浜田和幸

Profile

1953年生まれ、鳥取県出身。東京外国語大学中国科卒業。米ジョージ・ワシントン大学政治学博士。新日本製鐵、米戦略国際問題研究所、米議会調査局等を経て、2010年参院選にて鳥取県から立候補し当選。総務大臣政務官、外務大臣政務官兼東日本大震災復興対策推進会議メンバー、国民新党幹事長(兼代表代行)を経て、現在無所属。専門は「技術と社会の未来予測」「国家と個人の安全保障」「長寿企業の戦略経営」。未来研究の第一人者として、政府機関、経済団体、地方公共団体等の長期ビジョン作りにも、積極的に協力している。 ベストセラーとなった『ヘッジファンド』(文春新書)をはじめ、『快人エジソン』(日本経済新聞社)、『たかられる大国・日本』(祥伝社)など、著書多数。

Book Information

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雑誌から学んだ、日本と海外の違い


――小さい頃から活動的だったのですか?


浜田和幸氏: そうでもありません。父は国鉄の職員で、実業団野球の世界では花形ピッチャーで、母は農家の出身です。実は、わが家には本が1冊もなく、世の中に「本」があるということも知らずに育ったものです。とにかく、小・中学生の頃は野球少年でした。でも中学2年の頃に父が肩を壊して、ノンプロの世界でやっていけなくなったのです。昨日まではファンに追いかけられる人気稼業だったのが、今日からは駅のトイレ掃除係という具合で、取り巻く環境が一気に変化した感じでした。母はそれを悲観して具合が悪くなってしまうし、家の中が一挙に暗くなり、「野球だけで生きていくのは厳しいものがあるな」と子どもながらに思いました。そういうことから、遅まきながら勉強もしなくちゃいけないと、中学3年の時に一念発起、勉強を始めたわけです。

――本との出会いはいつだったのでしょうか?


浜田和幸氏: 中学の3年で勉強を始めて、参考書や問題集を買わなくちゃいけないと、初めて地元の本屋さんに行った時、「あ、本っていうものがある」と認識しました。その本屋には旺文社の世界と日本の名作文庫が置いてあり、有島武郎の『生まれ出づる悩み』を見つけて、「こんな世界があるんだ」と衝撃を受けました。「こういう知らない世界を旅するには本は欠かせない」と思ったのです。それ以降、学校の図書館や古本屋さんにも通い、受験勉強の傍ら手当たり次第に乱読しました。

――米子東高校に進学されてからはどのような本を読まれていたのですか?


浜田和幸氏: 三島由紀夫の本を読みました。ちょうど高校生の時に市ヶ谷の自衛隊で割腹自殺があったので、なぜ彼がそういう道を選んだのか、その思想遍歴をぜひ知りたいと思って、彼の本を手に取りました。特に『美しい星』には想像力を刺激させられました。そのストーリーに触発され、舞台となった能登まで実際に行ったくらいです。最初は日本の作家の本を読んでいたのですが、だんだん英語も勉強するようになり、海外のものも読むようになりました。一番衝撃を受けたのは、三島由紀夫の割腹自殺の時に彼の首を森田必勝が切り落とした生々しい写真が載っていた雑誌です。首と胴体が分かれている写真をアメリカの『TIME』という雑誌が載せていたんです。日本では新聞でも雑誌でも切り落とされた首の写真なんてとてもじゃないけど、載せませんよね。その雑誌を、米子東高のグラウンドのすぐ下にあった教会で見たんです。ブラウンさんという神父さんが、簡単な英語で聖書を教えるという教室を開いていまして、普段は簡単な英語で書いてある聖書を読んで、キリストの教えを学んでいたのですが、聖書の勉強が終わると様々なアメリカの新聞や雑誌、本などを見せてくれたんです。そこで三島の写真を見ました。

――その写真を見た時、どういうことを感じましたか?


浜田和幸氏: すごい衝撃で、「アメリカとか世界は、同じニュースを伝えるにしてもこういうところまで入り込んで、そういう写真まで載せるのか」と、日本で見ている新聞や週刊誌などとは全然違うなと思いました。そういうことがあったので、大学に入ってからは、世界を自分の目で見、異なる文化や価値観の人たちと直接会ってみたいという思いが高じてきました。

――東京外大の中国語を選択されたきっかけは、なんだったのでしょう?


浜田和幸氏: 当時「100万人の英語」という旺文社がスポンサーの文化放送のラジオ番組の東京からの電波が、鳥取県には夜だけ届き、聞くことができたのです。田舎ですから予備校もなく、大学受験のためにそれを一生懸命聞いていると、中国大陸からの北京語放送も混ざって流れてきます。そうやって無意識のうちに、中国語を耳にしたので、自然に馴染んだのかも知れません。「中国には3000年の長い歴史があり、日本も漢字はもとより法律や都市づくりのノウハウなど大陸文化を吸収してきました。今は文化大革命で混乱してはいるけれど、いつまでもそういう状況は続かないだろう。これからは隣国である中国と仲良くする必要がある」と、その当時に強く思った記憶があります。

――大学卒業後、新日鐵を選ばれた理由はなんだったのでしょうか?


浜田和幸氏: 当時の稲山会長が、戦争中の日本と中国の関係性に言及し、「一種罪滅ぼしという意味で最先端の鉄を作る技術を教えよう」という発想に立ち、ドイツと協力して製鉄所を造ることになりました。そういう現場で働けば、日中関係の強化に役立つに違いないと思い、応募した次第です。

――新日鐵ではどのようなことをされていたのでしょうか?


浜田和幸氏: 中国側の意向は「日本から技術協力の支援が得られるなら、最先端のものが欲しい」ということでした。そこで、中国から数百人規模で現場の工長さんや作業長さんを招いたのです。日本の技術を教える前に、まずは日本人のものの考え方や規律を学んでもらうために、寮に入ってもらい一緒に生活をしながら日本式の価値観を学んでもらいました。でも当時は中国に技術を出すということに対して、一部の勢力からは「とんでもない」という意見がでていました。当時、広畑にある製鉄所で中国の研修生を受け入れていたのですが、会社から「君たちが盾になって中国の人たちを守りなさい」と言われました。ある意味で命がけでしたね。

50通もの手紙を書いた思いが通じて、初めてアメリカへ


――では最初の外国もやはり行き先はやはり中国へ?


浜田和幸氏: いえ、実は最初に選んだ行き先はアメリカ合衆国でした。当時のアメリカ文化で一番象徴的だったのは『PLAYBOY』という月刊誌でした。一番心を動かされたのはそのインタビューページでした。毎号、政治家やビジネスマン、それからスポーツマンや文化人などの、とてもディープなインタビュー記事が載っているんです。ジミー・カーター大統領もインタビューを受けて、「奥さん以外に魅力的な女性がたまたま通りかかった時、何か気持ちが動きませんか?」というような質問に、すごく素直に答えていました。でも、結局それが元となって彼の政権が陰るようになってしまったんですけれども。そういった政治的なインパクトをもたらすぐらいのインタビューを『PLAYBOY』は載せていて、日本にはない大胆なアプローチに感銘を受けました。そこで、ペンパルの経験があったこともあって、『PLAYBOY』の創業者であるヒュー・ヘフナーに話を聞くために手紙を書いたんです。

――そして返事が…?


浜田和幸氏: 書いても、書いても、返事がこない(笑)。10通が20通になり、20通が30通になって。そして、50通目ぐらいの時にようやく返事がきたんです。それは「君はあきらめが悪いみたいだな。しつこいから見込みがあるかもしれない。ぜひこっちに来い」という内容でした。「やった!」と思って、生まれて初めてアメリカに行ったんです。やっとのことで人生初の海外であるニューヨークの空港に辿り着いたのですが、今度は「グレートゴージュというところにプレイボーイのリゾートクラブがあるから、そっちに来い」と言われたので、とりあえずタクシーを拾って向かいました。グレートゴージュというところは、ニューヨークから百数十キロメートルも離れた場所にあったので、着いたころには財布はすっからかんどころか、足りない状況でした。フロントで事情を話すと、ヒュー・ヘフナーとつながり、タクシー代はもちろんの事、その後の宿代まで「カズユキ・ハマダを客人としてもてなせ」という指示のもと、すべて面倒を見てもらいました。その太っ腹ぶりは嬉しい発見でした。

――プレイボーイリゾートクラブでの滞在はいかがでしたか?


浜田和幸氏: 家族連れのお客に加え、企業の人たちも研修会場として利用しており、すこぶる健全な雰囲気でした。みんながスポーツや食事を楽しみながら、明るい社交を繰り広げていて、とても感心したものです。家族の絆や、団体、企業の人たちのネットワークの輪を大事にする場を、プレイボーイクラブが提供している現場を目の当たりにし、驚きました。
その上、バニーガールと呼ばれる接客の女性たちはみんな、自分の夢を持っていて、その夢を実現するためにクラブで働いているのです。プレイボーイクラブはとても待遇が良いことでも知られていました。またマニュアル化が進んでいて、お客さんに対してどういう姿勢、ポーズでメニューを見せ、お酒や料理をサーブするか、といったことに至るまできちんとトレーニングされている。お金を貯めて自分の目指す大学に進学し、自分の願う仕事を追い求める人がたくさんいることを知りました。実際、当時出会ったバニーガールの一人がその後、ワシントンのNIH(国立衛生研究所)で研究部長になっていることを聞かされ、大いに納得したものです。

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この著者のタグ: 『英語』 『海外』 『歴史』 『雑誌』 『政治家』

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