自分の命の価値は自らが考え、そして見出していくもの
―― 先生は普段、ゼミ生や学生とどんなふうに接していますか。
石黒浩氏: 例えば、僕は学生に「本当に自分の生きている価値なんてあると思う?」と質問しますね。たいてい面食らうのですが、ここに私が問いたい本質があります。つまり、「命の重さを人はどうやって感じているのか」ということです。あえて言うと、人が一人死んでも誰も気にしない。もちろん僕もその一人だと思っています。だから生きている価値は自分で見つけるしかない。人に頼るものではないという事なのです。生きている価値を残すために人は生きるんじゃないでしょうか。価値ができてしまったら、もう終わりだと思いますね。
――今の問いは、深い部分に人間に対する愛情を感じますが。
石黒浩氏: 安易に、「人の命には何もしないでも最初から価値がある」みたいな考え方を受け入れて、「価値がある」みたいなことを言うからいけないんだと思います。例えば、「自分は数学で百点を取れないけれど、隣の人が百点を取っている。」どちらに価値があるのだと問われたら、通常であれば隣の百点を取った人という風に考えられる。「すでに価値がある」と思うから、本当の価値が見えなくなった時にすごく不安になるわけですね。自分に価値があると思うということは、全員に価値があるという事になります。そうすると今度はその中で、価値の比較が始まるわけですよ。
全員、価値がないとした方が、生きやすいでしょう。あるとき高校生に聞かれたんですよ。「先生は生きる価値ってあると思いますか?」と聞くから、「ないよ。今僕も探してる最中」と(笑)。そうすると「安心しました」と答えます。みんな、小さい頃から、「あなたには生きる価値がある」と言われて育っていくわけです。「命は大切だ」と。でも自分の命がどれだけ大切なのかちっともわからないと言う。当たり前ですよ、「価値」は与えられるものではなくて、自分で見つけていくものなのですから。
百科事典や辞書をも「愛読」する
――学生時代はどんな風に過ごされていましたか。
石黒浩氏: 絵も描くし、本を読む時にはずっと読んでいました。最近印象に残っていて大好きな本の一つに、石黒一雄さんの『わたしを離さないで』という、クローン人間がテーマの小説があります。
――やはり、「人間」がテーマに扱われている本を読むことが多かったのでしょうか。
石黒浩氏: 特定のジャンルにこだわりはなかったのですが、太宰治とか、そういったものは比較的多く読んでいました。そういう読書を経て、百科事典まで読んでいましたね。
―― 辞書ですか!?
石黒浩氏: ブリタニカの百科事典が好きでした(笑)。百科事典が面白かったのです。地図帳も大好きで、だからソビエト時代のロシアの田舎町まで覚えていました。
――地図帳のどこに魅力を感じますか。
石黒浩氏: 地名がユニークだったり、そこに「人」を感じるから面白いかもしれないですよね。僕は、年によって色々なことに凝るんです。例えば親に、日記を付けろと言われた年――確か、小学校3、4年の時でしたが、2、3日で日記帳1冊分書いていました。だからいまでも実家にみかん箱に日記が何箱分も残っています(笑)。日記帳が2日か3日でなくなるんですよ。3日分位が1冊とか、長くても1週間が1冊になるとか、そんな感じです。
頭の中に溢れ出す言葉を書き出していく
―― どんな風に書かれるのですか。
石黒浩氏: いまでも本を書く時もそうなんですけれども、頭の中に言葉があふれるので、ただ書き出すだけなんです。ほっておいたらどんどんと出る。蛇口をひねったら出てくるみたいに溢れ出す。だから一瞬で書きます。1週間から10日位です。「このテーマについて書こう」と思ったら、大抵それほど苦労なく書きたいことが出てきます。
――執筆に入る時、スイッチの切り替えみたいなものはありますか。
石黒浩氏: うん、最近ちょっと切り替えが遅いかもしれないですけども、ありますよ。それは「何もしないでじっとする」ことですね。ちょっと時間をおくとスムーズに切り替えることが出来ます。
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