唯一のテーマは「いかに面白く生きるか」
吉村葉子さんは、20年間暮らしたパリを中心に、フランス各地の街並みや生活、美術等の情報を発信するエッセイストです。また、フランス人と日本人の考え方を比較、考察する話題作を次々に発表しています。吉村さんが経営する菓子・喫茶店「ジョルジュ・サンド」におじゃまして、作家として、経営者として、また母としての心構え、読書、本への想いなどについてお聞きしました。
エッセイは「読むサプリ」
――吉村さんといえば、フランスの文化、フランス人の生活スタイルや考え方について取り上げたエッセイが人気ですね。
吉村葉子氏: たまたまフランスに長居したから書いているだけで、根っからのフランス派じゃないんです。第二外国語も仏語じゃない。大学では、ドイツ語の教科書の方が薄かったからという理由でドイツ語を選びました(笑)。
――『パリの職人』をはじめ、旅行書には載っていない土地の見どころを紹介する作品は人気がありますね。
吉村葉子氏: 普通のベルサイユやオペラ座といった観光ルートでは満足できない人が増えたということでしょう。『パリの職人』は、パリを歩き回って、旅行者が行くことができるアトリエがないか探し回って書いた本ですが、職人さんも、旅行者がその場で作品を買ってくれるということで、今はパリの商工会議所も熱心に旅行者を集める試みをやっているようです。
――地域に関する相当な知識がなければ、書けないのではないですか?
吉村葉子氏: 私は、パリとロンドンの地図はすべて頭の中に入っていると思っています。地図がわかっていると、いろいろなことが楽しくなります。例えば去年、早川書房からルブランの遺稿の『ルパン、最後の恋』が出ましたが、そういった本を読んでいる時に、逃げたアルセーヌ・ルパンが塀を飛び越えたところだとか。そういう場所を知っていると100倍楽しめるんです。
――エッセイを執筆する際に心がけていることはありますか?
吉村葉子氏: エッセイは読むサプリだと思っているから、元気になるものでないといけないと思っています。「へえ、こんな生き方があるんだ」とか、「じゃあ私もこうしようかな」とか、「これって違うよな」と思いながら読んでほしいですね。自分では小説に向いているんじゃないかと思っているのですが、小説であれば、それを読んで自殺願望の人が増えたからといって責められるものではありません。しかし、エッセイはそうではない。書いていて、これは違う意見の人もいるだろうなと想定できることがあるから、ホームページを公開して、読者の方からのメールにも、パソコンが壊れていない限りお返事しています。エッセイで出した以上は想定した相反する意見を持つ読者に対して責任がある。そこがエッセイと小説の違いだと思います。
――お店を始められたきっかけはどんなことですか?
吉村葉子氏: 深い考えなしに作りました(笑)。そうじゃなかったら、こんなおっちょこちょいな場所は作りません。ここにいると昼間遊べるから良いと思っていたけど、これだけ時間を拘束されるとは思いませんでした。でもここは私の世界です。だから、夫(作家の宇田川悟氏)にも入り込めない空間なんです(笑)。私は、パートナーとのつながりを限りなくゼロにしているんです。一緒にいる時間よりもっと大切な、わくわくすることがたくさんあります。そういう夫婦もあっていいかなと(笑)。だからお互い「勝手にして」と意思表示しています。
本を読む人は、退屈さを持っている人
――吉村さんにとっての読書とはどういったものでしょうか?
吉村葉子氏: ラ・フォンテーヌが、「人は、ぼーっとしてる時じゃないとものを考えない」と言っています。退屈だからものを考えるし、本を読む。ほかに面白いことがあると本は読みませんよね。だから私は、本を読む人と読まない人は、はっきり分かれると思っています。本を読むというやらなくてもいいことをしている人は、退屈さを持っています。読書人というか、ブックスキャンさんもそうですが、本にくっついて仕事をしている人間は、周りの人を、読む人、読まない人と高慢に分類しても良いんじゃないかと思います。皆がわかり合おうというのは無理ですからね。
――ものを考えたり、読書をするような「ぼーっとする」時間がない人も多そうですが。
吉村葉子氏: 忙しくしないと、存在がなくなってしまうような世の中になっています。子どもでも、自分だけ塾に行かないのはまずいのかな、とか。別にそんなことはないのにね。行きたくなきゃ行かなくたっていい。お母さんが子どもに「早く早く」って言うでしょう。子どもはなんで早くしなきゃいけないのかがわかっていない。「もうすぐパパがおなかをすかして帰ってくるから、早くご飯の支度しなくちゃいけない。だから一緒に急いで」とか、そういう説明がない。そうすると子どもの時から理由もなく忙しくする習慣がついてしまいますね。
――吉村さんはどのようなお子さんでしたか?
吉村葉子氏: 私はのんびりとした子だったみたいです。それは取りえがないから(笑)。母は私にバレエを習わせようとしたり、ピアノを習わせようとしたけど、スキップが苦手だったから、バレエはできなかった。姉はすごくピアノがうまいけど、私は習ってすぐ「よっちゃんはだめだ」ってあきらめられました。人間なんて、比較してもしかたがない。私はすべてがだめだったから、泥んこに日焼けして育ったんです。ただ、母に後から言われたんですけど、私はすごく本を読む子どもではあったようです。
――吉村さんの読書のスタイルはどういったものですか?
吉村葉子氏: 興味の赴くままに読みます。乱読もいいところです(笑)。速読術はマスターしていませんが、読むのは速い。ただ、もともと「文学少女」ではなかったので、今でも文学のことを語るのなんか大嫌いです。意見交換なんて要らない、自分で思う世界だけで十分だと思う独善的な人間です(笑)。だから、文学部には見向きもしなかったんです。
――どのような本がお好きでしたか?
吉村葉子氏: 日本人で好きなのは泉鏡花とか森鴎外ですね。1900年に、なぜあれだけ「脂っぽいもの」が書けたのか、ということに驚きます。私は、面白さは古典に求めているところがあって、明治以降は日本の文学が失速していると感じています。でも、石川淳さんは好きです。『焼跡のイエス』が、もう、かっこいい。文学の話をするのは嫌いだから、『焼跡のイエス』は20分で読めるので読んでくださいね(笑)。
――文学部には進まず、立教大学の経済学部へ進学されたんですね。
吉村葉子氏: はい。まさか、経済学部の女子があんなに少ないとは思わなかったです。文学部の女の子に「モテたいから経済学部にしたんでしょう」と言われましたけど、私は頭が社会科学系だと思っていましたし、女子高からほかに推薦を受けていたんです。1月になってから、やっぱり受験しようと思ったけど、間に合わなくて浪人しました。高田馬場の、吹きだまりみたいな早稲田予備校に行って、周りの人ともしゃべらず勉強だけに専念したのですが、その予備校の1年間が本当に面白かった。「こんなに正しいことってあるか」と思ったんです。受験勉強なんて丸覚えをすればいいんですから、やればできる。小学校のお受験は別ですけど、大学受験が最後の平等だと思います。就職して社会に出たら、受験の実力なんて関係ない。まるでフォークソングのセリフみたいですけど、子どもの時のことって、それがすべてだと思ってしまうけど、過ぎてしまうとどうってことはないですね。
著書一覧『 吉村葉子 』