写真と文章で、「自分が気づいた面白いこと」を発信する
工場・団地・ジャンクション。日本の「ヤバい」景観を紹介している大山顕さん。お仕事の話をうかがっているうちに、紙の本の代わりではない電子書籍や、銀塩カメラの代用ではないデジタルカメラのあり方に話が及びました。
自分を「写真家」だとは思っていない
大山顕氏: 僕の仕事は団地や工場、土木構造物などのインフラを興味の赴くままに撮ることです。最近は東京都や首都高速道路株式会社、UR都市機構などから声をかけていただいて、お邪魔して写真を撮っています。その記事を『デイリーポータルZ』や雑誌に連載しています。
僕は自分を写真家だと思っていないんです。写真家というのは、アーティストだと思います。僕はそうではないし、でもドキュメンタリー志向でもない。団地がコレクションできないから写真を撮っているだけで、絵が描けたらイラストを描いていたかもしれないですね。心持ちとしては、資料として保存するという意味と、あとは「皆に実物を見てもらいたい」という気持ちがありますね。
――写真は、実際にその場所に足を向けてもらうためのきっかけの1つということでしょうか?
大山顕氏: そうですね。あとは写真と文章の組み合わせです。僕よりうまい写真を撮る人も、うまい文章を書く人もいっぱいいる。でも両方を組み合わせでやる人がいない。今は肩書を「"ヤバ景" フォトグラファー / ライター」としていますが、自分がやっていることにちゃんとした名前を付けたいと思っています。
「工場」や「団地」が気にならない人の方こそ不思議
――どうして「工場」や「団地」なんでしょうか?
大山顕氏: 僕が産まれ育ったのが千葉の船橋で、準工業地域なんですね。野山で遊んだ経験がなく、工事現場や工場街で遊んでいて、楽しいと思ったことが今も続いています。
僕以外の皆も、日常の中で何か気になることがあると思うんですが、見た3秒後には忘れてしまう。僕はそれをずっと気にしているタイプの人間というだけですね。心ない人は、僕のことを「団地や工場を利用しているだけだ」とか、「浅はかだ」とか言うんです。「浅はかで結構です、同じことをやってみろ」と思う。
「見て」「めでる」ことは、理屈を並べることよりも簡単だと皆思っている。でもそれは、大間違いです。「見る」ということは、すごく難しいことですよね。人は大人になるほど「見ない」。皆に工場や団地とかの写真を見せても、「ここ何?」とか「ここはどうしてこうなっているの?」と、すぐ言い始める。僕は「このピンク色はどうかしてないか?」みたいな話をしたいのに、そこを見ていない。意味とか歴史を知ると皆すぐ「見る」のをやめてしまう。見終わった後、あれが何色だったかどんな形だったかも全然覚えていない。
「見る」のには訓練が多分必要で、「理屈」を語ることよりも同じぐらい難しいことなのに、皆バカにしがちですね。
今は自宅も元工場
――どんなところで取材したり、記事を書いたりされていますか?
大山顕氏: 取材はいろんなところに行って、作業は全部自宅ですね。
最近元工場をコンバージョン(用途転換)のためにリノベーションした物件に引っ越しました。「ポンパドウル」というパン屋さんの創業の地ということで、川崎のそばにあるんです。
パンを作るラインが入っていたところを3つぐらいに区切って、完全に住宅としてリフォームされていて、快適です。コンクリートがむき出しなところに、白くきれいに二度塗りしてあるんですが、昔、パンを作る装置が釣って固定してあったようなコンクリートの穴が空いていたり、天井も3.5メートルぐらいと高いし、荒々しい感じが気に入っています。
――独立されてから、好きなことだけをやってこられた理由は何でしょうか?
大山顕氏: ご存じの通り、フリーのフォトグラファーやライターでは、本を書いた印税では食っていけないので、そんなに稼いではいないんです。ただ、Panasonicでずっと働いていたころに経験したことなのですが、入社後半年以上研修をやって「松下幸之助の思想」ということを学ぶんですね。
――そこで松下幸之助の思想を教え込まれるんですね。
大山顕氏: 実は当時、教えられた思想はほとんどわかりませんでした。「企業は社会の公器であって、お客さまの役に立ったから対価として、お金がもらえるのであって、お金をもうけようと思って企業活動をやってはいけない」ということを教わるんです。
そういうことは、ずっときれいごとだと思っていたんですけど、10年目に北京オリンピックで、北京にPanasonicのショウルームを作るというプロジェクトがあった。ショウルームなので、直接ものを売る場所ではなくて「企業の考え方」とか「商品のいいところ」というのを展示したりする。それで社内のいろんな人にリサーチをするわけです。そこでブランドのことをずっと考えている人たちと一緒に仕事をして、10年目にしてその意味がはじめてわかったんですね。
心底ひねくれものの僕がようやく「やっぱり企業はいいことをしなきゃダメだ」と思ったんです。そういうことを考えながら仕事をしています。