尾崎哲夫

Profile

1953年、大阪豊中市生まれ。18歳まで関西で過ごす。早稲田大学法学部卒業。早稲田大学大学院アジア太平洋研究科国際関係専攻修了。松下電送機器を経て、代々木ゼミナール、帝京大学、明海大学、関西大学、同志社大学、追手門学院大学の各講師、関西外国語大学短期大学部教授、近畿大学経済学部教授などを歴任。近畿大学経済学部教授を経て、オーストラリアに14ヶ月、米国に9ヶ月で在外研究をする。米国ではLewis and Clark 法科大学院に留学。現在、フリーランスで研究執筆中。田舎ぐらしをするために宮崎に移住し、永住の予定。

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書き始めると止まらない、本を書くことは麻薬のようなもの



著書には『私の英単語帳を公開します!』(幻冬舎)、『英単語500でわかる現代アメリカ』(朝日新書)、『国際商取引入門』(自由国民社)、『ビジネスマンの基礎英語』(日経文庫)、『はじめての民法総則』(自由国民社)、『条文ガイド六法 民法』(自由国民社)、『条文ガイド六法 会社法』(自由国民社)、『コンパクト法律用語辞典』(自由国民社)、『経済・法律 英和・和英辞典』(ダイヤモンド社)・・・・・。英語、法律の実用書はなんと200冊以上。近畿大学退任後は、オーストラリア、米国に移住、現在は宮崎に移り住み、研究・執筆活動を続けられている尾崎哲夫さんに、多くの著書を生み出す原動力、編集者に求めるもの、印象に残る本などについてお聞きしました。

自分自身の経験から、独学で「方法論」を編み出す


――まずは、近況をお伺いできますでしょうか?


尾崎哲夫氏: 近畿大学を退任後、オーストラリアに1年おりまして、現地で研究、勉強、読書、執筆をしておりました。その後、米オレゴン州のルイス・アンド・クラーク法科大学院に留学。そして、昨年の6月、田舎暮らしをするために宮崎に引っ越してきまして、この1年は割と平穏に勉強、研究を続けています。

――これまで、本当に多くの著書を出していらっしゃいますね。


尾崎哲夫氏: 200冊以上書いております。「サンデー毎日、週刊尾崎」と言われるぐらい、毎週1冊ぐらい出していたこともありました。率直に言って、出版状況は極めて厳しくて、どなたさまも本が出ない、出版できない状況ですね。今は、「年間尾崎」も行くかどうかだというスランプに陥っています。

――ご自身の中で、執筆スタイルの変化は生じていますか?


尾崎哲夫氏: 私の出版している英語の方法論は、私自身が塾の講師、代ゼミの講師、大学教員として、実践的に教えてきた体験から編み出したものなんです。私自身は法学部の出身で、英文学は学習していない。ですから、独学。ちゃんとした学問的な英語教育を受けていない者が、自身の取り組みで独学実習して編み出した方法論プラス、塾や代ゼミや大学で教えてきた体験で編み出した方法論の二つでやってきたんです。それを書き尽くしたというのが実感ですね。もう一つの大きな原因は、携帯やインターネットでの英語学習が進んで、紙の本で英語を学習する人が極めて少なくなったことですね。

――「書き尽くした」というのは、本当に何かを成し遂げた方でないと言えない言葉だと思いますが。


尾崎哲夫氏: 塾や代ゼミの講師時代は見栄も外聞もなく、とにかくわからせないといけない。わからせてなんぼの世界ですから。そこから生まれた方法論です。団塊の世代ごろから始まった受験戦争は、おそらく世界史的にもトピックになるような厳しいものだったと思うんです。それで、日本人の器用さと勤勉さで、極めてわかりやすい、工夫の域を凝らした参考書が出てきた。その最たるものが、森一郎先生の『試験にでる英単語』(青春出版社)でした。ああいうユニークな、世界にないようなものを、特に代ゼミの講師などが中心となって切り開いた。私もそのうちの一人だったと思います。その中ではそれほど先発ではなく、やや後発のランナーでした。英語の本では、そういう素人の、法学部出身、塾の講師出身の良さを生かしたと思います。

また、一つの功績と言えるかどうかわかりませんが、私の著書のもう一つの柱、「法律」の分野に英語の受験学習のノウハウを持ち込んだことは事実です。法律の本というのは、偉い先生が、ほかの経済の専門書よりもさらに読みづらい文章で専門的に書いてきた、ギルド(専門家集団)の世界だったと思います。ほかの経済学や社会学、外交・・・、そういう専門書よりもさらに難しく、もちろん英語学習の参考書のノリを持ち込む人など毛頭いなくて、そんなことは「恥さらしだ。とんでもないことだ」という風潮でした。その法律コーナーに、私が初めて受験英語のノリの「ただ、わかりやすければいい」という本を持ち込んだ。それは功績だと思います。

書く動機は、啓発意識とコンプレックスつぶし


――英語や法律の本を書いて、この世の中に広めようと思ったきっかけを教えてください。


尾崎哲夫氏: 正直に申しますと、「自分の本を持ちたい、著書を持ちたい」という自己顕示的な欲求が、まずありました。それから、特に法律の場合、英語とは少し違う動機がありまして。世の中には、強い者がゴリ押しをしたり、無理が通って理屈が引っ込むなど、権利侵害、人権侵害が山ほどある。弱い者や知識のない者はいつも虐げられていると思います。基本的な法律の知識を持つことで、弱い者が自分で理屈を見つけたり、考えたり、相談することができるようになるのではと思いました。ですから、法律の本に関しては使命感があって、啓発意識、少しでも多くの人が法律的発想を知れば、それはその人にとって人生のちょっとした羅針盤になるだろう、という意識は強くありました。

幸い、自由国民社という出版社は、法律の本でも易しいものを出しているほうでした。「法律の知識が広まれば、権利侵害されている人が目を覚まして、戦える武器になる」と、今役員になっている竹内尚志という編集者と、30歳くらいからコンビを組んで、やってきたんです。

――竹内さんとお二人でタッグを組んで、二人三脚で本を世の中に出されたんですね。


尾崎哲夫氏: はい。数十冊ですね。法律の本を数十冊書いたのは、世界でも私一人だと思う。法律の本で二けたはほとんどいないし、一人の編集者と添い遂げた、ほとんど浮気せず、友情関係が続いているのも自慢です。竹内さんは本当に素晴らしい人です。英語の本にも啓発意識はあって、「知は力なり」という意識があります。コンプレックスってみんな持っていると思うんです。何に対してコンプレックスを持つかはそれぞれ違うと思いますが、英語コンプレックスもある。ですから、コンプレックスつぶしが動機にありました。生きている限りはコンプレックスを持って生きていくんですが、なるべく少ないほうがいい。それを転化して自己成長させたほうがいい。そのお助けマンになるという意識はございました。



――コンプレックスを昇華して、減らしていく。


尾崎哲夫氏: はい。法律の場合は啓発の気持ち、人権侵害をなくす気持ちを、英語の場合はコンプレックスつぶしを。筆者がこういうモチベーションを持っているということは、伝わるものなんです。それで売れたというのはあると思います。

――尾崎さんが考える出版社、編集者の役割は何だと思われますか?


尾崎哲夫氏: 何て言ったらいいかな。例えば、竹内さんが私の担当、尾崎番になって私と夫婦になった限りはですね、出版社の社員であると同時に、夫の内助の功も考えてほしい。豚もおだてりゃ木に登るのですから、著者をおだてるような編集者であってほしい。あと、出版社だと割と文学部の系統の方が多くて、私や竹内さんのような法学部出身から見ると、論理的思考で詰めて仕事をするという風潮が薄い。ムードや人間関係で仕事をすることが多いという不満が、少しありましたね。編集者によって、本の出来は随分違いますよ。やはり、竹内さんあってのシリーズでしたし、竹内さんに会わなかったら人生が変わっていたと思います。半分は編集者ですよね。

著書一覧『 尾崎哲夫

この著者のタグ: 『英語』 『作家』 『営業』 『法律』 『タイトル』 『まっすぐ』 『センス』 『田舎』

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