作画はデジタルになっても読者には関係ない。仕上がったお話を楽しんでほしい。
『あんみつ姫』『あおいちゃんパニック!』『あかねこの悪魔』などの代表作で知られ、漫画家としてご活躍の竹本泉さんに、描き手側からみた本・電子書籍についてご意見をお伺いしました。
自宅の中の仕事場で、アイデアを練りながら創作活動を行う
――早速ですが、ここ最近のお仕事もご紹介いただければと思います。
竹本泉氏: 最近は、連載は月刊誌が3本に、隔月が1本ぐらいです。
――お仕事される場所は、ご自宅ですか?
竹本泉氏: そうですね。今は自宅の中に仕事場があって、そこで仕事をするというかたちです。デビューしてしばらくは実家で仕事をしていましたけれど、アシスタントを使う様になったころから仕事場を借りるようになりました。マンションに住んでいた頃は、自宅用と仕事場用に2部屋借りていましたが、今は一軒家です。
――締め切り前に原稿を仕上げるというポリシーがあるとお聞きしました。アイデアは描く前にあって描かれていらっしゃるんですか?
竹本泉氏: いえ、普通に遅れたりしています。そんなにむちゃくちゃに遅れない様にはしていますけれど、一時期はギリギリで仕事をしている時期がありました。ちなみに過去2回、原稿を落としたことがあります・・・(笑)。
アイデアは、結構普段から色々考えているので、描くときには「あれを使おう、これを使おう」と思って描くこともありますし、描き始めてから思いついたことでパッと描いてしまうみたいなこともあります。
――いわゆるネタ帳はお作りになっているのですか?
竹本泉氏: ネタ帳というか、ネームをするとき小さいレポート用紙に描いているんですが、そのレポート用紙に厚手の表紙がついていて、そこの表や裏にメモを書きます。ネームしているときにそのネームと関係ないことを思いついたりして、それを全部書きとめておいて、後でそれを見てまた新たに描いたりということがあります。昔はネタ帳を作っていたのですけれど、作っただけで満足して使わないので、ネタ帳そのものを作らなくなりました。だからメモをしておいて、たまたまそれを目にしたときに、「ああ、このネタで描こうかな」といった感じです。
妹が持っていた『りぼん』や『別冊マーガレット』がきっかけで漫画にハマる
――子供のころの読書体験をお伺いできますか?
竹本泉氏: もともと、少女漫画を読み始めたのは、妹が集英社の『りぼん』を買ってきて、それを読んで「少女漫画って面白い」と思ったのがきっかけなんです。ただ、『りぼん』のちょっと後に親戚の人が妹に買って来た『別冊マーガレット』に、和田慎二さんの「銀色の髪の亜里沙」が載っていたみたいなことがあって、それを読んですっかりはまってしまって。それが中学3年から高1にかけての春休みくらいでしたね。 それで妹は『りぼん』を買うというので、じゃあ自分は別マを買おうと言って、2人で『りぼん』と別マをずっと買い続けてしばらく読んでいました。
――それまでの間に、ご自身で漫画を読んだり描かれたりされていたのですか?
竹本泉氏: 子供のころに、石ノ森章太郎さんが好きだったんですよ。あと個人的には久松文雄さんの『スーパージェッター』(マンガショップ)とか『冒険ガボテン島』が好きだったんですね。 それが、昔の人の絵って難しくて、まねしても似せられないんですよ。というか、子供なので何を描いても上手く描けなかったんですけどね。そんなわけで、当時は誰かの模写をすることはほとんどありませんでした。その当時影響を受けていたのが、久松さんと石ノ森章太郎さんと横山光輝さん(笑)
――いつごろ、自分で描こうと思われたんですか?
竹本泉氏: ちゃんと絵を描こうとし始めたのは少女まんがにはまって以降です。漫画に関してはどう描いていいかよくわからなかってのもあって、描き始めたのは大学に入ってからです。
この頃、ものすごく参考にしたのが「少女まんが入門」(鈴木光明著 白泉社)。基本的に少女漫画の描き方の本なのですが、これで漫画の描き方の5から10くらいを勉強しました。ちなみに1から3は秋田書店の「マンガのかきかた」。3から6くらいはやっぱり秋田書店で石ノ森章太郎著「石森章太郎のマンガ家入門」。
ちゃんとしたものを1本描くというのはすごく時間がかかるというか、なんか大変な作業で、普段の日にはとてもできるとは思えなかったんですが、休みがあるときにがんばって描こうとか思い立ったんですね。大学は休みが長くて、春休みと夏休みが2ヶ月くらいずつあったので、そのときに描こうかと。大体16ページくらいのものを休み中に1本くらいずつ描きました。当時の話ですが、少年誌は年に1回の新人賞みたいなものはあったけれど、募集そのものがあまりなくて、少女誌の方が投稿する場が多かったんです。別マとかには当時、もう月刊の「まんがスクール」があって、そこで募集していたのが基本16ページの漫画でした。16ページなら何とか描けるかなと思ったし、まんがスクールは投稿して翌々月くらいで結果が出るんです。努力賞とか佳作を取った人がページに並んでいて、受賞作のカットも載っていました。それで、「ここに載りたいなぁ」みたいなあこがれがありましたね。おまけに投稿すると、プレゼントがもらえたりしたんです。複製原画や、雑誌特製の漫画原稿用紙、コマ割りスケールといって、透明のプラスチックの大きな原稿サイズの板なんですけども、穴を開けてそれに合わせて紙に線を引くと、ちゃんとコマが割れるみたいなものとかがもらえました。そういうのが目当てであっちこっちに投稿していましたね。
デビューして30年、読んで「気持ちいい」ネームのリズムが自然に身につく
――デビューされてから30年、何か描き手としての変化はありますか?
竹本泉氏: あるのかな。あるかって言われたら絵を描くのが速くなったりとかとかいうことはありますね。話作りにも変化はあるんですよね。昔は結末ありきで、そこに向かって話を組み立てていくようなかたちで作っていたんですけども、やってるうちに、描いていて、かつ読んでいて気持ちのいいネームが書けるようになりました。リズムなんです。それを意識し始めたのが10年ちょっとくらい前です。エンターブレインの『コミックビーム』で連載していた読み切りものの連載があるんですけども、そのときに結構、「これはリズムで描いているなぁ」ってちょっと意識し始めました。変な話なんですけど、あんまり話が無くても読むと面白いんですよ。あと、しばらくして忘れたころに読んだらやっぱり面白い。もちろん読者が読んでどう感じるかはわからないんですが、作者的には読んでいて気持ちのいいリズム? みたいな・・・。
――そういったところが、長く読者に受け入れられていると思うんですけれども、原稿を描く上で、読み手側を意識することはありますか?
竹本泉氏: 基本的に昔から、読者自体を意識するっていうことはあまりなくて、直接読んでくれる人を意識して描いていましたね。この場合は担当の編集さんなんですが、話の落ちの担当さんの反応をみるのが楽しみというか。なので「これはどういう話なの?」って最初に聞かれるのがいやで。説明しちゃうとネームでびっくりしてもらえないので。そんなわけで、いつも直接読む人メインで描いていて、あんまり読者のことは考えていないんですよ。でも、最近は担当さんと直接会わなくなってしまったんです。作画がデジタルになったら毎回の打ち合わせが電話になってしまったので(笑)。目の前でネームを読まれるとかいうことが無くなって、ちょっとフィードバックが足りないかなとは思います。
――初期のころは、どんなやり取りだったんですか?
竹本泉氏: 漫画家になってしばらくは、ネームを持っていって、それを見せて打ち合わせして、修正があると直して、そのまま作画みたいな感じでした。
――昔といまと比べて編集者さんとの関わり方も変わってきたんですね。
竹本泉氏: そうですね。以前は、読んでいるときの編集者の表情を見て、「ああ、この辺でうけている」みたいなところがあったんですけど、それがいまはもう無いですから。そういう時代の流れなので、仕方ないんですけどね。いまはネームを送って、その後に電話で、「ここは字が間違っています」とか、「これはどうなんですか?」「これはこうなんですよ」みたいな説明や打ち合わせをした後に、作画をしますね。すみません、これ、あまり時代の流れと全然関係ないですね・・・(笑)。
編集者について、あまり高い理想は持たない。
――制作において、何か理想の編集者像みたいなものはありますか?
竹本泉氏: いや、あまり理想は無いですね。いつも好きに描いちゃってるせいもありますが、編集さんは別にどんな人でも大丈夫だと思います。
――編集者と二人三脚で作られているんですか?
竹本泉氏: そこまでのことは無いですけどね。昔は修正はよく入りましたけど、最近は作風が特殊になってしまったので、好きにやらせてもらっています。ちなみに、話の内容やアイデアを編集さんに考えてもらうということは、昔も今もないです。 ただもちろん、編集さんの「ここは変なんじゃないか、ここはどうしてなの」といった指摘を受けて、「ああ、なるほど」とそこを直すと全然違う話になったりっていうこともあるので、編集さんがいらないというわけでは全然ありません。
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