阪本啓一

Profile

1958年生まれ。大阪大学人間科学部卒業。旭化成で建材営業に従事したのち独立、渡米。「世界にもっとJOY(喜び)とWOW(感動)を!」のビジョンのもと経営コンサルティング会社(株)JOYWOW創業。ブランドを中心にコンサルティングしている。クライアントは製薬、IT、食品、産業資材、アパレル、建築、証券、商工会議所など多彩。理論ではなく「人として向き合う」コンサルティング姿勢を身上とする。自らも起業した経営経験からのアドバイスにファンが多い。

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「稼ぐ」から「命を使う」へ、仕事観が変わった



阪本啓一さんは、ブランドを中心にしたコンサルティングで、様々なジャンルの企業に対してマーケティングの戦略を提供しています。また軽妙な語り口で難解な経営理論を解きほぐすセミナー、読者の興味を引き付ける文章にも定評があり、ビジネスリーダーを育成する「阪本塾」も人気を集めています。阪本さんに、コンサルタント、そして作家になったきっかけ、仕事観、本や出版業界について伺いました。

本に導かれたキャリア、出版が独立のきっかけに


――阪本さんはコンサルタントとしてご活躍ですが、ご著書も多く、文章にもファンが多いですね。もともと本はお好きでしたか?


阪本啓一氏: 小学校の時から好きでした。親がおもちゃより本を買ってくれて、本が常にあって、本と暮らす生活といった感じでしたね。漫画から出発したんですが、手塚治虫が好きで、漫画家になりたいと思っていました。自分の作ったものを外に発表したいという思いがずっとあったので、今結果的にそういう仕事ができて、すごくハッピーだと思っています。

――文章は昔から書かれていたのですか?


阪本啓一氏: 小学校の時から書いていましたね。小学校3年生くらいの時から、自分でクラス新聞を作って連載を載せていました。『東海道中膝栗毛』っていうのがありますけど、そのパロディーみたいなものを書いていましたね。先生が「すごい」とか、ほめ上手なんですよ。皆にほめていたんだと思うんですけどね。考えてみると今も同じようなことをやっているんですね。

――出版デビューされたきっかけはどういったことでしたか?


阪本啓一氏: 旭化成でサラリーマンを19年やっていたんですけれど、その時は営業で、自分で書いたものを発表するということはありませんでした。よく覚えているのが、広島に転勤になって、1989年に出張先の山口県で仕事を終えてホテルに戻ると、部屋が真っ暗なんです。バブルの真っ最中で、日本中景気が良くて、同期の誰それは今ごろ、銀座とか大阪の心斎橋で飲んでるんだろうなと思ったら、置いていかれる感じがして、若かったのですごく焦りがありました。ホテルでこの焦りをどうしようかと考えて、それから毎日1日1冊ビジネス書を読むことを決めて、修行のようにやりました。そうでもしないと気持ちが収まらなかったんですね。
それで、1999年の5月に連休を利用してニューヨークを旅行した時、ブロードウェーミュージカルのチケットを取ろうと思ったのですが、販売までちょっと時間があったので、北側のバーンズ・アンド・ノーブルっていう書店に行って、ビジネス書を見ていたら、そこにセス・ゴーディンの、『パーミションマーケティング』が平積みになっていたんです。「なんじゃこりゃ」という表紙でしたので、立ち読みしたら引き込まれまして、「これは僕が翻訳するべきだ」と思ったんです。その時はサラリーマンですから、翻訳なんかしたことないし、本も出したことないんです。知り合いに、翔泳社という出版社の編集者がいて、お互い本が好きで、本を紹介し合う仲だったので、彼に紹介したら版権が空いていたので、翻訳をして、99年の11月に発売されました。これが幸いにも売れたんですね。

――会社を辞めて独立されたのも、本がヒットしたことがきっかけだったのでしょうか?


阪本啓一氏: 11月の発売から『パーミションマーケティング』に関する記事を雑誌に書いてくれとか、セミナーをしてくれ、コンサルをしてくれという依頼が来るようになって、年内はほぼ1日に1件、様子を見ながらっていうような感じだったんですけど、それだけで時間がなくなったんですよ。でも、その時は41歳で、旭化成は安定しているし、ちゃんとボーナスもあるし、踏み切れなかったんです。でも、結果的にはその翌年に独立して、旭化成を辞めた次の日にニューヨークに行って会社を作りました。そういう意味では、本に導かれてここまで来たという感じがしますね。

本によって、人と人がつながることができる


――阪本さんが本を読まれる時は、どういった読み方をされていますか?


阪本啓一氏: もうバンバンに書き込みます。自分のその時の感想を書いたりしますね。本はきれいなまま残すというより、「使う」という感じです。ただ後に読み返す本っていうのはそんなに多くはないですから、定期的に本は処分しています。僕は引っ越しが何度もあったので、その都度、どんどん本は減っていきましたね。

――最近読んだ本で、印象に残っている本はありますか?


阪本啓一氏: ちょうど今読んだのが、アメリカの子どもの絵本なんですけど『DOCTOR DAN THE BANDAGE MAN』というものです。1950年の本で、実物のバンドエイドがくっついている本なんです。何が面白いかっていうと、バンドエイドは1920年にジョンソンアンドジョンソンで発売されて、当初、大人が料理してちょっと手をけがした時なんかに使われていたんですけど、今後は子どもに売りたいということになった。子どももしょっちゅうけがをしますからね。なら子どもが「欲しい」と言うようにしたら良い。で、この絵本では、ダンっていう少年が、妹とか、友達がけがした時にバンドエイドをはってあげるんですね。そしてペットにはってあげたり、しまいにはおもちゃにはってあげたりとかします。これを見れば、子どもが絶対「欲しい欲しい」って親に言いますよね。このシリーズは175万部売れたそうです。ということは、1冊にバンドエイドが6枚くっついているんで、1050万枚が各家庭に渡った。これはコラボレーションのはしりなんですよね。

――本にはビジネスのヒントがたくさん隠れているのですね。


阪本啓一氏: そうですね。それと、僕にとって本っていうのは、人と人とがつながるきっかけでもあるんです。本を読めばその本の書いてあることだけじゃなくて、その人の人生そのものにも興味が出てくる。これは、きっと本好きな人は皆、そうだと思うんです。その人の人生を知ることができた時は、より本が自分のものになるというか、より著者が身近になりますね。
例えば、田中靖浩さんは本をきっかけにもう10年以上も付き合いがあるんです。田中さんの名言に、「100万円貯金するんであれば、そのお金で一緒に100万円稼ぐ仕事の親友を作れ」というものがありますが、僕にとって田中さんは一緒に100万円稼ぐ仕事の親友なんですよ。
田中さんとは2000年の12月にあるプロジェクトで、彼が会計で僕はマーケティングで一緒だったんです。当時、僕はニューヨークにいて、出張で日本のホテルに泊まっていたのですが、そのホテルに「近くまで来ましたから」ってフロントに託して『経営がみえる会計』の初版本を置いていったんです。近くまで来るわけないんですよ。わざわざ来たわけですね。その男気に僕は感動しました。『経営がみえる会計』も、僕にとって会計の教科書になりました。

著書一覧『 阪本啓一

この著者のタグ: 『漫画』 『コンサルタント』 『コンサルティング』 『アドバイス』 『ビジネス』 『モチベーション』 『翻訳』 『コラボレーション』 『きっかけ』 『仕事観』 『新しい価値』

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