伝えたい気持ちがなければ、作家にはなれない


――デビュー前に新潮の編集部に手紙を書いたと伺いました。デビューのいきさつをお話しいただけますか?


平野啓一郎氏: その時書いた原稿は250枚くらいありましたから、いきなり原稿を送っても絶対読んでもらえないと思ったので、手紙を書きました。手紙なら、開封して読もうかなという気になるでしょう。だからその手紙を書く時に、「この手紙を読んだからには、どうしても原稿を読みたくなるような手紙を書かなきゃいけない」と思ったんですよね。人間って読めって言われても読まないですが、読みたいという気持ちが芽生えれば、読んでくれるじゃないですか。だから、自分はこんなことを考えていて、こういうことを書いた小説で、とにかく読んでもらって、面白くなかったら捨ててもらって結構ですって書いて送ったんです。根本的に、僕が何をしようとしているのか、それを伝えようとしました。そうしたら、僕の思惑とは少し違って、その編集長は「なんて生意気なやつだ」と思ったみたいです(笑)。だけど、「そこまで言うなら読んでみようか」と思ってくれて、それがデビューにつながった。

――世の中にはまだまだ書ける才能を持っている人が埋もれているかもしれませんね。


平野啓一郎氏: いると思います。ただ、僕、思うんですけどね、全ての人の脳内をスキャンして、小説に向いている人の上位何人かが小説家になっている訳じゃない。小説家としてすごく才能があったかもしれない人がサラリーマンになったり、大した才能はないけど小説家になっている人もいる。でもそれは、どんな職業でも同じ。1億何千万人を調べて、この人は野球選手に、この人は小説家に向いているって振り分けて、その上位がプロとして活躍している訳ではない。じゃあ何で小説家がいるかっていうと、一つは、やはり「続けられている」ってことだと思うんです。どうして続けられるのか。それは、幾分なりとも才能があって、考えていることに共感できる部分が読者にあってのことだと思う。平野啓一郎なんかより自分の方が才能があると思う人がいるかもしれない。実際、そうなのかもしれませんよ。だけど、じゃあ小説家になれるかというと、必ずしも才能だけの問題じゃない。

――何が重要になりますか?


平野啓一郎氏: やるかどうかの問題じゃないですか?僕は、かなり早くに世に出られた方だから、周りで同じように何かをしようとしていた友達や知り合いを、出版社やレコード会社の人なんかに何度となく紹介してきました。けど、紹介した後、誰一人としてがんばってくれませんでした。それが僕には本当に不思議だった。僕の顔が潰れたとか、そういうのはいいんですけど、彼らには、十分な才能があったんですよ。僕は去年から京都造形芸術大学のクリエイティヴ・ライティング・コースで、年に3日か4日だけ短期集中講義をしているんです。小説家志望の人たちが集まって来るんですが、僕は半分スカウトみたいな気持ちで行っています。15人くらいのゼミ形式のクラスで、「課題自体は15枚くらいの短いものしか読めませんが、どうしても読んでもらいたいものがあれば持って来てください。面白ければすぐにでも出版社の人を紹介します」って言ったんです。で、去年一年間待ちましたが、やっぱり誰一人、原稿を持って来ませんでした。作家になるのに一番難しいのは、出版社の人とのコネクションを作ることなんです。僕もそこで一番苦労した。だから、そんな渡りに船みたいな話があって、しかも小説家になりたいとその授業に来ているのに、どうしてこの人たちは必死になって僕に原稿を読んでくれって言わないのかなって不思議だった。本当は僕は言った後、「1人1000枚くらいの小説を15人が持って来たら、大変なことになるな」と思って、実は少し後悔してたんです。でも、誰も持って来ませんでした。それがどんなに残念だったかという話をしたところ、今年は二人、持ってきましたが。だから僕は、ミュージシャンや小説家になるっていうのは、才能とは別の部分が大きいと思いますよ。何かになるために、どれだけ自分が動くか。向こうから手を差し伸べられることなんか、普通はないですから。それなりに才能があって、しかも意欲的に活動して、動いたことの結果だと思います。そういう人でなければ、実際にデビューしてみたとしても多分続かないですよね。

――何かになるためには、やはり必死にならなければいけないですね。


平野啓一郎氏: 僕、写真の賞の選考委員もやっていて、そういう時にも感じますが、例えばmixiに写真を載せると、どこかの誰かが「いいね」って言ってくれるでしょう。フェイスブックでも良いんですけど。何か、そういう感覚なんですよね。どこかに向けて必死に自分が何かするのではなく、発表すればどこかの誰かが自分のものを好きになってくれるんじゃないかっていう。、出来たらプロになってみたいけどっていうくらいの人の写真を見て、僕の思うことを言ってみても、別にそれはもう屁でもないっていうか(笑)。「ああ、あなたの感性とは合わなかったけど、私の写真が好きな人はほかにいますから」っていう感じですよ。そりゃそうだと思いますよ。ただ、プロとしてやっていくなら、どうしても規模の話になるでしょう?10人がいいって言ってくれて満足で、趣味として撮っていくなら話は別だけど、プロとして食べていきたいなら、写真集だって何百何千は売れないといけないだろうし。展覧会をしたら、それなりに人が来ないとっていう世界だから。作家も、ありのままの私を気に入ってくれた人だけが大事な読者っていうのだと、限定された世界にしかならない。今は、それでもどうにかなる可能性が開けた世界なのかもしれないけど、どこかでやっぱり、何とかして自分の表現を伝えたいっていう能動性がないと、作家としては難しいですよね。

――そこにプロとアマとの大きな差があるんですね。


平野啓一郎氏: あると思いますね。好きなことを仕事にして良いのかどうかって、よく言われるじゃないですか。でも、そういう問いの次元で既にプロにはなれない。プロになる人にはそんなこと関係ないというか、そういう次元の話ではないと思うんです。僕は小説は好きだけど、だからこそ、仕事にしちゃいけないんじゃないかとか、そういう悩み方はしたことないです。

著書一覧『 平野啓一郎

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