「感動」と「インスパイア」で人生のエンジンをかける
1950年に宮城県に生まれ、大学卒業後に商社、ハウスメーカー勤務を経て、1982年にオリエンタルランドへ入社。カストーディアル(清掃部門)に8年在籍し、初代ナイトカストーディアル・トレーナー兼エリアスーパーバイザーとして、ナイトカストーディアル・キャストを育成する。その後、デイカストーディアルにて顧客とのかかわりを学び、ディズニー・ユニバーシティ(教育部門)にて教育部長代理として、オリエンタルランド全スタッフを指導、育成。1997年、フランクリン・コヴィー・ジャパン代表取締役副社長を経て、ビジョナリー・ジャパンを設立。ディズニーで培ったスキルを生かし、セミナーやコンサルティング事業を成功させておられます。またビジネス書の著者としても著名で、著作として『ディズニー そうじの神様が教えてくれたこと』『ディズニーの絆力』などがあります。鎌田さんに、本とのかかわりについて、電子書籍についてのご意見なども伺いました。
ディズニーで学んだことが、いまの仕事にも生かされる
――早速ですが、鎌田さんの近況をご紹介いただけますか?
鎌田洋氏: 仕事は研修会社で、主に講演とセミナー、それから時としてコンサルティングというにはすごく重いけれども、お店のモニターをやったりするような仕事の3つをしています。ビジョナリー・ジャパンの特徴は映像を使うところです。ディズニーというのはやはり映画の世界ですから、映像で啓発するスキルのある人たちとチームを組んで、モチベーションを高めるような映像を作ることもやっています。そこが普通の研修会社と違うところです。ディズニーの教育というのは、理屈よりも心から変えていくというスタイルが得意で、その時に映像を駆使します。
――理屈よりも心なのですね。
鎌田洋氏: 心を変えることによってその気にさせる。それが一番大事です。ディズニーの教育がいまの仕事にも生かされていると感じます。
――初めてカリフォルニア・アナハイムのディズニーランドを訪れた時「魔法にかけられたように感じた」とご著書で書かれていましたが、いまは鎌田さんご自身がその魔法を使われていますね。
鎌田洋氏: 「感動」と「インスパイア」をどうやって皆さんに提供できるかということをいつも考えています。講演やセミナーにおいてもその2つがないとだめだと。
「インスパイア」というのは人生に対する決意をもたらすこと、「感動」というのは心が動くことでしょう。ですから、その2つの目的のために何ができるかということで仕事を考えていく。会社自体の企業理念ももっとシンプルにするつもりです。普通の会社の経営理念を見ると「あれもこれも」とワーッと書いている。なかなか覚えきれないんですよ。頭で「ピン」とすぐイメージできるようなものがとても大事だと思います。
例えばAmazonのジェフ・ベゾスにしても、Appleのスティーブ・ジョブズにしても、理念はものすごくシンプルですよね。ウォルト・ディズニーもシンプルです。「We Create Happiness」、それしかない(笑)。そのために自分たちが何をできるかということを、それぞれのその職場の人間が考える。
よくよく考えてみると、私のセミナーも講演も、必ず心にじーんときてゴールする。自分は語り部として「ああ、これはよかったなあ」と、聴衆に感じてもらえればいいと考えています。それをどう自分の人生に生かしていくかは、本人の問題です。いいきっかけを作るというのが、私の役割だと思っています。
理念は極めてシンプルがベスト
鎌田洋氏: 「感動」と「インスパイア」。それで人生のエンジンをかける。エンジンさえかかれば、あとは自分で努力するのもいとわない。ディズニーの研修も実はそこに視点を置いていると思います。
――その2点、「感動」と「インスパイア」に集中するんですね。
鎌田洋氏: いま、振り返ってみると、ディズニーを卒業してから初めて分かることがいっぱいありますね。中にいた時と、外から見た時とは全然違います。「毎日が初演」という言葉がディズニーにはあります。ディズニーランドというのは、遊園地ではなくて劇場なのです。スタッフを従業員と言わないで「キャスト」と呼ぶ。「初演の緊張感を忘れるな」と全てのスタッフは教えられます。
私が所属してきたナイトカストーディアルという部門は、夜、パークを毎日大掃除しているわけですが、毎日が初舞台だから、夜、徹底して大掃除をすると。世間をアッと言わせるがために、サービスの基本そうじをするというレベルではなくて、毎日が新鮮であり、毎日が初舞台であると、そのつもりでやりなさいという意味がある。「We Create Happiness」に、全てがリンクしていく。これがやっぱりディズニーのすごさですね。
就職に失敗して商社へ、新婚旅行でディズニーと出会う
――鎌田さんは宮城県のご出身ですね。
鎌田洋氏: 宮城の田舎の出身です。栗駒山麓のふもとで育ちました。春になるとレンゲソウの紫色の花が咲く。その中にあおむけに寝て、青い空を見て、そして未来にワクワクする期待を持っていた。それが私の幼少のころですね。高校生のころは、一等航海士にあこがれていて、最初は商船大学に入りたかったのですが、視力が1.0以下だと一等航海士になれない。太宰治、坂口安吾の作品を『日本文学全集』を読みふける孤独な高校生でした。
人と接するのが大嫌いだったので、知り合いに会わずに済む京都の大学を受験したんです。でも落ちて、1年浪人して大学に入ったけれど、そこは学生運動で勉強ができる環境ではなかった。近くの大学で社会学なるものを勉強しはじめて、1年だけまともに大学に通って、2年、3年は1日も通わずにアルバイトをして、5年生までかかって卒業しました(笑)。
私の人生はまさに「社会学」ですね(笑)。人とのかかわりを社会で勉強しましたし、人生も勉強させていただいた。旅行会社に就職を希望していましたが、不況でうまくいかず、最終的には小さな貿易会社に就職することになるんです。そのうちに新婚旅行でディズニーランドを見に行って、初めてディズニーと巡り合うわけですね。
――それがディズニーとの最初の出会いなのですね。
鎌田洋氏: それから日本に戻ってきても、なかなか仕事に燃えなかった。どちらかというと商社というのは数字や売り上げを達成していって、みんなでお酒を飲んで「やったやった」みたいな感じの生活で、どうも定年まで勤め上げる自信がなかったんです。
それでディズニーのことがパッと思い浮かんで、「ああいう仕事っていいな」と。もともと人をびっくりさせるようなことが好きだという本来の性格があるので、ディズニーはぴったりだと思えたんですね。ディズニーには何かまやかしではない何かがありそうな感じがしたんです。
ディズニーに「賭けた」からこそ、いまの自分がある
鎌田洋氏: 特にうわさで聞いても「ディズニーってすごい」というのがあったので、「どうしても入りたい」と思った。それで心がはやって、「一刻も早く」と、勤め先に辞表を出して試験にチャレンジしましたが、全然だめで結局3年間のうちに5回チャレンジして受かりました。ディズニーに賭けたという(笑)。それでいまの私があるのだと思います。
――全てはやはり「行動あるのみ」だとお話を伺って思います。
鎌田洋氏: アメリカのディズニーに28歳で初めて応募したのですが、その時にアメリカのカード・ウォーカーというCEOに手紙を書いています。しかもタイプライターでね。これはブラザーのタイプライターで、ものすごい年代物です。それでアメリカに手紙を書いた(笑)。その1回しか使いませんでしたからいまでも新品同様です。英会話スクールの先生に添削してもらって、完成した手紙をアメリカに送った。そこになぜだか知らないけど、「採用されたら世界で一番美しいパークを作ってあげる」と書きました。「そこでは誰もゴミを捨てる人がいなくなるでしょう」って。それで当然ながら採用されてからナイトカストーディアルに配属された。つまり、自分の未来を自分で作っていたわけですね。
そうじの神様が教えてくれたこと
――ご著書の『ディズニー そうじの神様が教えてくれたこと』を拝読させていただきましたけれども、とても面白いですね。読んで魔法にかかったようでした。
鎌田洋氏: SoftBankの編集者の方がブログで連載していた「高志」という名前の青年の物語をずーっと読んでいて、7、8年前から私に「本を出してください」と言っていたんです。でも、「こういう稼業をやっていて本を出すやつはろくなものじゃない」と断ったんです。売名のために「商材」として本を出すということを売れない連中がやっているのを見ていましたから。
――それでずっと断られていたのですね。
鎌田洋氏: ところが、自分が60歳になった時に「ああ、もう60歳か」と。まだ私の気持ちは28歳のままだけれど、60歳になったし、「そろそろじゃあ……」っていうことで、やっと重い腰を上げて本を書きはじめたのです。その時に編集者に言ったのは「ノウハウは書きたくない」と。ディズニーのノウハウについては、先輩諸氏が既に書いているので、それを書いても意味がない。それよりもっと大事なエッセンスである「感動」や「インスパイア」が物語風に盛り込まれていないといやだと。編集者もよく理解してくれて、「では、そういう企画でいきましょう」ということになった。若い人もすっと読みやすい短編集にしましょうと。
この本には、私がナイトカストーディアルやカストーディアルの仕事の中で体験した、実話に基づいたフィクションが書いてあるのです。ノンフィクションだとあまりに悲しかったり、生々しいお話もあるので。これは『もしドラ』と一緒ですね。『もしドラ』もドラッカーの要素をそのまま紹介するのではなく、ところどころにドラッカーの言葉をちりばめているけれど、全体を1つの物語風にしています。とてもいい本です。ただ、『もしドラ』は長編なので少しハードルが高いけれど、『ディズニー そうじの神様が教えてくれたこと』は短編なので、中学生にものすごく読まれていて、山形の中学校の副読本になっているんですよ。Twitterでの反響はすごいですよ。もう、「感動した」、「感動した」というのがいっぱい来るんです。
電子書籍か紙か、自由な「選択肢」が増える時代へ
――ご自身の本の電子化については、どのようにお考えでしょうか?
鎌田洋氏: それぞれに一長一短がありますね。ボストンで知り合ったガイドの女性に名刺を差し上げた時、本の話題になって「電子でも読めますよ」と彼女に紹介したんですね。そうしたら「私はとってもアナログなので、インクのにおいをかぎながら、カバーをして本を読むのが私のポリシーです」とおっしゃった。それで、「なるほど、そういう人もいるんだ」と思いました。人それぞれに好みがある。私自身は最近Kindleで購入することが多いです。
――電子書籍をご利用されているのですね。
鎌田洋氏: 本は重いし場所を取りますよね。けれど、Kindleだと読みやすいし軽くていい。最近は吉田修一さんという作家の本を気にいって、見てみるといろいろあったので4冊ほど買いました。もちろん私の本もKindleで買ってあります。誰かに見せる時に「ほら、これだよ」とすぐ見せられるでしょう?私もKindleは最近始めたばかりなので、7冊ぐらいの本が入っているわけですが、実際7冊の本を持ち歩くというのはすごく難しい。本は本当にかさばりますよね。広い家に住んでいればたくさん本棚を作れますが。そういう意味ではこういった形で本の精神を持ち歩けるというのは便利です。
人には価値観があるから、自分の価値観に基づいて自由に選択すればいいと思います。本はもっと手軽に読みたい、もう少し安く読みたいという人は利用すればいいし、そうじゃなくて本の厚みの中に魂があるよと思う人は買って読めばいい。それは個人の選択だと思います。いろんな選択があることによって「自由」というものがあるじゃないですか。
――選択肢の多さが自由につながるんですね。
鎌田洋氏: 自由ですよ、例えば車が発明されたら、移動手段がもう1つ自由が増えたんですよ。飛行機という自由が増えたわけです。昔は歩くだけ、それからお馬さんにまたがる(笑)。その移動手段の自由度が広がっただけですよね。それは「本を読む」ということも同じだと思います。あるいは耳で聞くとか。いろんな選択手段があるわけで、電子書籍は自由をもたらす1つの手段、そういうふうに考えればいいのではないでしょうか。
全ての人がプチハピネスを手に入れられる時代へ
――今後も著作活動を通じて、どんな展望を描いてらっしゃいますか?
鎌田洋氏: いま私が書こうと思っているのは、すぐにくじけがちなごく普通の人たちが、ちょっとしたコツを知ることによって、小さなチャレンジとアクションでプチハピネスの爽快感や痛快感を味わえるような本を書きたいと思っています。
例えば、ハーバードを卒業した人たちの話や、授業の本はよく売れますよね。でもあれは一流のショーを見るようなものです。すごい人たちが世の中にはいっぱいいる。でも普通の人は「すごいな、自分はここまでの意志を持てない」とあきらめてしまう。何十億もいる人々が皆一流になったら息が詰まってしょうがない(笑)。でもささやかなプチハピネスを皆が追及しはじめたなら、全世界がよくなると私は思っています。「Tips(ティップス)」、これは「コツ」と言うんだけど、そういったものが手に入れられるような本を書きたい。たいそうな本は書きたくないですね。そういう本をこれから秋口にかけて書こうかなと思っています。皆があきらめてしまっていますが、「あきらめる必要はないよ」「自分ができるちょっとしたことからやりなさい」というメッセージを送りたいですね。名もない人たちが読んで励まされるような、そういう本を書きたい。これが私の夢ですね。
(聞き手:沖中幸太郎)
著書一覧『 鎌田洋 』