自分の生き方を書けば、本は自然にできる
池内了さんは、宇宙の生成や変化に関する学説に一石を投じた「泡宇宙論」などで著名な天文学者。最近では、学際的な「科学技術社会論」の研究に転じ、従来の学問のカテゴリを超える「新しい博物学」を打ち立てるための思索を続けています。文章の巧さに定評があり、宇宙論や科学的な思考方法に関する一般向けの著書も多い池内さんに、活動の近況、執筆の意義などについてお話を伺いました。
自分が経験できない世界を読む
――早速ですが、大学教授、また文筆家としての近況をお伺いしたいと思います。
池内了氏: 月曜から金曜までは大学の仕事がありますから、月曜日に逗子のマンションに来て、週末は京都の自宅に戻っています。週末は決まって京都の自宅で集中して執筆しています。逗子では会議などに時間が取られてしまいますから、短時間でも空いている時にできる校正などをしています。
――ご自宅の書斎はどのような感じですか?
池内了氏: 本だらけの部屋です。『わが家の新築奮闘記』という本にも書きましたが、自宅はログハウス風に作っていて、本棚は一応取り付けたんですが、すぐいっぱいになってしまいました。数えたことはありませんが、数千冊はあると思います。
――どのような本が多いのでしょうか?
池内了氏: やはり科学本が多いです。科学トピックスに関わる本がほとんどで、そのほかにも色々なところから送ってくれる本がたくさんあります。例えば、講談社の『選書メチエ』は毎月送ってくれるし、岩波新書からも送られています。全部は読めませんが、面白そうなのがあると読んでいます。
文学も好きで、幅広く読んでいます。ただし、全く新しい文学に食いつくかというとそうでもなくて、井上ひさしや藤沢周平など、定評がある、絶対間違いない人は安心して読めます。村上春樹の『1Q84』は読みました。僕はベストセラーで売れている時は読みたくなくて、みんながあまり言わなくなった時に読んでみようかと思うのです。
――読書の楽しみはどのようなところにありますか?
池内了氏: 読書は新しい発見があるので面白いです。それは色々な意味での発見で、文学でも新しい世界や、人間の色々な生き方があって、その中に何か意味を見出すとか、人間がどれだけ苦労をしてきたかなど、あるいは人がどのように情愛を持って生きてきたかなどを含めて、人間の豊かさのようなものを感じます。自分が経験できない世界を読むことによって追体験するということでしょうか。
――書店にもよく行かれますか?
池内了氏: そうですね。行けば1万円や2万円と、まとめて買います。ついつい手が出てしまいますから、本屋に行くのは危険です。大学の環境は非常にいいのですが、ただ本屋が遠く、都心に行かないと大きな本屋がなく、毎週のように行くわけにいかなくて、たまに行くとついたくさん買ってしまうのです。
――書店で、手が伸びる本はどのような本でしょうか。
池内了氏: 科学本は、自分が知らない世界が書かれている点で魅力的です。難しい本を買っても分からずに困ることもあるけれど、あまり読んだことのないテーマか、しっかり解説してある本を買います。逆に言うと、人間は知らないことばかりで、自分が知っていることは、大したことではないのだと思っています。
ずっと消えない、文学への興味
――本は小さな頃からお好きでしたか?
池内了氏: うちは僕が6歳の時に父が亡くなり、家族は母と、僕を含めて子どもが4人。姉が2人と兄が1人で、僕は末っ子ですが、貧しい家庭だったから、自分で本を買ってもらった記憶はあまりなく、本は兄や姉などが読んでる本を借りて、後から読むぐらいでした。それと、岩波の少年文庫を全巻持っている友達がいたので、よく借りていました。
ただ、割りと僕は活発な子どもで、外で遊ぶ方が好きでした。母は外で働いていて、僕が一番初めに家に帰ってくるわけですが、無人の家に1人でいてもしょうがないから、友達と野球をしたり、かけっこをやったりしていました。テレビもなかったから、色々な遊びを自分たちで工夫していました。
――理系の学問に興味を持ったきっかけはどういったことでしたか?
池内了氏: 僕には4つ上の文学者の兄がいるのですが、年が離れているので、相撲やかけっこなど、何をしても負けるから、何か勝つものはないかという風に色々調べてみると、兄は数学と理科に弱いことが分かりました。数学と理科をやれば兄に勝てると思い、高校時代に理系に進むことを決めました。ノーベル賞をもらった湯川さんに憧れたというのもあります。でもずっと小説は好きでした。小学生の頃は、シャーロック・ホームズなど、兄が持ってきてくれた本を色々読んだりして、その後も文学を楽しみながら、物理の勉強をするという少年時代でした。大学時代には、小説を書いていたこともありました。
――どういった小説を書かれていたのでしょうか?
池内了氏: 当時書いていたのは遊びのようなもので、あまり覚えていませんが(笑)、短編小説を書いていたような気がします。
本を書くことは、反省の連続
――池内さんは、科学について分かりやすく一般向けに本を書かれていますね。
池内了氏: 僕が本を書き出したのは、40代になってからです。それまでは、研究者として実績を残さねばならないというので、研究の方にほとんど集中していました。短い無署名の文章を岩波の『科学』の編集の方に頼まれて書いたり、朝日新聞で「科学を読む」という欄を7、8年続けて書いたりしました。40歳を過ぎてから本を本格的に書くようになりました。一番初めに出したのは『泡宇宙論』ですが、これは僕の同級生がやっている海鳴社という出版社で、その友達から「出さないか?」と言われて書いたのです。文章が書ける科学者は少ないということもあると思うのですが、それから岩波やほかの出版社から声が掛かるようになりました。初めは「宇宙」や「科学」という名が付く本ばかり書いていたのが、だんだん科学評論、科学と文学をつなぐものになり、対象もどんどん広がっていきました。
――本を書かれる時に心がけていることはありますか?
池内了氏: 多くの人に読んでもらうためには、分かりやすく、かつ誤解のない文章で、明確に分かる文章の方がいいですから、普通のおばちゃんや、うちの娘などを想像して、「こういう話し方だったら分かるかな」と考えながら書いています。まだ文章としては硬いとか、もっと理解をしやすいような書き方があるんじゃないかなどと、書いてから反省することもあります。いったん書いたらもう直せないから、次の本でそれを活かすようにしています。今が完成形ではないし、いつも反省することがあるので、まだ自分が満足する本はないような気がします。
自然の流れで本を書いてきた
――執筆はどのような過程で進められますか?
池内了氏: 僕は、文章に取り掛かるまでに時間がかかる人間で、じっくり発酵するまで頭の中で考えています。でも、あまり綿密な執筆計画を作るわけではなくて、初めにだいたいの章立てを考えてから、思いついた流れで書いていきます。書く前に考えたことが基層になっているのでしょう。
――本を作られる時は、編集者の方とどのようなやり取りをされますか?
池内了氏: 中身に関しては、ほとんどやり取りはしません。体裁や、色々な文章の中からどれを採用するかなど、そういう点に関しては編集者の感覚が大事だから、その判断は任せます。自分が書いたものは全部残したいという思いがあって、結局自分では捨てられないので、編集者の目を通してやってもらった方が、こちらとしては心が休まります。編集者から「こっちの方がいいですよ」と言われたら、それはしょうがないと思えます。『疑似科学入門』も、『パラドックスの悪魔』も、もっとたくさん書いていましたが、編集者の意見を取り入れて何章かを削りました。『お父さんが話してくれた宇宙の歴史』という絵本を書いた時も、岩波の編集者は「こういう書き方はまずい」「こういう表現の方がいいんじゃないか」ということや「分かりにくいから、ここは全面的に書き換えてほしい」とまではっきりと言ってくれて、いい編集者だったと思いました。言われた時は腑に落ちませんでしたが、自分で読んでみて「書き換えた方がいいな」と納得しました。だから、編集者は書き手の気持ちをあまり忖度し過ぎない方がいいのかもしれません。
――様々なテーマで本を出されていますが、次々に新しい構想が出てくるのはなぜなのでしょうか?
池内了氏: 自然な流れだと思います。同じことをしているとマンネリになってしまいますが、たまたま、そういう時に、新しいことについて声を掛けてくれる人がいるんです。だから、今あるのが絶対正しいという風に固執しないで、流れに任せているためでしょうか。「なるようになる」という言い方もあります(笑)。僕がテーマとして扱ってきた宇宙自身が非常に大きなスケールのものだし、ちまちましていてもしょうがないという感じもあります。
電子書籍は3次元、そして4次元に
――電子書籍についてもお伺いします。池内さんはご自分の本が電子化して読まれることに特別な思いはありますか?
池内了氏: 僕自身は、読まれる分においては、どんな読まれ方でもいいと思っています。ただ、僕の個人的な趣味でいえば、紙の方が好きだし、電子書籍はなかなか自分の頭の構造と合わない気もしています。個人の好き嫌いとは別に、読者が僕の本を電子書籍で読むか、紙で読むかは、どっちでもいいことで、とにかくたくさん読んでもらうことが大切なのです。
――紙の本の方が優れていることはどのようなことがありますか?
池内了氏: 例えば、教科書は紙でないとだめだと思います。線を引いたり書き込んだり、行ったり戻ったりが簡単にできなければいけません。人間というのはアナログ的な認識をしていますから「だいたい本のこの辺りに書いてあった」などと覚えているわけです。参考書類は横に置いて、また次の本を置いてという風にたくさん並べながらやった方がいいと思います。
――電子書籍の可能性にはどのようなことがあるでしょうか?
池内了氏: 僕は図鑑を監修したこともありますが、きれいな写真を使うものは電子書籍だと非常にいいと思います。例えば『泡宇宙論』だと、泡が動いていくような動画なども入れたり、星ができるまでの絵を順に並べて動くようにしたり。だから、電子書籍は単純に紙の本を電子書籍にすればいい、というものではない気がします。紙ではなかなかできないことをプラスアルファして、2次元ではなく3次元的な、あるいは時間を入れた4次元というような工夫をすればもっと豊かになるはずです。文章は同じ内容でも表現形としては違うものになる可能性がありますし、そうするべきだと僕は思っています。ただ、僕がそのような本を作るのに協力しろと言われた時に、協力するかどうかは別ですが。
小さい頃からテレビを見ている人たちは、動画などを自由に扱いますし、研究発表の時にも、PowerPointを上手に使います。絵が動いたり、クローズアップになったり、遠景で見たりという、そういうセンスに若い人は優れている部分があると思うので、そういう形態で作っていくのが合っているのかもしれません。僕は文章で感動を与えられるものを目指したいし、それが一番いいものだと思っていますが、動きも含めた本ができるのも又面白いのではないかとは思います。
本の存在を知る方法を確立すべき
――電子書籍の登場で出版業界はどのようになっていくでしょうか?
池内了氏: 今の出版業界は新書戦争が長い間続いていて、やたらと数が出ていますが、あれだけ数が出ていたら、どれだけいい本が出ているのかも分かりませんし、大したことがないものもたくさん出ているだろうと思います。だから本を慎重に選ばなくてはいけませんが、選ぶにしては数が多過ぎて時間が足りないし、置くスペースがないから、返本もどんどんしていくことになる。無駄なことをしているな、という感じがしないでもありません。
電子書籍は書店を通さなくてよいのがメリットですが、本を探すのに電子的に本がズラリと出てくるようになるので、人々がその本をどれほど知ることができるか、ということ重要だと思います。本屋の場合は手に取って見ることができるのですが、リストをずらずらと並べてあるだけでは、なかなか良い本を見つけることができません。本屋での立ち読みのように、WEB上で立ち読みできる要素を取り入れないといけないと思います。本を買う時は、いつもテーマを持って探すわけではなくて、漠然と何か面白そうなもの、という探し方もありますから、その時にどれだけヒットするか、どれだけ選んでもらえるようにするかが工夫のしどころです。ですから、そういった意味でも電子書店の役割と工夫を考えないといけません。
――本作りにも、書店作りにも、電子書籍ならではの工夫が必要ということですね。
池内了氏: 電子書籍になると、多様な内容の本ができやすくなります。例えば、1つのテーマで、「大人用」「子ども用」ということもできるかもしれません。電子書籍の出版社はそのようにバラエティに富んだものを準備して、それをどう読ませるか、どう組み合わせるか、などを考えることが必要になるでしょう。他方、紙の本には紙の本の意味があるわけで、紙の持っている雰囲気というのを大事にしなくてはなりません。ですから、紙と電子は住み分けが必要なのだと思います。
「サイエンス・ディテクティブ」を描きたい
――最後に、今後の展望をお聞かせください。
池内了氏: 僕は来年の3月に、大学の理事の任期満了の時期を迎えますが、その段階で、公職に就くのはやめようと思っています。僕自身は、宇宙論の研究者を7、8年前に辞めて、科学技術社会論という新しい分野に取り組み始め、その分野での実績を残さないといけないと思っていますので、科学技術社会論のきっちりとした本をライフワークとして出したいと思っています。すでにみすず書房と約束しており、3巻ぐらいで出そうと思っていて、今一生懸命まとめています。宇宙の本をたくさん書いてきて、「科学と社会」に関してはあちこちで書いてきましたが、今までは断片的だったので、1つの集大成としてそれをまとめ直す作業です。あとは小説にもチャレンジしようかなと思っています。
――どのような内容になる予定ですか?
池内了氏: 1つ考えているのは「サイエンス・ディテクティブ」、科学探偵です。『ガリレオ』シリーズはこの前テレビでもやっていましたし、僕も読みましたが、かなり高度な科学知識を使っています。僕はあれほどの科学の知識は使わずに、科学をアナロジーとして使うということを考えています。アームチェア・ディテクティブ、安楽椅子探偵のように、科学に関わるヒントから、現実に起こった事件を解決するような話ができないかと思っています。人間は誰でも1冊の本は書けると言われますが、さらに70代は自分の人生を見直す本、自分の生き方を書いていきたいと思っています。
(聞き手:沖中幸太郎)
著書一覧『 池内了 』