走り続けることで、新しいものが見えてくる
小川孔輔さんは、マーケティングを研究、指導する経営学者です。総合的なテキスト『マーケティング入門』は、日本における同分野の教科書としてスタンダードになっています。そのほか、個別企業へのインタビュー、リサーチをもとにした論文や書籍、経営者の評伝の執筆でも活躍されています。幼い頃から本に親しみ、著者として「書き続けること」を重視する小川さんに、執筆へかける想いをお聞きしました。
仕事と趣味、スケジュールは常に埋まっている
――普段のお仕事の内容についてお聞かせください。
小川孔輔氏: ここにある僕の手帳を見てもらえば分かりますが、仕事や遊びの予定が詰まっていてぐしゃぐしゃになっています(笑)。
――きれいに整理されていますね。
小川孔輔氏: 仕事の種類を色分けシールで分けています。黄色が授業や学生指導など、学校に関係する仕事で、マネジメントはオレンジ。また今は、日本マーケティングサイエンス学会の代表理事、学会長をやっていて、ブルーがその学会関係の仕事です。それから赤が野菜や花に関する仕事、グリーンがコンサルです。あとは自分の趣味であるマラソンで走った距離を書いています。走り終わった後、パソコンでエクセルに転記して、今日まで年間でどのくらい走っているか分かるようになっています。ちなみに今日で1400キロぐらいです。
――全く休みがないように見えます。
小川孔輔氏: 空いていると仕事を入れてしまいますから、休まないですね。土曜日、日曜日は比較的、休みが多いのですが、ほぼマラソンをしています。去年は41レース走り、東京マラソンの後、1週間おいて京都マラソンに参加するという過密スケジュールもありました。またプライベートで走りに行った時も、そこで遊んだり、仕事をしたりしています。
本を「ツケ」で買った少年時代
――読書との関わりを含めて、幼少期のお話をお聞かせください。
小川孔輔氏: 僕は秋田県の能代市という人口が6万人ぐらいの街で生まれて、家は新興の呉服屋でした。近くには一丁堂さんと鴻文堂さんという2軒の本屋があり、いつもツケで本を買い、後で父親が払っていました。そのため、小学生、中学生の頃、両方の本屋さんで、並んでいる本を自由に持ち帰ることができ、とても幸せでした。サインすらいらなくて、「孔輔ちゃんが来て、なんとかっていう本を買っていきました」と家に電話がかかっていました(笑)。この2件の本屋さんにとって、僕は最大の読者だったと思います。
――お父様には、本をたくさん読ませたいというお考えがあったのでしょうか?
小川孔輔氏: 親父は本好きでした。特に歴史ものが好きで、吉川英治の剣豪小説や歴史小説が親父の寝室にはずらっと並んでいました。親父は小学校しか出ていなかったので、知識を得たい、勉強したいという気持ちがあり、東京電機大学の夜学を出てから三菱重工に勤め始めました。ですから、子どもたちにも勉強させたかったのでしょう。
僕は中学校から高校生の頃はだいたい、年間100冊読んでいました。1週間に2冊ぐらい読んでいたので、親は、当時で年間15万とか20万ほどのお金を書籍に使っていたと思います。ちょっとしたお稽古事以上でした。
――どのような本を中心に読まれていましたか?
小川孔輔氏: 世界文学全集、日本文学全集を、いわゆる古典に近いものから読んでいけば、定番の作家は全部入っていますので、1番から順番に読んでいました。外国ではドストエフスキーやパステルナークなど、ロシア小説が好きでした。ロシアの小説って長くて複雑で、家系図が入っていたりしますが、そういうところが好きで、実は自分の『しまむらとヤオコー』という本にも家系図を入れたんです。
ちゃんと分かっていたかどうかは、今考えると怪しんですが、細かいところは気にしないでどんどん読み進め、文豪といわれる人たちが書いた定番の小説は、高校までに全部読み終えてしまいました。大学生になると、芥川賞と直木賞の受賞作品を読み、どちらかというと、いわゆる大衆文学に興味が向きました。直木賞の作家は今でも読んでいます。ミステリー系はあまり得意ではなく、エンタメ系のものをよく読みます。本当にお恥ずかしい話ですが、大学院生の時は経済学・経営学に携わっていましたが、持っている本は小説の方が多かったです。古本屋さんにもよく行きました。
――蔵書もかなり多いのではないですか?
小川孔輔氏: 1980年にアメリカへ留学したので、全部古本屋に売って、ゼロになりました。僕は読書家ですが愛書家ではありません。ものすごい量を読むので、やっぱり捨てる本はすごく多いです。BOOKOFFの坂本(孝)さんとは友達ですが、BOOKOFFが出てくる前は本当に大変でした。どんどん買って、置くところがないので捨てたり売ったり「ところてん式」です。
著書一覧『 小川孔輔 』