書き始めると止まらない、本を書くことは麻薬のようなもの
著書には『私の英単語帳を公開します!』(幻冬舎)、『英単語500でわかる現代アメリカ』(朝日新書)、『国際商取引入門』(自由国民社)、『ビジネスマンの基礎英語』(日経文庫)、『はじめての民法総則』(自由国民社)、『条文ガイド六法 民法』(自由国民社)、『条文ガイド六法 会社法』(自由国民社)、『コンパクト法律用語辞典』(自由国民社)、『経済・法律 英和・和英辞典』(ダイヤモンド社)・・・・・。英語、法律の実用書はなんと200冊以上。近畿大学退任後は、オーストラリア、米国に移住、現在は宮崎に移り住み、研究・執筆活動を続けられている尾崎哲夫さんに、多くの著書を生み出す原動力、編集者に求めるもの、印象に残る本などについてお聞きしました。
自分自身の経験から、独学で「方法論」を編み出す
――まずは、近況をお伺いできますでしょうか?
尾崎哲夫氏: 近畿大学を退任後、オーストラリアに1年おりまして、現地で研究、勉強、読書、執筆をしておりました。その後、米オレゴン州のルイス・アンド・クラーク法科大学院に留学。そして、昨年の6月、田舎暮らしをするために宮崎に引っ越してきまして、この1年は割と平穏に勉強、研究を続けています。
――これまで、本当に多くの著書を出していらっしゃいますね。
尾崎哲夫氏: 200冊以上書いております。「サンデー毎日、週刊尾崎」と言われるぐらい、毎週1冊ぐらい出していたこともありました。率直に言って、出版状況は極めて厳しくて、どなたさまも本が出ない、出版できない状況ですね。今は、「年間尾崎」も行くかどうかだというスランプに陥っています。
――ご自身の中で、執筆スタイルの変化は生じていますか?
尾崎哲夫氏: 私の出版している英語の方法論は、私自身が塾の講師、代ゼミの講師、大学教員として、実践的に教えてきた体験から編み出したものなんです。私自身は法学部の出身で、英文学は学習していない。ですから、独学。ちゃんとした学問的な英語教育を受けていない者が、自身の取り組みで独学実習して編み出した方法論プラス、塾や代ゼミや大学で教えてきた体験で編み出した方法論の二つでやってきたんです。それを書き尽くしたというのが実感ですね。もう一つの大きな原因は、携帯やインターネットでの英語学習が進んで、紙の本で英語を学習する人が極めて少なくなったことですね。
――「書き尽くした」というのは、本当に何かを成し遂げた方でないと言えない言葉だと思いますが。
尾崎哲夫氏: 塾や代ゼミの講師時代は見栄も外聞もなく、とにかくわからせないといけない。わからせてなんぼの世界ですから。そこから生まれた方法論です。団塊の世代ごろから始まった受験戦争は、おそらく世界史的にもトピックになるような厳しいものだったと思うんです。それで、日本人の器用さと勤勉さで、極めてわかりやすい、工夫の域を凝らした参考書が出てきた。その最たるものが、森一郎先生の『試験にでる英単語』(青春出版社)でした。ああいうユニークな、世界にないようなものを、特に代ゼミの講師などが中心となって切り開いた。私もそのうちの一人だったと思います。その中ではそれほど先発ではなく、やや後発のランナーでした。英語の本では、そういう素人の、法学部出身、塾の講師出身の良さを生かしたと思います。
また、一つの功績と言えるかどうかわかりませんが、私の著書のもう一つの柱、「法律」の分野に英語の受験学習のノウハウを持ち込んだことは事実です。法律の本というのは、偉い先生が、ほかの経済の専門書よりもさらに読みづらい文章で専門的に書いてきた、ギルド(専門家集団)の世界だったと思います。ほかの経済学や社会学、外交・・・、そういう専門書よりもさらに難しく、もちろん英語学習の参考書のノリを持ち込む人など毛頭いなくて、そんなことは「恥さらしだ。とんでもないことだ」という風潮でした。その法律コーナーに、私が初めて受験英語のノリの「ただ、わかりやすければいい」という本を持ち込んだ。それは功績だと思います。
書く動機は、啓発意識とコンプレックスつぶし
――英語や法律の本を書いて、この世の中に広めようと思ったきっかけを教えてください。
尾崎哲夫氏: 正直に申しますと、「自分の本を持ちたい、著書を持ちたい」という自己顕示的な欲求が、まずありました。それから、特に法律の場合、英語とは少し違う動機がありまして。世の中には、強い者がゴリ押しをしたり、無理が通って理屈が引っ込むなど、権利侵害、人権侵害が山ほどある。弱い者や知識のない者はいつも虐げられていると思います。基本的な法律の知識を持つことで、弱い者が自分で理屈を見つけたり、考えたり、相談することができるようになるのではと思いました。ですから、法律の本に関しては使命感があって、啓発意識、少しでも多くの人が法律的発想を知れば、それはその人にとって人生のちょっとした羅針盤になるだろう、という意識は強くありました。
幸い、自由国民社という出版社は、法律の本でも易しいものを出しているほうでした。「法律の知識が広まれば、権利侵害されている人が目を覚まして、戦える武器になる」と、今役員になっている竹内尚志という編集者と、30歳くらいからコンビを組んで、やってきたんです。
――竹内さんとお二人でタッグを組んで、二人三脚で本を世の中に出されたんですね。
尾崎哲夫氏: はい。数十冊ですね。法律の本を数十冊書いたのは、世界でも私一人だと思う。法律の本で二けたはほとんどいないし、一人の編集者と添い遂げた、ほとんど浮気せず、友情関係が続いているのも自慢です。竹内さんは本当に素晴らしい人です。英語の本にも啓発意識はあって、「知は力なり」という意識があります。コンプレックスってみんな持っていると思うんです。何に対してコンプレックスを持つかはそれぞれ違うと思いますが、英語コンプレックスもある。ですから、コンプレックスつぶしが動機にありました。生きている限りはコンプレックスを持って生きていくんですが、なるべく少ないほうがいい。それを転化して自己成長させたほうがいい。そのお助けマンになるという意識はございました。
――コンプレックスを昇華して、減らしていく。
尾崎哲夫氏: はい。法律の場合は啓発の気持ち、人権侵害をなくす気持ちを、英語の場合はコンプレックスつぶしを。筆者がこういうモチベーションを持っているということは、伝わるものなんです。それで売れたというのはあると思います。
――尾崎さんが考える出版社、編集者の役割は何だと思われますか?
尾崎哲夫氏: 何て言ったらいいかな。例えば、竹内さんが私の担当、尾崎番になって私と夫婦になった限りはですね、出版社の社員であると同時に、夫の内助の功も考えてほしい。豚もおだてりゃ木に登るのですから、著者をおだてるような編集者であってほしい。あと、出版社だと割と文学部の系統の方が多くて、私や竹内さんのような法学部出身から見ると、論理的思考で詰めて仕事をするという風潮が薄い。ムードや人間関係で仕事をすることが多いという不満が、少しありましたね。編集者によって、本の出来は随分違いますよ。やはり、竹内さんあってのシリーズでしたし、竹内さんに会わなかったら人生が変わっていたと思います。半分は編集者ですよね。
自分の本は自分で売り、タイトルにもこだわった
――本が売れた背景には、良き編集者がいたんですね。
尾崎哲夫氏: もう一つ。私は営業の尾崎と言われたぐらいで、日本全国といっていいくらい、もう延べ数千件以上、営業したんです。いっときはものすごく有名で、本屋に行けば尾崎とバッティングする、と言われるぐらい。私は松下電送に勤めたこともあり、飛び込み営業の経験もありまして、それが著者として売れ筋を探すことに役立ちました。出版社も私の営業を知っていましたから「尾崎に書かせよう」という大きなエンジンになりましたね。すさまじいエネルギーでやりました。それを知らない方は「なぜ尾崎の本ばかり出るんだ。あいつは運がいい」とおっしゃいますが、200冊出たのは、運だけではないと思っています。
――売るためにどういったことを工夫されましたか?
尾崎哲夫氏: タイトルにこだわりました。『10時間で英語が話せる』、『10時間で英語が読める』など言い切りのタイトル。『私の英単語帳を公開します!』や『英語「超基本」を一日30分』など。タイトルを考える時は、いつもまっすぐ考えるんです。一日に30分ぐらいしかできないだろうなと。読者のことを考えて、そのままタイトルにしていくんです。タイトルで随分当たりました。あと、ある出版社の社長に言われたことがありますが、表紙が売れ行きの半分ぐらいを左右する。ですから、編集者とのタッグで、センスの悪い人と組むとつらいと。私も絵は下手ですが、センスのない編集者が選んだデザイナーで、ひどいものができると売れない。売れる本を作るには、タイトル、表紙、編集者、そして、猿まねしないことが大事です。
――似たようなタイトルの本が、今、新書などでありますが、今の本と昔の本、こんなところが変わったな、というのはありますか?
尾崎哲夫氏: まねっこが多いというのはありますね。例えば、ある種のスタイルの英語本が出ると、それが売れ筋と考えて同じような類書をこぞって出していく。売れた本には理由があるだろうけれども、それを二番せんじ三番せんじしても売れるわけでもないのに・・・。売れたものはいいものだという、出版社は実績主義です。新しく分析していくことは少ないんですね。本の外見でいえば、昔はボックスに入っていた本が、ボックスが外されている。ハードカバーも少なくなってソフトカバーが多くなった。それから、インターネットに対抗するため、値段が安くて手ごろな新書が売れているというのはあると思います。文庫はやや小さすぎるので、新書文庫がインターネットの時代にも残りやすいと。だからこぞって新書が出てきまして、岩波や角川も2種類出すとか、新書戦争の時代ですね。
――尾崎さんご自身は、本をどのように買われますか?
尾崎哲夫氏: 本屋さんに行くのと、Amazonで探して買いますね。コメントの数の多いものに狙いをつけて、良ければ同一筆者の本を2、3冊買うとか。やはり、40、50コメントが集中している本はそれなりに値打ちがある。コメント内容はともかく、注目されている本には、いい本が多いですね。
――本の一つの指標になるわけですね。
尾崎哲夫氏: なりますね。全部が全部ではないけれども。あれは画期的ですよね。
――書く際には気になってしまうものですか?
尾崎哲夫氏: いや、参考になりますよ。レビューを書く人は、ごく普通の読者すべてを代表しているわけではなく、マニアックだったり、きちっと文章が書ける人とか、時間があるとか、そういう方なので。良かれ悪しかれセミプロっぽい方もいらっしゃるので、そういう頭で見ています。
執念の筆者と言われた時代も・・・
――これから、何か新しく書こうと思うようなテーマはありますか?
尾崎哲夫氏: 一つはですね、「小学生の英語」というのは企画に出してはいます。要するに、小学校に英語が導入されて、早期英語教育が叫ばれていますが、意外と書籍としては出ていない面がありまして。私の娘が11歳で小学校5年生ですが、英語でドラえもんのシリーズとか、小学館などから出ていますよね。売れる本としては、ありかなと。ただ、世の中のお役に立つのに、私のオリジナリティーが発揮できるものではないんですが・・・。私のオリジナリティーを発揮するものはですね、今持っている種は出版にならないような種だったりするので。例えば「知的財産と英語」とか、難しい、読者が薄いというので企画が通らないですね。
――出したとしても小ロット生産になると、コストと見合わないという理由もあるのでしょうか。絶対数の分母が少ない読者に向けて出すことが、紙では難しい。そういう本は、電子出版もありかもしれないですね。
尾崎哲夫氏: 友達の一部からは、尾崎はIT音痴だけれど、もうそろそろ紙から出て、少し考え方を変えろと言われていますね。あとは、法律と英語とかですね、その辺のクロスしたものを書きたいな、と思っています。
――冒頭の話の中で、オーストラリアから米国、宮崎という風に移り住んだとお話いただきましたが、どういった理由ですか?
尾崎哲夫氏: 田舎が好きなので、いつも中堅都市か田舎に住んでいました。オーストラリアではタウンズビルとタスマニア。米国ではオレゴン州のポートランドという中堅都市におりまして。宮崎を選んだのは、十数年前に故あって佐賀県に1年間滞在したことがあったんです。その時に、年を取ってリタイアしてから田舎暮らしをするなら九州のどこがいいか考えた。で、宮崎が一番いいと、その時思ったんです。田舎だし南国で、居心地がいいだろうと。ですから、縁があったわけではないんです。
――では、ご自身で選んで決められたんですね。
尾崎哲夫氏: 人情というか、県民性というか、そういうものを気にしていました。いずれ将来は、アイルランドに行ったりしたいなと思いますね。
――英語と法律の二本柱だけでなく、こういった例えば場所を変えて生活することについての本とか、そういうのもすごく面白いなと思うんですが。
尾崎哲夫氏: それはまさにポイントで、場所を変えて住むというテーマは、読みたい人はいると思います。でも、一番売れるのは、10時間で英語が話せる、英検に合格するとか、民法がわかるとか、ダイエットができるとか、そういう実用書なんですよね。ズバッと切実なモチベーションに訴える。住む場所を変えるというのは、ダイエットや、来月新婚旅行に行くのに英語が話せないとかっこ悪いとか、そういう今日明日のモチベーションではないので。読者としても、もらったら読んでもいいけど、わざわざ買うか、というところがありますね。赤川次郎などの有名作家と違って、私の場合、尾崎哲夫の本をいつも狙っている人がいるのではなく、本屋で見つけてわかりやすそうだから買ったら尾崎という人が書いた本だったと。実用書の読者は、そういう淡い読者なんです。わかりやすいからもう一回買う、2冊3冊買う、という程度なんです。ファンというより、法律ならあいつだ、という程度の。司馬遼太郎クラスでしたら、自分の本領以外のものを書いても売れますけれどね。
――200冊もの本を出版する原動力となった、幼少時代の読書体験をお聞かせいただけますか?
尾崎哲夫氏: 中学時代は『赤毛のアン』とかなんだかんだ、高校時代は世界文学全集など、男の子としては相当読むほうだったと思います。高校では文芸部を私が作って部長になって、小説まがいのものも書いていました。高校までは小説家希望でしたから。それで、大学に入る時に文学部か法学部か迷っていたら、おじたちが、法学部でも小説は書けるだろうと。文学部だと就職が悪いし、法学部ならサラリーマンにでもなれるから、というので法学部を選んだといういきさつです。文学部に行きたかったけれど、就職のことを考えて法学部を選んだ人はクラスに1割ぐらいはいました。本を出版したのは、ものを書きたい、表現したい気持ちが人並み以上にあって取り組み始めたからです。特に法律に関しては、啓発精神も動機になりましたし、ここまで来たらとにかく、日本一じゃないけれども、書けるだけ書いてやろうと、そういう野心みたいなものもあったし、書き始めると止まらないというのも本当にあったし。で、200冊書いた。執念の筆者と言われて、すごい時代はありましたね。麻薬みたいなもんで、書いていないと落ち着かない。癖になっちゃうんですよね。
本は、人生で一番大事なもの
――今まで読んだ本の中で、印象に残る本はありますか?
尾崎哲夫氏: 単純に懐かしい思いがこみ上げてくる本は、『赤毛のアン』(講談社)と『走れメロス』(新潮社)。子供のころに読んで。その後さまざまな本に遭遇しましたが1冊に絞りきれないので、少し幼稚ですけど。普遍的な友情や信頼が、よく描かれていると思います。本ではありませんが、私は映画の『アラバマ物語』(米国・1962年製作)がすごく好きなんです。主演はグレゴリー・ペック。南部の差別と闘う正義の弁護士パパ、アティカス・フィンチの物語。うちと同じ父子家庭で、成長した娘が当時の出来事を回想して物語が進みます。戦後、ハリウッドでさまざまな映画が製作されて、いろんなヒーローが出てきました。「戦後のハリウッド映画で一番のヒーローは誰ですか」というアンケートをハリウッドが行ったことがあったんです。1位は、2位のスーパーマンを抑えて『アラバマ物語』の弁護士アティカス・フィンチでした。この弁護士が、アメリカ人の心に残る理想の男なんです。これは、知る人ぞ知る名画です。
――では、最後の質問にさせていただきますが、先生にとって本は、どういう存在ですか?
尾崎哲夫氏: 単純に読書は一番の趣味だし、人生で一番大事なものの一つ。書き手としては、それが人生のすべて。本当に、私にとって本は、人生最大のものだと思います。
(聞き手:沖中幸太郎)
著書一覧『 尾崎哲夫 』