電子書籍は本の「長さ」という概念を変える
――広告業界からアカデミックな世界に移られたきっかけは?
田中洋氏: 僕は、会社にいる以上は出世を目指さないとダメだと思うんです。目指さないとダメな世界ですが、自分が本当に目指したいかと考えたところ、ちょっと違うような気がして、それが会社を辞めようと思った理由の1つです。そういった時に、たまたま知り合いの城西大学の先生から、「来ないか」と言われたのがきっかけで、96年に大学へ移ることにしました。
――今度は研究の分野でまた一から。その当時はどのようなお気持ちでしたか?
田中洋氏: 教えることは自分としてはあまり抵抗がなかったので、割りとすんなり入りました。外から見ると大学の先生は、教える人、研究している人ですが、実は大学での大きな仕事は、アドミニストレーションの部分。あまり外から見えないので分からないですが、俗に雑務と呼ばれている仕事、例えば入試問題を作る、入試の監督をする、科目の編成を考えるといった仕事がたくさんあるわけです。学部長くらいになれば学部のあり方を考えるとか、もろもろの仕事、問題も増えてきて、そうした仕事に追われていると、自分が何をやっているのか分からなくなってくることもあります(笑)。
――大学のお仕事で、今、力をいれていることは?
田中洋氏: 冒頭にお話した、ブランドの本を書くことに力を入れています。自分としては、「体系化された完璧な本を作りたい」という気持ちがあるんです。以前、消費者行動論についての色々な知見をまとめた『消費者行動論体系』という本も出しましたが、僕は、まとめをするのが好きなんです。世の中には色々な知識がバラバラに散っていて、それを個々に研究されるわけです。それらの研究を1個ずつ見ていくのも好きだし、部分的な研究を自分なりにやるのも嫌いじゃない。でも、それを集めて全体がどうなっているのかを見てみたい、という欲望が僕にはあります。ブランドに関して言えば、ブランドとは、人間が生活し経済活動をする中でどういう役割を果たし、どういう働きをしているのかをはっきりさせたい。そうなると、人間の脳の働きなどを含めて色々なことを総合化して考えないと分からないのですが、それを僕は追求したいと思っています。
――書物についてどのようなことを考えておられますか?
田中洋氏: 本は、歴史的に形成されてきた1つのメディアのあり方だと思います。例えばテレビは昭和28年くらいから今に至るまで4、50年ほど放映している。その前はラジオ、その前は新聞。媒体にはそれぞれ始まった時期があり、ある程度存続していく。でも、ラジオは昔から比べるとかなり衰退しているし、今では冠婚葬祭にしか使われない電報などの媒体もある。メディアの盛衰はあると思いますが、本もある意味、歴史的な産物なので、電子書籍に置き換わる可能性もあります。
本には、ある程度のボリュームが必要です。僕は最近、本の「長さ」とは一体なんなんだろうと、つくづく思うんです。本には、1ページが1,000字だとすると、20万字ぐらいは書かなきゃいけないといったように、ある程度の長さが規定されます。それが電子書籍になると、長さに関しては自由なので、長いのもあれば短いものもあるということになるので、そうなると思考の形態が、変わるんじゃないかと思っているのです。例えば、大学は今、単位を1単位取るために、90分授業を15回やる必要がある。90分×15回じゃ足りないという科目もあれば、そんなに長くやることないというものもあるかもしれないけれど、全て90分×15回と決められている。本もそれに似たところがあって、200ページくらいのボリュームがなきゃダメという前提になっているというか、本はそれぐらいの分量の情報を詰め込むものだという概念が我々の中に長くあったと思うんです。電子書籍になるとそれがなくなるから、読み方も変わってくるのかもしれない。
――書き方も変わってくると思いますか?
田中洋氏: 本は、初めにという序文から始まって終わりに至る、一種のフォーマットのようなものがありますが、それは、歴史的にできてきた本が作り上げたフォーマットなのです。それも、電子書籍によって変わるかもしれない。色々なところにリンクが繋がって、目の前の本だけが全てではなく、繋がりの全体が本だという風になる気がします。
PDFでも本を読めますが、あれもまだ本の形態をそのままPDFに電子化しただけです。でも、電子書籍という形態が成立すると、今の本のあり方からかけ離れてしまって、それこそ2ページでも本になるという場合もあれば、1000ページでも本になる、といったように色々な形態のものが、本として認められるようになるんじゃないかと思います。
電子書籍が本の読み方を変える
――そういったように概念が変わりつつある中で、出版社、編集者の役割はどういったところにあると思いますか?
田中洋氏: 編集者の専門性とは何か、というところが問われてくると思います。書籍の編集者だとすれば、何を知っているのかということです。売れる本のコンセプトを考え、著者に依頼して、原稿をもらって、表紙のデザインを依頼して、製本して、印刷して、最終的に本屋さんに並べるというのが普通の出版社の仕事です。それが、電子書籍になると作業過程が変わってきます。
では、電子書籍になったらどのような本が売れるのか。少し前に、アメリカで『ハリーポッター』より売れた『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』という、少し軽いポルノ小説のような本がありました。なぜ売れたかというと、店頭で買ったり持っているのは恥ずかしいけれど、タブレットなら何を読んでいるのか誰にも分からないから、という理由からでした。紙の本では持ちたくないから電子書籍で売れるといった面もあると思いますが、まだ過渡的であって、電子書籍でなければいけないコンテンツが何かということが、まだあまり分かっていないのが現実です。
――電子書籍にふさわしい読書のスタイルなども、できてくるのでしょうか。
田中洋氏: 僕の家にはたくさん本があって、部屋が本で埋まって困っているんです。研究室にも本はたくさん置いてあって、「これを全部読んだんですか」とよく聞かれますが、本には、最後まで全部読まなくてもいいものもあると思うんです。僕は本を読んでいるのではなく、本に有用な情報があるかどうかを見て、つまみ食いのような読み方をするので、本を利用している、といった感じかもしれません。小説はもちろん最初から最後まで読まないとだめでしょうが、研究書に関しては別の読み方がある。電子書籍になれば、当然読み方も変わってくると思うんです。
――電子書籍で自著を読まれるということに対して、思うことはありますか?
田中洋氏: 読み方は人によっても違うし、色々な読み方が許されるようになると思います。講談社の現代新書から10年ほど前に出した『企業を高めるブランド戦略』が、最近、大学の入試問題に使われて、ある文が引用されて、著者はこれで何が言いたいのか50字以内にまとめよといった問題でした。この設問も、ある種の伝統的な本の読み方から由来するんじゃないかなと思うんです。
テレビの見方も、今、すごく変わってきている。若い人の中には、「毎週月曜夜9時から1時間、テレビの前にいるのが嫌だ」という人が多く、そういった人は録画してつまみ食いして見るそうです。家に帰るとシーンとして寂しいので、とりあえずテレビをつけて音を鳴らせておくといった、テレビを環境物として置いている人も多い。それも今のテレビの見方の1つとなっているのです。だから、本の読み方も、最初から最後まで読んで大事なところに線を引いて、これは何が言いたいのか考えるといった読み方だけではない本へのアプローチ方法が出てくると思うし、それが許容されていくのだと思います。
――電子書籍のメディアとしての可能性は?
田中洋氏: まだ我々は、その可能性に気づいていないのではないでしょうか。日本は、テレビにしても新聞にしても、なかなか変わりづらいんです。出版も同様に変わりにくいところがあって、伝統的なやり方が、まだまだ残っている。諸外国が変わっているのに日本だけ変わらない。でも、だからこそ、スマホのように急に状況が変わることがありうるように思うんです。ただ、電子書籍を読むカルチャーが、上手く形成されないとだめでしょうね。電子書籍ばかり読む人たちがある程度出てくると、ドッと変わるきっかけになるんじゃないかと思っています。
――読み手の影響が、やはり大きいですか?
田中洋氏: そうですね。あとは、本がメディアだということで言うと、メディアはプラットフォーム、コンテンツ、デバイスというエレメントで成り立っている。最近はこれに、インフラというエレメントが加わり、この4つが合わさったものをメディアと呼ぶ。例えば映画は、映像があり、映画館があり映画会社がある。テレビは、テレビ番組というコンテンツがあり、受像機というデバイスがあり、テレビ会社というプラットフォームがあり、電波というインフラがある。今、何が起こっているかというと、これがバラバラになっているのです。デバイスだけ見ても、テレビならテレビ受像機だけでなく、スマホ、パソコンなど様々なもので見られますので、もはや、通信と放送の融合ということだけではないんです。テレビ受像機を作っている会社が、独自の編集をしたりすることもありますし、今アメリカは、世帯の視聴者に合わせてコマーシャルを変えるということをするデバイスが出回ろうとしています。例えば、20代の男性しかいない世帯なら、それに合わせたコマーシャルばかり流す。これは、テレビ会社からしたら困る話ですが、それをデバイスレベルでやってしまう。それと同じことが本の世界でも起こっています。出版社というプラットフォーム、紙というデバイス、本屋という流通が一体になって本と言っていたものが壊れて、Amazonが出てきて本屋が減る。紙というデバイスがなくなって電子書籍に置き変わる。プラットフォームの出版社に関しても、出版社じゃなくても本が作れるようになる。そういった風にメディアが変容するきっかけを、まさに電子書籍が作っているわけなのです。しかしかといって、従来の書籍は決して無くなりません。テレビが出てきてもラジオや新聞雑誌が健在であるのと同じことです。
――そうした変容の中で、教育者として、執筆者としての今後の展望をお聞かせください。
田中洋氏: 変化はしていくと思いますが、自分が本を書く時は、昔ながらのルールにのっとってやっていくと思います。ある程度の長さを書いてまとまったものにして、体系化してするという、そういう昔ながらのスタンダードが、使えるものだと僕は思っているんです。だから、昔ながらの体系も、重要な部分として生き残っていくと思います。
ただ、それとは違うメディアの可能性も、絶対にあります。本も、1冊の中に全て納まるのではなく、リンクで繋がったりして変わってくる。1ページから読まなきゃいけない本が全てだとは思わないほうがいいと僕は思います。
(聞き手:沖中幸太郎)
著書一覧『 田中洋 』