読書と音楽に明け暮れた青春時代
――常見さんは幼少期に、どのような読書をされてきましたか?
常見陽平氏: 幼いころから本が大好きで、母親は僕が欲しいと言った本があったら、必ず買ってくれるか図書館で借りてきてくれました。家や学校にあった図鑑をしらみつぶしに読んだりしていました。学研の学習漫画や江戸川乱歩が大好きで、江戸川乱歩の『少年探偵団』シリーズは多分、全部読んだと思います。
中学校2年生の時に筋肉少女帯がデビューして、オーケン(大槻ケンヂ)がオールナイトニッポンの一部に大抜てきされたんです。そのラジオがとにかくぶっ壊れていたのですけど。オーケンが面白い本を勧めてくれるんです。その時江戸川乱歩にはB面があるんだっていうことを知りました。幼いころに読んだ『少年探偵団』シリーズだけではなくて、『パノラマ島奇譚』とか『屋根裏の散歩者』とか『人間椅子』とか、エログロな乱歩があるんですよね。オーケンに勧められるままに読んで、すごく面白かった。同じ著者でもこんなに違うのかというのもあるし、エログロなんだけれども、そういえば少年探偵団にもそのにおいがあったということも両方感じたんですね。
――そのころから本を書きたいと思われていましたか?
常見陽平氏: 幼い頃からずっとです。特に影響を受けたのは、小学校後半から中学校入るあたりで、今で言う宝島社なんですが、「JICC出版局文化」みたいなものに触れた時でした。ちょっとロックっぽかったりとか、反社会っぽかったりとか。夢中になって読みました。あと『別冊宝島』で当時、オタクの本とか色々出ていて、そういう本のルポが面白かった。あのころ、ちょっと世の中を面白おかしく、かつ変な角度から掘り下げていきたいと思って、中学校位から社会学を勉強したいなと思っていたし、物書きかジャーナリストになりたいと思っていました。いや、その前も幼稚園の頃から七夕の短冊に「さっかになりたい」とか書いていましたけどね。
――学校ではどんな生徒でしたか?
常見陽平氏: 高校入ってドロップアウトしました。公立のものすごい進学校で、自由な高校だという話を聞いて、「東京の大学へ行きたいから僕はここに行くんだ」と思って、勉強して受けたらたまたま受かった。でも入って挫折しました。やはり天性の才能があるやつと金持ちが世の中にはいるということに気づいたんですよ。中学校まではあまり、天才、金持ちって可視化されない。それに、自由な学校って聞いていたけれど、結局皆受験、受験で嫌になりました。その後音楽と読書にはまる高校生活を送りましたね。
その時は受験勉強って茶番だと思った。全部暗記だし、皆同じ記述的な行動してて、バカじゃないのって思ったんです。だから、授業中は寝るか本を読んでいました。その代わり、図書館にある岩波新書は新しいのが入る度に読んでいましたね。後に教育のことも勉強して、受験には意味があるってことに気づいたんですけど、それと別冊宝島を読んで、物書きになりたいと思ったりしていました。あとは音楽ですよね。当時、バンドブームだったっていうのもあるけど、もう小学校の時から音楽が好きで、ラジオをとにかく聴いていて、CDのレンタルをしたり、たまに買ったりして、ロックな文化とか歌詞に触れていました。ロックを聴いてたから英語は得意でしたよ(笑)。
合理性と「あおり」が同居する文章の面白さ
――一橋大学に入学されてからも、文章を書くことへの想いは強まっていったのでしょうか?
常見陽平氏: あのころは『噂の真相』と『朝日ジャーナル』に影響を受けました。高校3年生の時に『朝日ジャーナル』が休刊になって、リアルタイムではあまり読んでいないけど、総集編が大学1年生か2年生の時に出たんです。それをアルバイトのお金で買いました。かなり左よりではあるんだけれども、これが時代を動かしてたメディアなのかと思って。書かれている内容に魂を感じたんですね。『噂の真相』も当時熱くて、反権力、反体制的なスキャンダリズムの追求というのは大げさで、今思うと笑っちゃう部分もあるかもしれないけれど、とにかく魂を感じました。
あと物書きとしては、大学のころにプロレス研究会に入って、会報誌を2年の時に作って学内ではやらせた。すごいくだらない、「誰々選手と誰々選手が乱闘」とか、そんなあおりなんだけど、くだらないことで皆が熱狂していくっていうことを学びました。中には堅いオピニオンものもやってみたりとかして、面白かったですね。世の中とプロレスしている気分でした。
今ネットのニュースだとか、本を書いていてもそうだけれど、こんなまじめそうな人がこんな下品なことに反応してくれるんだとか、逆に、下品な話題でも根っこの堅いところに反応してくれる快感っていうのはありますね。堅いのかいい加減なのか、自分でもよく分からないんですけど。
――ビジネスに関する見識については、やはり社会人時代に培われたものでしょうか?
常見陽平氏: 転機になったのは、社会人6年目、7年目の時、トヨタ自動車とリクルートグループとの合弁会社に出向して名古屋に行って、広報担当をしたんですね。そこで学んだことは、ひとつは世の中ってこういうことをニュースにするんだとか、こんなプロセスでニュースになっていくんだっていうのを学べたことと、その時の上司がメガバンクから転職してきた京大卒、MBAホルダーというエリートだったんだけど、めちゃくちゃ腰が低い素晴らしい人だった。その人から「ビジネスパーソンは、間違ってても良いから、AかBか意見を言って、その根拠を言え」ということを教えられたんですね。僕はそれ以前、しかられたくないがために、オプションをA、B、Cと提示して、上司に「決めてください」ということが多かった。そうじゃなくて「AかBかちゃんと決める。その代わり感情だけで言っていったらバカだということになるから、ちゃんとデータとファクトとロジックでやりなさい」という当たり前のことを徹底的にやらされた。そこで、論というのはどうすれば通るかが分かった感じでしたね。
――冒頭におっしゃった、話を「盛る」ことなく合理的に語る方法を学んだのですね。
常見陽平氏: 例えば、安易にアメリカに留学しようとか、ノマドワーカーになろうとかって危険だと思います。冷徹にまず現実を見ること。若者の雇用についても、皆髪を黒くして、リクルートスーツを着るという就活が嫌だとか、けしからんとか言うけれど、あれが100年続いてるということには何らかの合理性があるかもしれない。合理的じゃなければ変わっていくし、実際この10年くらい色々変わっています。だけど、変わってるようで、根っこの部分は変わってないところも多い。そういうことについて、「本当はどうなんだろう」という視点は大事だと思ったりします。
著書一覧『 常見陽平 』