小さな仕事の積み重ねが、次につながる
高橋伸夫さんは、経営学者として、日本企業の組織、人事、賃金体系などの実態を分析する学術上の業績を重ねられ、また一般向けの書籍でも活躍されています。本、そして電子媒体に関するお考えを、東大教授として指導するゼミの講読、研究における電子ジャーナルや原書の探索、書籍の執筆や編集者さんのエピソードを踏まえ、お聞きしました。
ゼミはコミュニケーション重視
――大学でのお仕事についてお聞かせください。
高橋伸夫氏: 大学では、大教室の講義と、大学院の授業とゼミをおこなっています。東大の場合、ゼミは「2年継続にしてくれ」と指定することが可能ですので、2年継続のゼミの学生がいます。東大の経済学部は、社会に出たあとに同窓の連中に会うと「どこのゼミだった」と大体聞くんです。それがある意味アイデンティティになっているところがあります。
――ゼミの授業はどのように進めるのでしょうか?
高橋伸夫氏: 経済学のゼミは、だいたい輪読をやるもので、テキストを読むことがゼミでのメインの仕事となるのですが、私は、それはちょっと違うなと思っていて、基本的にはコミュニケーションをちゃんと取る授業にしようと思っています。ゼミ生も入る時にちゃんと面接をやって、面接にはゼミ生も参加させるスタイルに変えました。私も最初の頃は普通に輪読をやって、割と人気のあるゼミだったので、人もたくさん来たんです。何年か経った夏休みに入る前くらいに、私の隣に座っていた3年生が、同じ3年生のレポートを聞いている時に、「あいつの声を今日初めて聞いた」って言うんです。飲み会をしても参加しない人もいるし、ゼミ中に発言しない人もいる。これはまずいと思い、ゼミ中に最低1回発言しないと欠席扱いにすることに決めました。また、発言する時は、ただ自分が言いたいことを主張するんじゃなくて、前に発言した人の話を継いでいくやり方をしてくれと言っています。プレゼンも、表現の仕方1つで印象が全然変わりますから、それぞれの人が自分のレジュメのスタイルを作ってくれればいいなと思っています。毎週飲み会もありますが、私が一番出席率が高く、ゼミの時間より飲み会の方が長かったりします(笑)。
――コミュニケーションを重視することで、ゼミの雰囲気は変わりましたか?
高橋伸夫氏: ゼミでも「キャラが立つ」ことが結構重要なんです。キャラクターが分かると皆いじってくれて「君はこういう発言をするんじゃないの」といったフリがある(笑)。パーソナリティといったものが分かってくることで、雰囲気も変わってきます。
――コミュニケーション能力は就職でも重要になりますね。
高橋伸夫氏: 就職だけではなく、普通に生きていくのにも必要なので、どこかで身に付けなくてはいけません。東大生の場合、学力的に問題があることはほとんどないので、問題があるとするとコミュニケーション能力かなという気がします。コミュニケーションをとらなくてもいい職業もあるのでしょうが、学者でも、そんな人はめったにいません。
学生のディスカッションで新たな発見
――ゼミではどのような本を読み進めていくのでしょうか?
高橋伸夫氏: 前期はこれから出る本、後期は古典という風に大体決めています。これから出る本というのは、私が編集している新世社の『ライブラリ経営学コア・テキスト』シリーズの本の原稿で、私が書いた本もありますが、今は若手の研究者が書いた本の原稿が中心です。編集する前の段階の原稿を学生に読ませると、「この用語の使い方がおかしい」「この図はおかしい」などと指摘してくることもあります。その意見をメモして、私の意見も足した上で、書いた本人にコメントとしてまとめて送ると皆だいたいショックを受けます。
古典は原語で読むこともありますが、英語で読むと英文解釈の時間になってしまうので、学生には、翻訳されたものでいいから読んでおいてくれということにしています。古典の良いところは、経営のゼミにいた人ですと、誰でも名前くらいは聞いたことがある本なので、同窓会などでOBやOGに会った時も、会話が成立するということです。有名だけど1人で読んでみようと思えないような本をわざとピックアップして、10人から20人くらいで読んで、ゼミの半分くらいの時間をディスカッションにあてています。
――学生のディスカッションで、ご自身も新たな発見をされることがありますか?
高橋伸夫氏: 意外な発見がありますね。学生の話を聞いていると、「今まですごく難しく考えていたけど、意外と簡単なことなのかもしれない」と思うことがあったり、最後の落としどころまで聞いて、「ひょっとすると、本当にこの本はそういう意味で書いていたのかもしれない」と思ったりすることもあります。
私のゼミは1学年10人。2学年20人で議論して、司会が取り仕切ったりもしますが、それなりにトレーニングになっているところがあって、終わった後に学生が「今日は盛り上がらなかった」と反省もしています。内容の説明が上手くいったかどうかというのはもちろんありますが、それ以前の問題という場合もあって、本の内容とは別のところでも面白いなと思うことがあります。
受験勉強から、好きなことだけ学べる勉強へ
――北海道のご出身で、小樽商科大学を出られていますね。
高橋伸夫氏: 私は大学入試までは理系でした。田舎に住んでいたので東京に出たくて、それを実現するのに一番良い方法は、東京の良い大学に合格することでした。当時は物理学者になりたかったこともあって東大の理Ⅰを受けたのですが、2次試験が終わり、帰り際に門の所で模範解答をもらった時に、最初の簡単な小問を間違えていたことが分かりました。「これは才能がないな」と思い、案の定、入試に落ちたので、小樽商大に行くことになりました。
――大学時代はどのような生活でしたか?
高橋伸夫氏: 入学当初は商社マンになろうと思っていましたが、授業はあまり出ていませんでした。グリークラブという男声合唱団に入っていましたが、それもそんなに一生懸命やるわけでもなく、学校ではただ話してるだけという生活をしていました。語学の授業も含めて1ヶ月に2つしか授業に出なかったという記録まであり、先生の顔もよく分からないような状態でした。
――大学院に進まれることを決めたのは、どういうきっかけですか?
高橋伸夫氏: 3年からゼミが始まるのですが、その直前に、図書館で世界銀行などの募集要項を見たところ、修士号が必要と書いてあったので「これからの時代は修士号が要るのか」と思い、ゼミの面接の時に「君は何がしたいんだ」と先生に聞かれ、「これからの時代は修士号くらいは要るんじゃないかなと思う」という話をしました。ゼミに入ってすぐ「お前は学者志望なんだろ」と教授に言われてしまい、勉強しなきゃいけない雰囲気になったので、あまり気が進まないまま始めましたが、実際に勉強をしてみると本当に面白かったのです。高校までの勉強は受験のために不得意科目を潰す勉強の仕方で、どちらかというと得意なものより不得意なものに時間を使っている。でも大学の勉強は、好きなことだけ勉強していればいいということに気付きました。
――筑波大学の大学院ではどのような勉強をされましたか?
高橋伸夫氏: 筑波大では社会工学研究科に入りましたが、理系の頃に戻ったように、数学ばかりの生活が待っていました。経営学でも数理系アプローチが専門になりました。修士論文は、はじめは日本語で書いていたのですが、提出した途端、英語に直しなさいと言われ、言われるままに英語に直して、国内の英文のジャーナルに投稿して掲載してもらいました。これが最初の論文です。ただし、日本の経営系の学会で発表しても、数理系の内容なので、壇上でコメンテーターの大家の先生と生意気にもやりあったり、日本語で書いた論文が国内誌からリジェクトされたりと散々でした。それで、指導教官から英語で書いた方がいいと言われました。こうして英語で論文を書くようになり、悪戦苦闘して何本も英語で書いて投稿し、海外のジャーナルにも何本か載り始めました。なので、博論も英語で書きました。最初の本も英文で、シュプリンガーという出版社から出しました。
著書一覧『 高橋伸夫 』