鎌田洋

Profile

1950年、宮城県生まれ。商社、ハウスメーカー勤務などを経験。1982年に5度目のチャレンジの末、株式会社オリエンタルランド入社。東京ディズニーランドオープンに伴い、初代ナイトカストーディアル(夜間の清掃部門)・トレーナー兼エリアスーパーバイザーとして、ナイトカストーディアル・キャストを育成。アメリカのディズニーランドの初代カストーディアル・マネージャー、チャック・ボヤージン氏から2年間にわたり直接指導を受ける。その後、デイカストーディアルとして顧客との関わりを学ぶ。1990年、ディズニー・ユニバーシティ(教育部門)にて、教育部長代理としてオリエンタルランド全スタッフを指導、育成する。

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「感動」と「インスパイア」で人生のエンジンをかける



1950年に宮城県に生まれ、大学卒業後に商社、ハウスメーカー勤務を経て、1982年にオリエンタルランドへ入社。カストーディアル(清掃部門)に8年在籍し、初代ナイトカストーディアル・トレーナー兼エリアスーパーバイザーとして、ナイトカストーディアル・キャストを育成する。その後、デイカストーディアルにて顧客とのかかわりを学び、ディズニー・ユニバーシティ(教育部門)にて教育部長代理として、オリエンタルランド全スタッフを指導、育成。1997年、フランクリン・コヴィー・ジャパン代表取締役副社長を経て、ビジョナリー・ジャパンを設立。ディズニーで培ったスキルを生かし、セミナーやコンサルティング事業を成功させておられます。またビジネス書の著者としても著名で、著作として『ディズニー そうじの神様が教えてくれたこと』『ディズニーの絆力』などがあります。鎌田さんに、本とのかかわりについて、電子書籍についてのご意見なども伺いました。

ディズニーで学んだことが、いまの仕事にも生かされる


――早速ですが、鎌田さんの近況をご紹介いただけますか?


鎌田洋氏: 仕事は研修会社で、主に講演とセミナー、それから時としてコンサルティングというにはすごく重いけれども、お店のモニターをやったりするような仕事の3つをしています。ビジョナリー・ジャパンの特徴は映像を使うところです。ディズニーというのはやはり映画の世界ですから、映像で啓発するスキルのある人たちとチームを組んで、モチベーションを高めるような映像を作ることもやっています。そこが普通の研修会社と違うところです。ディズニーの教育というのは、理屈よりも心から変えていくというスタイルが得意で、その時に映像を駆使します。

――理屈よりも心なのですね。


鎌田洋氏: 心を変えることによってその気にさせる。それが一番大事です。ディズニーの教育がいまの仕事にも生かされていると感じます。

――初めてカリフォルニア・アナハイムのディズニーランドを訪れた時「魔法にかけられたように感じた」とご著書で書かれていましたが、いまは鎌田さんご自身がその魔法を使われていますね。


鎌田洋氏: 「感動」と「インスパイア」をどうやって皆さんに提供できるかということをいつも考えています。講演やセミナーにおいてもその2つがないとだめだと。
「インスパイア」というのは人生に対する決意をもたらすこと、「感動」というのは心が動くことでしょう。ですから、その2つの目的のために何ができるかということで仕事を考えていく。会社自体の企業理念ももっとシンプルにするつもりです。普通の会社の経営理念を見ると「あれもこれも」とワーッと書いている。なかなか覚えきれないんですよ。頭で「ピン」とすぐイメージできるようなものがとても大事だと思います。

例えばAmazonのジェフ・ベゾスにしても、Appleのスティーブ・ジョブズにしても、理念はものすごくシンプルですよね。ウォルト・ディズニーもシンプルです。「We Create Happiness」、それしかない(笑)。そのために自分たちが何をできるかということを、それぞれのその職場の人間が考える。
よくよく考えてみると、私のセミナーも講演も、必ず心にじーんときてゴールする。自分は語り部として「ああ、これはよかったなあ」と、聴衆に感じてもらえればいいと考えています。それをどう自分の人生に生かしていくかは、本人の問題です。いいきっかけを作るというのが、私の役割だと思っています。

理念は極めてシンプルがベスト



鎌田洋氏: 「感動」と「インスパイア」。それで人生のエンジンをかける。エンジンさえかかれば、あとは自分で努力するのもいとわない。ディズニーの研修も実はそこに視点を置いていると思います。

――その2点、「感動」と「インスパイア」に集中するんですね。


鎌田洋氏: いま、振り返ってみると、ディズニーを卒業してから初めて分かることがいっぱいありますね。中にいた時と、外から見た時とは全然違います。「毎日が初演」という言葉がディズニーにはあります。ディズニーランドというのは、遊園地ではなくて劇場なのです。スタッフを従業員と言わないで「キャスト」と呼ぶ。「初演の緊張感を忘れるな」と全てのスタッフは教えられます。
私が所属してきたナイトカストーディアルという部門は、夜、パークを毎日大掃除しているわけですが、毎日が初舞台だから、夜、徹底して大掃除をすると。世間をアッと言わせるがために、サービスの基本そうじをするというレベルではなくて、毎日が新鮮であり、毎日が初舞台であると、そのつもりでやりなさいという意味がある。「We Create Happiness」に、全てがリンクしていく。これがやっぱりディズニーのすごさですね。

就職に失敗して商社へ、新婚旅行でディズニーと出会う


――鎌田さんは宮城県のご出身ですね。


鎌田洋氏: 宮城の田舎の出身です。栗駒山麓のふもとで育ちました。春になるとレンゲソウの紫色の花が咲く。その中にあおむけに寝て、青い空を見て、そして未来にワクワクする期待を持っていた。それが私の幼少のころですね。高校生のころは、一等航海士にあこがれていて、最初は商船大学に入りたかったのですが、視力が1.0以下だと一等航海士になれない。太宰治、坂口安吾の作品を『日本文学全集』を読みふける孤独な高校生でした。



人と接するのが大嫌いだったので、知り合いに会わずに済む京都の大学を受験したんです。でも落ちて、1年浪人して大学に入ったけれど、そこは学生運動で勉強ができる環境ではなかった。近くの大学で社会学なるものを勉強しはじめて、1年だけまともに大学に通って、2年、3年は1日も通わずにアルバイトをして、5年生までかかって卒業しました(笑)。
私の人生はまさに「社会学」ですね(笑)。人とのかかわりを社会で勉強しましたし、人生も勉強させていただいた。旅行会社に就職を希望していましたが、不況でうまくいかず、最終的には小さな貿易会社に就職することになるんです。そのうちに新婚旅行でディズニーランドを見に行って、初めてディズニーと巡り合うわけですね。

――それがディズニーとの最初の出会いなのですね。


鎌田洋氏: それから日本に戻ってきても、なかなか仕事に燃えなかった。どちらかというと商社というのは数字や売り上げを達成していって、みんなでお酒を飲んで「やったやった」みたいな感じの生活で、どうも定年まで勤め上げる自信がなかったんです。
それでディズニーのことがパッと思い浮かんで、「ああいう仕事っていいな」と。もともと人をびっくりさせるようなことが好きだという本来の性格があるので、ディズニーはぴったりだと思えたんですね。ディズニーには何かまやかしではない何かがありそうな感じがしたんです。

著書一覧『 鎌田洋

この著者のタグ: 『価値観』 『感動』 『心』 『ディズニー』 『インスパイア』 『劇場』 『自由』

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