日本とアジアの100年を考える知のインフラを整備したい
吉見俊哉さんは、都市文化やメディア文化についての研究を行う社会学者。近現代の日本社会を、各種メディアを分析することによってとらえ直す研究にも取り組み、歴史的に価値の高い活字、映像等の資料を電子アーカイブ化するプロジェクトにも尽力しています。吉見さんに、アーカイブ化の作業での苦労、電子化の意義、また出版メディアとしての電子書籍の可能性と課題について伺いました。
「オーファン」フィルムの法的対応が急務
――早速ですが、吉見さんの活動の近況を伺えますか?
吉見俊哉氏: 今は大学の仕事ばかりしています。でも並行して、アーカイブ系の仕事を色々な形で進めていまして、記録映画のアーカイブ化のお手伝いもしています。
――いわゆる劇映画ではなく、記録映画のアーカイブ化に取り組む意義としてはどのようなことがありますか?
吉見俊哉氏: 日本には、「オーファン」つまり著作権者不明のフィルムが膨大にあります。全国の現像所には5万とも10万ともいわれるオーファンフィルムがあるんです。制作会社が現像所にプリントを依頼した時に、現像所としてはまた依頼があるかもしれないということで1本ネガのコピーを取っておくんです。ところが時間がたつ間に依頼をした制作会社が潰れてしまったりとか、組織が変わってしまったりして、そのフィルムの所有権者、著作権者が分からなくなってしまうということがあるんですね。フィルムでも黒沢明とか小津安二郎とか有名監督の売れるフィルムは引く手あまたで、著作権を巡って利権的な争いになることもある。つまりある意味でコマーシャルにやっていくことができるんです。だけど、世の中の圧倒的多数のフィルムで著作権者も所有権者も分からないものがある。ドキュメンタリーなどの貴重なフィルムですから、捨てるにも捨てられなくてたまっていくんです。
――現状ではそのようなフィルムは再び世に出る機会はないのでしょうか?
吉見俊哉氏: 公共機関、例えば国会図書館やフィルムセンターに寄贈しようと思っても、自分のものではないですからね。寄贈しようにもできなくてそのまま残ってしまう。これをどういう風に公共的なものにして、みんなが使える形にしていくかということがなかなか難しいんです。というのは、オーファンの著作権に関しては文化庁長官の裁定制度というのがあります。かなりハードルが高くて、簡単ではありませんが、それでも裁定してもらうと国のものにすることができることにはなっています。ところが所有権に関しては、現行の法秩序の中で所有権が分からなくなってしまったものを国のものにする方法が整備されていないんです。
――著作権もさることながら「フィルム」そのものの所有権が問題なのですね。
吉見俊哉氏: 一番簡単なのは夜中に赤門前にオーファンフィルムをポトッと落としてもらって(笑)、誰かがそれを拾って、交番に「落とし物です」って届ければ、落とし主は絶対現れない。それで3か月くらいして、落とし主不明ということで所有権が移るということはあるんですけれども、そういう方法を別にすれば、現行の制度では、所有権者が分からなくなってしまったものを公共物にする方法がないんです。フィルムは出版物以上にもろいから、管理ができないところに置いておくと簡単にカビるか腐るか、劣化が起こります。そこでまずはフィルムをちゃんとした環境に移して、その資源を使える形にしていくことが必要です。
知的資産の「リサイクル」時代に入った
――ほかにアーカイブ化に取り組まれている資料としてはどのようなものがありますか?
吉見俊哉氏: もう1つは脚本です。ブックスキャンさんがデータ化しているのは、本の形を取っているものだと思うんですが、すべての本が図書ではないんです。図書というカテゴリーは、ISBNコードが付いていて、ある量以上出版されて流通に乗ったものです。ところが、例えば台本・脚本は典型的で、山田太一さんとか向田邦子さんとか出版されている脚本は図書ですが、一般にテレビ番組や映画を作る時は、関係者で100部ぐらい刷って、放送されたり上映されると、脚本は要らなくなる。
そうすると多くはそのまま捨てられるけれど、その作品に出た俳優や演出家は自分の作品だから取っておく。これはある種の書物であるし、番組や映画が作られる上では一種の設計図ですから、決定的に重要なコンテンツなんですよ。でも図書ではないので国立国会図書館の納本には該当しない。図書館は図書を集めるところだから本であっても図書ではないものは除外されるんです。そういうものがいっぱいある。また、最近だと東日本大震災のアーカイブ化のお手伝いもしています。東日本大震災で失われてしまった写真など膨大なものをアーカイブ化するという作業です。
――お話をお聞きすると、流通に乗っていないものも含め、日の目を見ない価値ある資料が無数にあるのだろうと想像できます。
吉見俊哉氏: 19世紀末から20世紀末の日本において、映像とか写真とか、出版されたテキストもものすごい量がありますが、公的にきちんと保存されているのはごく上澄みの一部しかない。でも上に出ている氷山の一角だけでなく、その下の膨大な知的な資産を、どうやって再活用していくのかということがとても大きな課題なのだと思います。かつては重要だから保存して、それと離れて生産があった。でも保存が自己目的である時代は終わりました。保存するのは活用のためです。そこでデジタルの技術が、蓄積されたものをもう1回活用していくことを可能にしたわけです。大量生産、大量流通、大量消費が一元的な原理であった社会から、いわばレアメタルや古新聞がリサイクルされて再利用されていくのと同じように、文化的な資源も収集され、蓄積され、再活用することが価値を生んでいく社会に変わってきつつあると思っているんです。そういうリサイクル型の社会における公共性というのは何だろうか、単に個人が自炊してリサイクルしていくだけじゃなくて、公共的な場をどういう風に出現させていくのか、社会的にそれをどうデザインするかということが大学にいる人間としての、あるいはある種の知にかかわる人間としての課題だと思っています。
デジタル技術で情報の蓄積、オープンが可能に
――デジタルアーカイブの重要性に着目したのはいつごろでしょうか?
吉見俊哉氏: 90年代の半ばくらいからデジタル技術が知にとって、人文社会系の研究にとって、決定的に重要な意味を持つということを感じ始めました。
――90年代半ばというと、インターネットの一般化と重なる時期ですね。
吉見俊哉氏: そうですね。ただネット型の知識というのはフローですよね。フローに関しては、世の中の人たちが盛んに騒いでいましたから、自分が中心になって何かやろうとは思わなかったんです。90年代半ばからのデジタル技術が可能にしたものは2つあったと思います。1つは横にネットワーク化することによって既存の地域や組織など、色々な壁を突破して今までつながらなかった人がつながる社会を作るということ。もう1つは膨大な情報を蓄積して、それをオープンに利活用していくということです。それが何を可能にしたのかというと、貴重な資料は、現物を人に貸したりするわけにはいかないわけですが、デジタルデータにして、オープンにすれば、かなりの精度で外からもアクセスができる。現物保存と再活用の分離を可能にして、今までよりはるかに膨大なデータをオープンに使っていく可能性が見えて、2000年代に世界中で広がっていったんだと思います。
もともと僕がいたのは情報学環になる前の新聞研究所で、新聞研究所は創立者の小野秀雄さんが創立されたのですが、彼が集めた幕末から明治維新期の膨大なかわら版と新聞錦絵があったんです。まず始めたのはそのデジタルアーカイブ化の作業ですね。新聞研は戦後の日本のメディア研究を引っ張ってきた組織ですから、メディアに関する様々な蓄積があるんです。研究のベースになるコンテンツを、現物を取っておきながら世界の色々な人が研究材料にしてディスカッションできるような場ができたら面白いと思ったんです。ファイルメーカーなんかが出てきたので、ボイジャーの萩野正昭さんに手伝ってきてもらったりして、まずCD-ROM版を作りました。