経済は「人を豊かにする」ための手段である
松谷明彦さんは、マクロ経済学を専門とする経済学者です。大蔵省主計局という財政政策の中枢で活躍。辞職して政策研究大学院大学で教職の道へ進まれてからは、とくに人口減少社会についての研究に注目が集まり、新しい時代に適合した社会システムなどについて盛んに発言されています。松谷さんに、東大、官僚時代のエピソード、エコノミストとしての問題意識、そして本の執筆にかける思いなどについてお聞きしました。
「終戦の日」に出生
――大蔵省でご活躍後、研究の道に入られていますね。
松谷明彦氏: 13年半教授をして、2011年から名誉教授になりましたが、その前は大蔵省で主として主計局という予算編成を行う部局にいました。大学の先生には、役人を定年退職した後になる人が多いのですが、私の場合は、定年より10年ぐらい前に辞職し、政策研究大学院大学の教授になりました。大蔵省はまさに日本の経済社会のかじ取りをするわけですから、責任は大きいですが実に面白く、血湧き肉躍る仕事でした。しかし、一生に1つの仕事しかやらないのは嫌で、いわゆる官僚とは別の仕事をやろうと研究の世界に飛び込みました。
――政策研究大学院大学を選ばれたのはどうしてだったのでしょうか?
松谷明彦氏: 退官後に大学の先生になる場合、役所の方が大学と話をつけて、いわばあっ旋みたいなことをしてくれますが、私は自分で辞めましたから、大蔵省はそんなことはしてくれませんでした。自分で学校を探したのですが、私が辞めようと思った年にこの大学が設立され、門戸が広く開かれていました。それは運が良かったと思っています。
――ご出身は大阪ですね。
松谷明彦氏: 大阪で育ちましたが、生まれたのは鳥取です。鳥取は遠い親戚を頼って疎開していました。生まれたのが昭和20年の8月15日、終戦の日なんです。ちょうど陛下の玉音放送があったあたりから母親が産気づいて、午後4時くらいに生まれました。父も母も関西出身ですから、高校1年までは大阪で育ちました。
――学生時代はどのようなことをするのがお好きでしたか?
松谷明彦氏: 私はテニスが好きだったのですが、中学の時はクラブ活動がなく、自分で好き勝手にやっていました。高校ではテニス部に、大学では軟式庭球部に入り、ずっとテニスをやっていた感じで、遊んでばかりいました。
――とは言え、東大に入るため、努力もされたと思いますが。
松谷明彦氏: 昔は多少遊んでいても入れたんです。今は、塾や予備校に通わないと解けないとんち問題のようなものが大学の入試に出て、普通に高校で勉強しているだけでは入れない。学生が可哀想だなと思いますし、非常に大きな問題だと私は思っています。高校の時に普通に勉強ができたら点数を取れるような入試であるべきだと思います。受験技術みたいなものを身に付ける時間に、他のことをすれば、もっと楽しい学園生活を送ることができます。もちろんさらに勉強したい人は勉強すればいいし、遊びたい人は学校の授業を聞きつつ遊べばいい。私たちの頃は塾なんてありませんでしたし、予備校は浪人した場合は行きますが、在学中から予備校なんて絶対あり得ないといった幸せな時代でした。
研究者志望から国家公務員へ
松谷明彦氏: 大学では、最初は日本史をやりたいと思い、文科Ⅲ類に入ったんです。でも入ってみると、なんとなく自分が思い描いていたのとは違い、定説にしばられているようなところが見受けられ、今から新しい何かを見つけていくという感じではなかった。だから本郷に進学する時に経済学を選びました。
――国家公務員になろうと思われたのはいつ頃でしょうか?
松谷明彦氏: 大学卒業時点では、大学院に行って、今やっているような学者の世界も良いかなと思っていたんですが、ちょうど私が卒業する昭和44年頃にいわゆる大学紛争があって、東大の入学試験がなくなり、大学院の入試もなくなったんです。就職活動をしてなかったし、むろん公務員試験も既に終わっている。当時は、同一学部の中なら他の学科を1年で卒業できる制度がありましたので、経営学科に学士入学し、その間に公務員試験を受けました。よく「学生運動があって自分の進路が大きく変わった」と言う人がいますが、それは通常自分の考え方が変わったということなのですが、私は、行くところがなくなったことで進路が変わりました(笑)。
――なぜ公務員、また大蔵省をお選びになったのでしょうか?
松谷明彦氏: ゼミの小宮隆太郎先生が、「経済学を勉強するのもいいけども、役所に行って学んだ経済学を実践するのも良い」と教えてくださって、しかも「行くんだったら大蔵省か通産省を目指しなさい」と言われました。霞が関の中で司令塔的なところに行かないと、政策立案のだいご味は味わえない。他の役所に行くと、結局、大蔵省とか通産省との調整に時間がかかって、自分でなかなか制度を打ち出せない。大蔵省と通産省ならば、思ったことが結構できるというアドバイスもあり、試験を受けることにしました。
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